喧嘩花火

 空が青く、澄んでいた。

 薄く引き延ばした綿のような雲が一切れ、二切れ、遥か高くを吹く風に流されていく。

 斜めに差す陽の光が、朽ちた教会の窓枠から降り注ぎ、細長い格子状の影を地に落としている。


 その半ば腐れた床板を、光と闇が交互に染め上げている。


 瞬くのは、血色の赤と、瑠璃色の瞳。

 靡くのは、艶のない黒髪と、眩い金糸。

 煙る黒雲。

 それを打ち払う聖光。


 目の眩むような陽光を振りまく無機質な表情の青年の名は、ヤマト・サイオンジ。

 生まれながらに全ての『答え』をその身に宿した『正答者』にして、無尽蔵の聖気を与えられた人造の勇者。

 その眼は敵の挙動全てに最適の反撃を見出し、その腕は千変万化の聖術を操る。

 モンド・サイオンジの生涯をかけた最高傑作。


 その、冷徹に戦局を見極める無機質な顔に――。


 めき。


 青白い拳が、捻じ込まれた。


 真白いローブに包まれた体が宙を舞う。

 後ろに吹き飛ばされた、いや、自ら後ろに跳ねてダメージを殺したヤマトの体が、床板を転がり受け身を取る。


 そこに迫るは、黒い影。

 闇の衣を引き摺り。

 血色の双眸を瞬かせ。

 怖気を震わす冷気を振りまいて。

 夜の王が迫りくる。


「撥」

 一切の感情を失くした声がヤマトの口から漏れ、その右手の五指が陽光を纏う。


 きゅごっ!


