暗い場所へと続く道

 重たい雲が、垂れこめていた。

 満々と水を吸った海綿の様な鼠色の雲が、天の一面を覆っている。

 一つ、何かきっかけがあれば、そこから水が滴り、生暖かい雨となって降り注ぎそうな空だ。

 かれこれ半刻程、そんな天気の下で、ヨルとアヤはハタガミの里から外へと繋がる街道を歩いているのであった。


「なぁんか、すっきりしないわねー」

「そうですね。降るんだか降らないんだか……」

「いや。天気の話じゃなくて」

「……ああ」

 不機嫌を隠そうともしないアヤに、ヨルが苦笑する。


「ホント、ヤなとこ来ちゃったわ」

「そうですか? いい里だと思いますけど」

「どこがよ」

「だって、誰もチュウヤさんのことを悪く言うような人、いなかったじゃないですか。本人は、本来の里長を死なせてしまった自分が代わりを勤めていることに、ひどく罪悪感を持ってるみたいでしたけど。里の人たちは、ちゃんとそれを受け止めて、扶けようとしてるんですよ」

「ふん。優等生」

「どういたしまして。それより、アヤさん。魔獣の気配、します?」

「しないわよー。全然。っていうか、気配の感知なら私よりヨル君の方が得意でしょ?」

「どうでしょうね。ただ、俺も何も感じません」

「遠吠えも雷の音も聞こえないしねぇ」


 そこでヨルは、腕を組んで考え込んだ。

「ひょっとするとジンゴは、俺たち二人は襲われないと、予測を立ててたのかもしれませんね」

「はあ? なら何でそう言わないのよ」

「言ってたじゃないですか。余計な先入観を持たせないためです」

「わっかりにくいわねえ」


「昨日ジンゴは、分かったことと分からないことが両方増えたと言っていました。分かったことは、『少なくとも、里と雷獣の間には何かしらの縁がある』ということ。分からないことは、『何故それが今になって発露したのか』と、『どういう形で発露しているのか』」

「どういう形って? 雷獣に襲われてる現状がそうでしょ?」

「それがおかしいんですよ。だってアヤさん。相手は魔獣ですよ? 野生動物が、自分の子供が殺されたからって、殺した相手に復讐すると思います?」

「ええ? そりゃぁ……ううん」

「今まさに殺されそうになってたなら、そりゃ攻撃もしてくるでしょう。でも、話は二年前ですよ? 野生の動物にとって、死んだ子供は死んだ子供です。普通は、生き残った他の子供を大事にするでしょう。それをわざわざ、自分が危険を冒して、普段の生息域を外れてくるなんて、普通じゃないです。その点が、チュウヤさんの話じゃ説明できないんですよ」

「なるほどねー」

「……今、考えるの諦めたでしょ」

「そういうのはヨル君に任せるわ」

「魔獣が出てきたら?」

「ヨル君に任せるわ」

「はいはい」


 その時、道の横手に広がる山の木々をすり抜けて、生暖かい風が吹いた。

 木々と水気の匂いを含んだ空気が、絡みつくように二人の間を通り抜ける。


「これは……」

「ヨル君?」

 ヨルの眼が、いつの間にかどろりとした血の色に染まっている。

「アヤさん。索敵オンにしてください」

「ええ?」

 短くそう言ったヨルは、街道から踏み出し、木々の合間へと分け入った。

「ち、ちょっと、ヨル君?」

 何も感じられないアヤは戸惑いながらも眼に赤い光を灯し、周囲を警戒する。

 ずんずんと進むヨルの背が、山の木々が作る闇に呑まれていく。


 やがて、周囲の木々の中で一際大きな大樹の元で足を止めたヨルは、口の中で短く呪を唱えた。

 

