外から帰ったら

 ああ。

 何で俺がこんな目に。

 何で勝手に動くんだ、俺の体は。


 体の後ろ半分が消し飛んだみたいな激痛が、ヨルの意識を真白く染めていく。

 その半面では、体に何かよくないものが入り込んでいく感覚がある。

 目から、口から、体のあちこちの傷口から、じわじわと体が侵されていく。

 消えかかる意識を必死に繋ぎ止める。

 神経が消えてしまったかのように、手足の感覚がなくなっていく。

 目の前には、虚ろな眼をした赤黒い山羊がいる。


 ああ。

 分かるよ。

 悪かったな、煩くして。

 今、居なくなるから。

 だから、そんな悲しそうな顔するなよ。

 大丈夫だから。


 俺は、死なない。


 づん。

 ヨルの足が枯葉の堆積する地面に強く打ち込まれる。

 体の芯がなくなったかのようにがくがくと震える全身を懸命に立ち上がらせ、ヨルは両手を広げた。


「お。お、あ。……ああああああ!!!!」


 ヨルの眼が、赤く濁っていく。

 それを見たジンゴが叫ぶ。

「待て。殺すな、ヨル!!」

「わがっ、でるっ!」

 吐血。

 鮮烈な赤が地面に散らばる。

 その体がついに崩れる。

 いや、両手を地に着けたのだ。

 陰魔法の、発動するポーズ。

 自らの影と、血を、混ぜ合わせる。


「『棺絶華ひつぎたちばな』!!!」


 ヨルの体に落ちる影がぐにゃりと形を変え、錆色の山羊のそれと交わる。

 みるみるその影が赤く染まっていく。

 噴出。

 立ち上る赤い奔流が、山羊の体を覆い尽くす。

 封印魔法。

 やがて深紅の影は固まり。

 血の結晶でできた塔が、立ち顕れた。


 山羊の体を飲み込んだその塔に、ごん、と音を立てて、倒れ込んだヨルの頭がぶつかる。

 そのままずるずると滑り落ち。

 べしゃり。

 ヨルの体は、動かなくなった。


「ヨルさん!?」「ヨル君!?」

 ツグミとヒカリの悲鳴が。


「いやああああああ!!!!」


 森に響き渡った。

 

 ……。

 …………。


 夜。

 ちょうど半分に割れた月が、ぼんやりと藍色の空に浮かんでいる。

 ほう、ほうと、夜鳴き鳥の声が聞こえてくる。

 山の麓。

 タンシャンの街の、行政所。

 薄明かりに照らされた広い部屋で、重い顔をした獣人の男達が、黒衣に身を包んだ人族の男を囲んでいた。


「つまり、そいつは今もお山にいるってのか?」

「うむ」

 不安そうな顔をした獣人の男の一人の問いに、人族の男―ジンゴが頷く。

「封印には成功したが、あの状況と、状態だからな。恐らく、今頃はとっくに魔法も解けているだろう」

「な、なんで殺しちまわなかったんだ」

「そんな危険な……」

「山開きしたばっかだってのに」

「明日からの狩りはどうしたらいいんだ」

「ふん。……阿呆どもが」

「なに!?」


 いきり立つ獣人の男たちを、苛立たしげにジンゴが見渡す。

「あれをあの場で殺すことは簡単だった。ただし、山の全ての生物の命と引き換えにな」

「なん……だと」

「あれは、名を『玖咳無角くがいむかく』という。ある種の山羊の突然変異で生まれる個体だ。ちなみに、魔力は殆ど持たん。ただの獣だ」

「くがい……?」

「……聞いたことがねえ」

「で、あろうな。本来は魔国で発見される生物だ」


 険しい表情で語るジンゴに、周りの男たちも不安そうな顔で聞き入る。

「そりゃあ一体どういう生き物なんだ。山の生物の命と引き換えって。そんなに強え奴なのか」

「そうではない。言っただろう、殺すことは簡単だ。肉体の強度はその辺の家畜よりも弱いくらいなのだ。ただし、奴らはその毛皮の中に無数の病原菌を住まわせている」

「病原菌!?」

「『紅疽菌』という菌でな、呼吸器や傷口から感染し、即座に発症する。症状は全身の脱力・発熱・血痰。また、傷口に感染した場合は錆色の瘡蓋ができ、高熱を帯びる。これが『紅疽症』だ。致死率は非常に高い。件の獣は、通常の山羊がそれに感染し、極稀にその菌との共存に成功することによって生まれる」

「何だ、そりゃあ……」


「これは全く原理が不明なのだが、何故か玖咳無角はその菌たちを制御して生きている。自身の毛皮の中に紅疽菌を住まわせながら、それを徒に振り撒くことはない。

 それを使うのは、己の身と、その住処を守る時だけ。そして、縄張りの証として、自分が殺した生物の骨をその地に突き立てる。菌の影響で赤黒く変色したそれを、俗に『死出の碑骨』という」

「碑骨……」

「問題は、その紅疽菌は自然界においては基本的に死体から感染する、ということだ。宿主を憑り殺すと、一気に空気中に拡散して新たな宿主を求めるのだ」

「じゃあ……その、山羊を殺すと」

「そいつがそれまで制御し、溜めこんでいた菌が一気に拡散する。以前の記録では、魔国のとある集落が九夜で滅んだことになっている」

「九夜!?」


 男たちがざわめく。

「感染拡大は、日数に比例し爆発的に範囲を広げていく。山一つ滅びるのに、一月はかかるまい。ヨルに感謝するのだな。あいつが件の獣を殺すことなく足止めすることに成功したからこそ、俺たちは無事下山でき、こうして異変を伝えられている」

「けど、けどよ。そいつと、二人の獣人は感染しちまってるんだろ!? じゃあ、ほっとけばこの街も……」

「無論滅びる」

「そ、そんな……感染が広がるのを防ぐ手段は……」

「一つ、効果のあった方法はある」

「なんだ、それは?」

「簡単だ。感染者が死ぬ前に棺に閉じ込め、菌ごと焼き殺す」

「「んな!?」」


 がしゃん!!