 腕の一振りで視界が真白に染められ、闇が祓われる。

 その脇腹に、黒い衣が翻る。

 青白い拳が撃ち込まれ。

 寸での所で、左掌に受け止められた。


 一瞬で勇者の懐に潜り込んだ闇の魔物が、足を大きく広げたまま腰を落としている。

「斥」

「うおらぁ!」

 無機質な声と共に振るわれた腕と、猛る怒声と共に放たれた足刀がぶつかる。


 光と闇が爆ぜる。


 放たれた魔力は互角。

 互いに弾かれた体を、床板を割りながら押し止め、一歩ずつ踏み出す。

 正対。

 真正面から、撃ち合った。


 互いの拳が空を切る。

 黒い影を曳く腕が、ヤマトに迫る。

 廻打。肘鉄。刻み突き。打ち下ろし。

 その全てを、『正答者』の目が見切り、躱していく。


 上段足刀。裏拳。膝蹴り。踵落とし。

 躱す。躱す。躱す。


 いや。

「……!?」

 ヤマトの頬に、擦過傷が走る。

 瑠璃色の瞳が、僅かに揺れた。

 攻撃は当たらない。

 しかし、その拳が肩を掠め、廻し蹴りが鼻先を擦っていく。

 速度が上がっているのだ。


 受けきれない。

 そう判断した『正当者』の力は、ヤマトに最適の解をもたらした。


 即ち。


 腰に溜められ、真っ直ぐに打ち出された魔物の拳を。

 頬肉を抉らせて避けると同時。

 ごしゃ。

 自らの拳を、闇の魔物の顔面に打ち込んだ。


 肉が潰れ、血の飛沫が散る。

 己の勢いまでを乗せられた拳をまともに食らった魔物の脚が折れ。

 力強く、床板を踏みしめた。

 空を切ったのとは逆の拳が握り締められ、ヤマトの脇腹に添えられている。


「!?」

 怖気を感じたヤマトが身を引くよりも早く。


 づどん。


 衝撃が、ヤマトの内臓を射抜いた。


「ご、……はっ」

 肺の空気を絞り出されたヤマトの口から、唾が飛び散る。

『答え』は直ぐに出た。

 魔物は重心の移動だけで体内の力のベクトルをコントロールし、密着した静止状態から拳を撃ち出したのだ。

 ヤマトの体がくの字に折れる。

 咄嗟に両腕を顔の前で交差する。


 その直後、魔物の全体重を乗せられた後ろ蹴りが叩き込まれ、ヤマトの体が吹き飛んだ。


 数メートル転がって受け身を取ったヤマトは、再び距離を詰められる前に、素早く柏手を打った。

「急ぎ定めの如くせよ。断つは意思。過たぬ御星みほし

 腕を開くのに合わせ、光り輝く一振りの太刀が顕れる。


 右手で握り、唐竹に振り下ろした。


 ごうっ。


 閃光が炸裂し、世界が縦に切り裂かれる。


 教会の床板が一直線に割れ、白煙を上げている。

 その破壊の爪痕から僅かに離れた位置に、転げて回避した魔物の姿。

 宙に棚引く闇の霧が、半分ほどに掻き消えている。


 避けられることは想定済み。

 ヤマトの左手が、陽光を放ち続ける太刀の峰に添えられ、鍔元からきっさきまでを一息に撫でた。


許々太久ここだくの罪は御前みまえ不在あらじ。斬り祓え。『九薙鈨くなぎはばき』」


 縦四つ。

 横五つ。

 空間を埋め尽くす九閃の斬撃。


 それが放たれる、直前に。


「『棺絶華ひつぎたちばな』!!」


 ヤマトの眼前に、深紅の墓標が立ち塞がった。

 教会の天井にすら届きそうな程の血の結晶塔が、出掛かりの聖光魔法とぶつかり合い。


 ばきぃぃぃぃん。


 微塵に砕け散った。


 赤い煙が立ち込め。

 それが、黒く染められていく。

 そのまま冥界にでも続いているかのような闇の虚ろから。


「……魔力ちからだけじゃダメ。魔法わざだけでもダメ」


 禍々しい、声が響く。


 一歩、一歩。

 闇の衣を曳いて、しずしずと。


「難しいよなぁ、喧嘩ってのはよぉ……!」


 メリィ・ウィドウの吸血鬼・ヨルが顕れる。


「非理……」

 無機質な顔から、無機質な言葉が吐き出され、陽光の太刀を振りかざす。

 ずるり、と、泥沼を掻き立てるような音と共にヨルの体が滑り込む。

「排」

 再び、瑠璃と血色の双眸が交じりあった。


 ……。

 …………。


 ヤマトを律する指輪の力は、混乱の極みにあった。

 既に六回、殺しているはずだった。

 目の前で、闇の衣を翻す魔物。

 魔法も、拳技も、全てを見切っている。


 次に何をしようとしているか、手に取るように分かる。

 どうすればそれに対処出来るか、答えはすぐさま導かれる。

 事実、こちらの攻撃は何度となく当っている。

 あちらの攻撃は何度となく躱している。


 しかし。