 ぞわり。


 木々の影がシーツをはためかすように波打ち、木の葉を巻き上げる。

 そこに、現れたものは。


「……何、これ?」

 血まみれになって事切れた、四人の旅装の男たちであった。


 死後数日は経過しているのだろう。所々の肉が崩れている。

 大量の木の葉に隠されていた、濃密な死臭が二人を満たした。


「これ、あの商隊の人たちより前に、街を出た人たち、なのかしら」

「でしょうね。この時期は、ちょくちょく人の行き来があるはずですから」

「逃げ切れ、なかったのね……」

「ええ。でも、これは雷獣の仕業じゃないです」

「ええ?」


「これは、人の手で殺された死体ですよ」


 ……。

 …………。


 時を幾らか遡り。

 ハタガミの里にて。

 イブスキ家の屋敷へと続く早朝の道を、ヒカリがてくてくと歩いていた。

「ユウキさん、もう良くなったかな」

 ヒカリは自分が庇った結果、聖気中毒を起こさせてしまった傭兵の少女の顔を思い浮かべた。


 昨日、夏蜜柑のスムージーを『曙の貴妃』の面々に振舞った際にも、彼女の姿だけがなかった。

 まだ本調子ではないので、大事をとって安静にしているのだという。

 それを聞きぺこぺこと頭を下げたヒカリに、『貴妃』の団員が慌てて詰め寄った。


「そんな! コノエさんが助けてくれなかったら、もっと大変なことになってました」

「私たち、昨日、あんなに酷い態度を取ってしまったのに……」

「本当に、ありがとうございました」

「ありがとうございました、ヒカリさん」


 次々に頭を下げる少女たちにヒカリが面食らってしまい、オタオタしていると、彼女らの後ろから現れたアズミ―昨日の夜、自分たちを追いかけ、真っ先に謝罪の言葉をくれた少女―が、そっと耳打ちした。

「よかったですね、ヒカリさん」

 その言葉にどう返そうか、ヒカリが思いあぐねているうちに、ヨルが作った大量のスムージーが、みなの所にも回ってきたのだった。


 そこからは、楽しい時間だった。

 傭兵団の話も聞かせてもらったし、メリィ・ウィドウの話も聞かれた。セイカにはやけにしつこくヨルの現状について尋ねられた。

 やがて夕刻になり彼女らが去っても、しばらくヒカリの心には、暖かな温もりが残っていた。


 そして今、ヒカリの心をもう一つ占めるのは、里長のチュウヤのことだ。

(優しいお父さん、なんだろうな)

 自分の子供が犯した罪を、精一杯庇おうとしていたのだろう。

 彼が何か、罰を受けるようなことをしたようには思えない。

 それに実際、昨日一日里の人から話を聞いても、彼を悪く言うような人は誰もいなかった。

 寧ろ、本来何の縁故もない里のために、よく尽力してくれている、と、彼を労う言葉をよく聞いた。

(何か助けになってあげられればいいけど……)


 そんなことをつらつらと考えている内に、ヒカリはイブスキ家の屋敷に辿り着いた。

 出迎えてくれたのは、老使用人の男である。

「お話は伺っております。ジンゴ様でしたら、今は資料庫にいらっしゃるかと」

 年齢なりに皺の刻まれた顔に柔和な笑みを浮かべ、背筋の通った姿勢で恭しく接する老人に、ヒカリはぴょこんと栗毛を揺らしてお辞儀をする。

 それを見た老人は、少し躊躇いながら、資料庫へと足を向けたヒカリを呼び止めた。


「どうか、旦那様とこの里を、助けては頂けないでしょうか」

「はい?」


 驚いた顔で振り向いたヒカリに、老人は言葉を重ねた。

「旦那様は、もう一月、まともな睡眠を摂っていらっしゃいません」

「一月……」

「限界なのです。助けを求める先を、選んでいる場合ではない……」

 その沈痛な表情を見て、ヒカリは、にっこりと笑った。

「大丈夫です!」

「コノエ様……」


「もちろん、私に出来ることなら何でもします! でも、今は私だけじゃなくて、ジンゴさんも、アヤさんも、『曙の貴妃』のみなさんもいますから! 魔獣の一体は二体、ちょちょいのちょいですよ! 安心して、待ってて下さい!」


