負け犬は、空を見る

 メリィ・ウィドウの街の空に、大輪の花火が咲いた。

 透明な冬の空を、真っ赤な光と灰色の煙が染め上げていく。

 頭上から降り注ぎ、腹の底に重く響く轟音。

 それに伴って吹き荒れる熱風が、街の木々を揺らしていく。


 街の住人たちはみな、固唾を飲んでそれを見守っていた。


「おおおおおおおおお!!!!!」

「あああああああああ!!!!!」


 赤熱した拳同士がぶつかり合い、また一つ爆発が生まれる。

 弾かれるように後退。

 すかさず、両足と背中を噴火させ、前進。

 激突。

 衝撃が大気を震わせる。


 二柱の焔神と化したアヤとテンヤが、空中で殴り合っていた。

 これが地上で行われていたなら、一分と持たずに街は消し飛んでいただろう。


 肌は真っ赤に輝き、全身を焔の衣が包む。

 背中には、絢爛たる緋色の華。

 両足から噴き出す炎で空を翔け、燃え滾る拳をぶつけ合う。

 その度に、大気を揺るがす爆炎が撒き散らされていく。


「アヤちゃん……」

 祈るように両手を組んだカズエの呟きが、轟音の中に消えていく。


 そこに、小細工はなかった。

 技もなかった。

 脚はただ、前へ出るため。

 ただひたすらに、前進し、拳を撃つ。


 二人とも、防禦は考えていない。

 回避も思慮の外。

 真っ直ぐに正中線を晒し合い、真っ直ぐに拳を撃ち込む。

 互角の闘いだった。


 それが、一合毎に、少しずつアヤの後退する距離が増え、前へ出るタイミングが遅れていく。


(やっぱり、早すぎたか……)


 白くぼやけた視界の中で、アヤは全身の骨と筋肉が上げる悲鳴を聞いていた。

 脚は一駆け毎に。

 拳は一発毎に。

 体は一呼吸毎に。


 自分の中の何かが、燃え尽きていく。


 分かっていたことだった。

 自分が『孔雀明王法』を使うには、まだ早すぎることくらい。

 未熟な状態で使うには、この魔法は強力に過ぎる。

 本当はもっと修業を重ねて、万全の状態を備えてから挑むつもりだった。

 そのために、この七年間逃げ続けてきたのだ。

 それでも。


(仕方ないじゃない。来ちゃったんだからさ)


 それでも、前へ。

 前へ。

 コンマ一秒でも速く。

 たった一発でも多く。


 この拳を、打ち続ける。


 既に視界は働いていなかった。

 やがて思考がぼやけ、自分が今、拳を撃ち込んでいるのか、撃ち込まれているのかも分からなくなっている。


 ただ、体の前方に感じる、懐かしい魔力の波動に。

 真っ直ぐに自分を受け止めてくれる、力強いその拳に。


(……ああ、やっぱり、師匠は強いなぁ)


 全霊を賭けて、飛び込んでいく。


 振り抜いた拳が、空を切った。

 自分の体から、最後の何かが抜け落ちていくのを、アヤはどこか他人事のように受け入れた。

 もう、何も見えない。

 何も聞こえない。

 ただ、何かが自分の体を受け止めてくれたことだけは、何となく分かった。

 大きな体と、熱い腕が。


(そーいや、あいつ、どうしたかな……)


 最後に思い起させたのは、何故かあの狼のような男の顔であった。

 焦げ臭い匂いを嗅ぎながら、アヤの意識が、灰色の闇へと解けて行った。



 ……。

 …………。


「女の服を褒めるにはどうしたらいい」

「……………………はい?」


 年末の日。

 ボロ長屋で催された麻雀大会の後、ヒカリを送りにヨルが出かけていた際、まだ残っていた酒を乾していたアヤとジンゴの間で、こんな会話があったのだった。


「だから、女の服装はどうやって褒めるものなのかと聞いたのだ」

「いや」

「いや?」

「いやいやいやいやいや。おかしいでしょ。え? あんた何言ってんの?」

「いいから答えろ」

「ええ? いや、そりゃ『似合ってるぞ』でいいんじゃないの」

「服が似合っているというのはどういうことだ」

「…………はぃ?」

「そもそも俺には女の服の似合う似合わないが分からんのだ」

「あああ……」


「……そうだな。お前、確か夏の終わり頃にパーティードレスをヨルに見せびらかしていただろう。それを見てあやつは『似合ってますよ』と言っていたな。あれは何処がお前に似合っていたんだ」