 倒し切れない。

 避けきれない。


 敵は決して致命傷は貰わず、こちらは、一撃食らうごとに浅くないダメージを受けている。

 不可解であった。

 不合理であった。


 太刀型の聖術を掻い潜り肉薄した魔物が、身を屈めて両腕を伸ばそうとしている。

 右は開手。左に正拳。

 避けるのは簡単。

 だが、魔物の足元から伸びる影がヤマトの背後に沼地を作っているのが分かる。

 僅かにも足を引けば絡めとられる。

 而して、右の開手が狙っているのは襟元。

 掴まれればそのまま投げられ、やはり闇影に囚われる。


『答え』はすぐに出た。

 両足から聖気を放出し、闇の罠を祓う。

 右手を払いのけるように、根元から弾く。

 つまり。


 づむ。


 左の拳だけは、食らうしかない・・・・・・・


 胸部に衝撃。

 しかし、浅い。

 この程度ならば――。


「夜ノ森流――」


 耳に響く低い呟きと共に、悪寒が走る。

 魔物の筋肉がうねり。


「――『三珠徹みたまどおし』」


 鋭い衝撃が、ヤマトの心の臓を打ち抜いた。


「……か…………ぁ」


 呼吸が止まる。

 筋肉が硬直していく。

 静止した世界の中を、目の前の敵だけが動いている。


 体が捻られる。

 力が溜められている。

 その動きも、次に何をするのかも、手に取るように分かる。

 分かっているのに。


 ヨルの放った上段蹴りが、ヤマトのこめかみを打ち抜いた。


 ずしゃぁぁぁ。


 砂埃を舞い上げて、ヤマトの体が床板を転がっていく。

 やがて石造りの壁に激突し、ぱらぱらと石粉が零れ落ちた。


「算出……合理。…………不浄。不浄」


 譫言のように機械的な言葉を漏らすヤマトの体が、立ち上がろうとした途端に膝から崩れる。

「倫……。改。析出」

 がくがくと震える脚に聖光が宿り、芯を取り戻していく。


 そこに、荒い呼吸の合間から、ヨルの声が投げかけられた。

「いつまで遊んでるつもりだ、おい?」

 苛立ちを滲ませるその声音に、ヤマトが陽光を放つ太刀を掲げて応じる。

「非理」

「そんな技じゃ、俺は倒れねぇぞ」

「不明。透。……算出。非。否。誹」

「てめぇに言ってんじゃねえ!」


 ヤマトの無機質な表情が、僅かに硬直した。


「聞こえてんだろ、ヤマト」

「合。己。……非理」

「いつまでもパパに貰った指輪おもちゃ振り回してイキがってんじゃねぇよ」


 ヨルの背に纏う闇の衣が、ざわざわと伸び広がっていく。

 血色の瞳が、静かに燃えて。


「自分の力でかかってこいや、ヤマト・サイオンジ!!」


 猛る怒声が、朽ちた教会に響き渡った。


 かく。

 と、ヤマトの首が傾き、天井を見上げた。

 太刀型の聖光魔法が消え去り、右の人差し指に嵌められた鈍色の指輪に、左手が添えられる。

「讒。……非理。水晶。不浄。不浄」

 ヤマトの体が不安定に揺れ始め、顎がかくかくと跳ねる。

「無理。瓦解。不浄。浅。……不浄。不じょ――」

 やがて唐突に譫言が途切れると、糸が切れたようにヤマトの顎が下がり、両腕が垂れ下がった。


 そして。


「後悔するなよ、ヨル君」


 澄んだテノール。

 鈍色の指輪が、右の人差し指から外され、そのまま左の人差し指へと移される。


「急ぎ定めの如くせよ。掲ぐは塔。清浄の鐘」

 唄うような詠唱。


 りぃぃぃぃぃん。

 清らかな金輪の音が鳴り響く。


「断つは意思。過たぬ御星」


 しゃらん。

 刃の砥がれる音。


「誇るはこんまつろわぬ光」


 その体に、形を取った陽光が巻き付き、体が宙に浮いていく。


 右手に錫杖。

 左手に太刀。

 その身に羽衣を纏い。

 瑠璃色の双眸に、強い意思が宿る。


「滅べ、邪なるものよ」


 人造勇者――ヤマト・サイオンジ。


 対するは、闇の魔物。

 その体を、ずるずると闇影が這い回る。

 光を呑み込む深淵の外套。

 ただ鮮烈に覗く、血の赤が二つ。


「滅ぼしてみろよ、お坊ちゃん」


 吸血鬼――ヨル。


 二つの視線が交錯し、火花を散らす。

「いいだろう。…………いや、君はこう言うんだったかな?」

 ヤマトの口許が僅かに吊り上がり、それを写したように、ヨルの口の端が持ち上がった。


「「上等だ」」


 言の葉が重なり。


 第二ラウンドの幕が上がった。


 ……。

 …………。

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