 小さな手を握り締めて力強く言うヒカリを、老人はしばし呆気に取られて見つめ、もう一度、深々と頭を下げた。

 ヒカリもそれに応じて頭を下げ、今度こそ、ジンゴがいるという資料庫へと向かって歩き出した。


 その背中が廊下を曲がって見えなくなるまで、老使用人の男は、揺れる栗毛をじっと見つめていた。


 ……。

 …………。


 それから数分後、ヒカリはジンゴと共に里の外れにある空家の庭木の前にいた。

 そこに咲いた木槿の花は、薄らと青い色に染まっている。

「あのう、ジンゴさん、一体何を……」

「調査だ」

 地面に這いつくばり何かを探している様子のジンゴに、ヒカリが周囲の目を気にしつつ問いかけるが、そっけない返事しか返ってこない。

「あの、せめて何を探してるか教えてもらえれば、私もお手伝い……」

「不要だ」

「ふぐっ」

 ヒカリの目の端に涙が浮かぶ。


 ちらりと横目でそれを見たジンゴは、溜息を一つ吐くと、起き上がって木槿の枝を一本折った。

「触れてみろ」

 訳も分からないままヒカリがその枝に触れる。

 すると、

「えっ」

 その花弁が、見る見る白くなっていった。


「えっ。これ。ええ?」

 ジンゴの顔と真白い花びらを交互に見やるヒカリに、腕を組んだジンゴが答えを言う。

「つまり、この花は魔力によって染色されているということだ」

「あ、メリィ・ウィドウの絹と同じ……」

 メリィ・ウィドウでは、五色の魔力を通した水で育てた桑の葉を蚕に食わせることにより、絹糸自体に色を乗せることを可能としている。生まれつき魔力の多い魔族によって編み出された技法である。

「じゃあこの花は、誰かが意図的に……?」

「俺はそうは思わん。恐らくこれは副産物だ」

「副産物、ですか。えと、何の……」

「それを今調べているのだ。魔力の流れを辿ってな。だからヒカリ、お前はそこから動くな。お前の呼気一つで痕跡が消える可能性がある」

「ええ!? な、何で私を連れてきたんですかぁ!?」

「その後で役に立って貰うためだ」

 それきりジンゴは、再び這いつくばって地面を検め始めてしまった。


 数分間。

 手持ち無沙汰のヒカリは、律儀にそこから一歩も動かずに、ジンゴの背に問いかけた。


「そういえば、ジンゴさんは、いつからメリィ・ウィドウにいるんですか?」

「さあな。十年前だったか、五年前だったか」

「ジンゴさんって、歳はおいくつなんです?」

「知らん。四十には届かんだろうが…」

「ジンゴさんって、苗字はなんて言うんですか?」

「ミヤマだ。ジンゴ・ミヤマ。まあ、普段は名乗らんが」

「ミヤマ……。それって、ひょっとして……」

「お前の前任の聖騎士、ゲンジ・ミヤマは、俺の親戚だ、ということになってる」

「なってるって……」

「実際は違うということだな」

「はあ。何とも曖昧ですねぇ」

「そうだ。曖昧なのだ…………む」

「ジンゴさん?」


 ジンゴは這いつくばったまま手を木造の空家の壁につき、さらにそれを検分した。

「ふむ。成程な。おい、ヒカリ」

「は、はい」

「ここに木剣を刺せ」

 ジンゴが空家の壁と地面の隙間を指差す。

「はあ」

 言われるがまま、その隙間に木剣を差込み、魔力を開放していく。

 目映い陽光が二人の影を長く伸ばす。

 やがて、ジンゴの合図で光が収束すると、そこに、ぽっかりと空いた縦穴が現れた。


「これは……」

「隠し通路だな」

「うっ」


 その中を覗き込んだヒカリが、顔を顰めた。

「感じるか」

「はい。……前に、森で蝙蝠の魔獣を見つけた時みたいな」

 ヒカリの全身を悪寒が包み、その頬を、冷や汗が伝った。

 怖い。


「どうする?」

 短い問い。


 ヒカリは震える目で、ジンゴの無表情な顔を見つめた。


『おい、ジンゴ、あんまり………いや、宜しく頼む』


 昨晩の、ヨルが言いかけた言葉が蘇る。

 あの時ヨルは、ヒカリの身を心配していたのだ。

 けれど、私の気持ちを汲んで、ジンゴに託した。

 私は、二重に気を使われた。

 悔しく思う気持ちはある。

 けれど、ヨルを憎らしく思うことは、もうなかった。


 恐怖と焦燥。遺憾と反発。

 渦巻く思考と感情を深呼吸と共に吸い込み、吐き出した。

 その眼に強い火を灯して――


「行きます」


 ヒカリは、暗渠へと足を踏み出した。


 ……。

 …………。

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