「はあ!?」

「お前は自分のどういう特徴にあのドレスが似合うと思って選んだのだ?」

「……それは、……そうね。私の場合、肉付き薄い割に肩幅あるから、ハイネックでポイントを上に持ってくのとレースケープで肩のラインを隠して……胸元は余裕を持たせつつ腰元の絞りを上に持ってきて――」

「成程。いかり肩で胸がない割に尻がデカいのを誤魔化してるわけだぐぶっ!!」

「ぶっ殺すわよ」

「自分で言ったのだろうが……」


「あのね。そりゃヨル君は呼吸するみたいにお世辞言ってくれるけど、それをあんたが見習うのは無理だから。絶・対」

「何だ、あれは世辞だったのか。つまりあのドレスも大してお前には似合ってないというごふっ!」

「だからそういうトコだっつってんだろ!!」


 そして。

 年明け。


「お待たせしました、ジンゴさ…………わ」

「どうした」

「え、っと、その。その恰好……」

「作業着で礼拝に行くわけにもいくまい」

「……うぅ。ずるいです」

「?? 何か変か」

「いえ、すごく素敵です…………くっ」

「分からんやつだな」


「え、ええっと! では参りましょうか。外に牛車を用意してますので」

「うむ」

「あのぅ……ジンゴさん。どうでしょうか、私の振袖」

「そうだな……」

「??」

「……いや。すまん。俺には服の良し悪しは分からん」

「あはは。いいんですよ、ジンゴさん。私が見せびらかしたかっただけなんですから」


「似合っているとは思うんだがな。何処がどう、というのが分からんのだ」

「…………え?」

「どうかしたか」

「え。え。今、今なんて……?」

「ああ。だから、服と人間を見て、どういう要素が似合う似合わないを決めているのかが――」

「その前です!」

「なに?」


「あ、あの……これ……似合ってます?」

「ああ。だがそれが…………何故にやけるのだ?」

「いえ。いいんです」

「ふむ。全く分からん」

「うふふ」


 ……。

 …………。


 そんな何気ないやり取りが、今、ジンゴの脳裏に思い起こされていた。


 最初は、よく分からない小娘であった。

 助けたことに感謝され、次に、自分と相対した多くの女性にそうされるように、反感を買った。それだけならばいつものこと。

 彼女にかぎらず、やはり、年若い小娘の感情の機微など、自分に分かるはずもない。そう思った。


 しかし、次に会った時、何故かその少女に懐かれた。

 あれやこれやと問いを投げかけられ、いつも通りにそれに答える(大概はこのやり取りの中で相手を怒らせることになる)と、少女は少し傷ついたような表情を見せたあと、尚もめげずに自分の後ろについて回ってきた。

 その、他の女たちとは違う反応にジンゴは少なからず戸惑った。

 それまで、女とは「自分が普通に会話をすると何故か怒り出す生き物」だと思っていた理解を覆されたのだ。

 よく分からない。


 そして、あの秋の日。

 久方ぶりに会ったその少女は、やはりよく分からない生き物だった。

 いかなジンゴとはいえ、彼女から自分に向けられる感情がどういう類のものか、察することが出来ないわけではなかった。

 しかし、その、それまでは他人事であった感情が自分に向けられていることの理由も分からなかったし、それに対してどういう態度を取ればいいかも分からなかった。


 ただ、彼女があの小さな聖騎士の少女を罠にかけることに罪悪感を抱いていると知った時、ジンゴの胸中に、奇妙なざわつきが起こった。


『俺は、お前の味方だ』


 そんな言葉が、自分の口をついて出たことに驚いた。


 一体、彼女の存在の何が自分にその台詞を言わせたのか。

 ジンゴには分からなかった。


 分からない。

 ああ、何も。


 会う度に。

 知る度に。

 言葉を交わす度に。

 分からないことが増えていく。


 その不理解を。

 不明瞭を。

 不可思議を。


 手放したくないと、そう思っている自分がいるのである。


 あの無邪気な笑みが。

 恥ずかし気な笑みが。

 怒りを隠した笑みが。

 幸せそうな、笑顔が。


「――――――――!!!!!!」


 ただ無機質な真白に染められていくことが、許せないと思う自分が、確かにここにいる。


 ジンゴは半ばで溶け折れた黒鞘を握り直し、燃えるように痛む両脚を踏みしめて、片側が血で潰された視界の中に、破滅の化身となった彼女の姿を捉える。

 

 その脇腹に、灼け付くような衝撃。


「かはっ…………」


 どう。


 砂埃を舞い上げて、ジンゴの体が、仰向けに倒れた。


 ……。

 …………。

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