 男たちの輪の外側から、大きな音が響いた。

 全員がそちらを振り返ると、縦真っ二つに割れた木製のテーブルと、その上で叩きつけた拳を震わせているヘイシンがいた。

「……俺が、それを許すと思うのか、曖昧屋」

 地の底から響くような声でヘイシンが問う。

「お前が許す許さんの問題ではない」

 がっ。

 一瞬で距離を詰めたヘイシンがジンゴの襟首を掴む。

「俺が。許す、許さんの、問題だ」


 ぎりぎりと力の入るその太い腕に、細い手が重なった。

 桜色の髪が。

 ふわりと揺れる。

「女……」

 ヘイシンの顔が苛立たしげに歪められる。


「どいて。ヘイシンさん」

 抑揚のないその声に、ヘイシンの腕の力が僅かに緩んだ瞬間。

 ごしゃっ。

 およそ人体から出たとは思えない音が部屋に響き、ジンゴの体が壁にめり込んだ。

 瞳と拳を赤く燃やしたアヤが声を震わせる。


「ジンゴ。今はあんたの露悪趣味に付き合ってる余裕はないの」

 かつかつと歩み寄り、今度はアヤが、ジンゴの襟首を掴んで持ち上げた。

「言いなさい。ヨル君を助ける方法を」


 ジンゴの顔の下半分が真っ赤に染まっている。

 それでいて尚失われない鋭い眼光で、ジンゴはアヤを睨み返した。

 次の瞬間。

 がん!!

 ジンゴの頭突きがアヤの額とかち合った。


「んぐ。………こ、んの」

 不意打ちに思わず後ずさったアヤの耳に、しゃらん、と玲瓏な刃鳴りが聞こえた。

 目の前に突き付けられた白刃の鋒に、アヤの瞳の赤が輝きを増した。

 周りの獣人たちがざわめく。


「あん、たねぇ―」

「これは、先例のないことになる」


 アヤの台詞を遮って、ジンゴが口を開いた。

 口内に溜まる血のせいで、少し発音があやしい。

「一昨年の黒の騎士団の研究で、人体に影響を与えずに菌類のみを殺す新薬が開発されたのは知っているか」

「……あれはまだ臨床段階のはずよ。動物実験の域を出てない」

「そうだ。だが、これまで呪詛魔法と区別がつかなかった、細菌由来の感染症に対して有効となる、現状では唯一の可能性だ」

「それが何よ。ここにその開発中の薬があるっての?」

 周りの獣人たちが慌てて首を横に振る。


「なければ作ればいい」

「はあ!?」

「幸い、研究データは伝手を使って見せてもらったことがある。材料さえあれば製造は可能だ」

「材料って?」

「苔だ」

「苔!?」

「ある一定以上の魔力を帯びた苔が、その新薬の核となる。ただ、その一定以上というのがかなりの量でな、自然界ではまず見られん。研究時には、団長格数人分の魔力を集めてようやく生成できたらしい」

「え……と、じゃあ、どうすんのよ。取りあえず街の人たちみんな合わせて、ありったけ魔力を………あああ」


 周りを見渡したアヤが、呻き声を上げる。

 それを呆然と、獣人たちが見る。

 そう。

 この街の住人は、殆どが魔力を持たない獣人種なのだ。


「不可能だ。仮に獣人種から集めるのならば、千人分は必要になるだろう」

「じゃあどうすんのよ!?」

「……ヘイシン・ウェン」


 ジンゴの口から紡がれたその名に、その場の全員の視線がヘイシンに集まる。

「……何だ」

 両者の鋭い視線が交わる。

「貴様の協力が必要だ」

「さっきから貴様らが何を喋っているのかさっぱり分からんが、おれも獣人だ。魔力など殆ど持たんぞ」

「そうではない。山だ」

「山?」


「『神樹・菩提不壊ぼだいふえ』」


「……その名を、どこで知った」

「それは聞かんほうがいいだろうな。兎に角、年経た樹木であれば苔の類は必ず生える。それが神樹であれば、含有する魔力量は申し分ないはずだ」

「山の神樹は、何人なんぴとも立ち入ってはならん禁域にある」

「だから、貴様の協力が必要だと言ったのだ。ヘイシン」

「俺にどうしろと?」

「ルールをげろ」

「なに!?」


「いいか。こちらも連れの命がかかっているのだ。紅疽症は放っておけば3日で死に至る病だが、対処療法で7日までは時間を稼げる。しかし、逆に言えばそれが限界だ。他の方法ではどうあっても治療は間に合わん。

 材料さえあれば薬は必ず俺が作る。だから貴様はその材料を調達するのだ。自分の舎弟を生きたまま火葬したくなければな」


「ち、ちょっと待ちなさいよ」

 そこで、アヤが口を挟んだ。

「その、神樹は、山の中にあるのよね? つまり……」

 その言葉が詰まるのを見て、ジンゴが後を継いで言った。


「そうだ。あの錆色の獣が徘徊する山に、もう一度上る必要がある」


 ……。

 …………。

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