アツミの戦い

 ヨルの左肩に焼き鏝を押し付けられたような激痛が走り、極度に凝縮された聖気に意識を吹き飛ばされそうになった時、その、そのまま体を断ち切るかに思われた熱感が不意に離れていくのを感じた。

 既に朦朧としていた視界に微かに捉えたのは、小柄な男が纏った、教会の法衣だった。


「お待ち下さい。若様」

 その左肩に、じゅうじゅうと白煙を上げて、陽光の輝きを放つ太刀が食い込んでいる。

 苦悶の表情に脂汗を滲ませた小柄な男――アツミ・イガリは、崩れ落ちるように跪くと、一切の感情を覗かせない無機質な顔で自分を見下ろすヤマト・サイオンジを、縋るように見つめた。


「妨害。判別。自壊。掘削」

「お待ちください!」

 意味不明な独語と共に太刀を握る手に力を込めたヤマトに、アツミがしがみつく。

 荒い息を吐きながら、その瑠璃色の双眸を正面から覗き込む。


「あな、たの、滅ぼすべき敵は、……ここにはおりません」

「類焼。罪」

「指令が、……うぐっ。混線したようですな……大丈夫です。お手を」

「不断」

「ぐぅっ!」


 太刀が、さらに食い込む。

 肉の焦げる匂い。


「アツミ殿!!」

 駆け出した赤騎士――テンヤを、アツミは手を挙げて制した。

「近寄ってはなりません!」

「しかし!」


 アツミは震える手で、ヤマトの右の人差し指に嵌まった指輪に触れた。

「さあ。よく思い出されませ。あなたの滅ぼすべき相手は……」

「メリィ・ウィドウ」

「ではないのですよ。さあ……」

「メリィ・ウィドウ」

「の街の……」

「便利屋」

「見習い……」

「吸血鬼」

「を助けた、……裏切り者」

「裏切り者」


 アツミの顔に、安堵の笑みが浮かぶ。

「そうです。裏切り者でございます」

「…………混淆。並列。忖度。再起。……置換。清浄」

「そうです。それで宜しい。その者の名は、ヒカリ・コノエ」

「ヒカリ・コノエ」


「…………え?」

「な――」

「何を言ってんだ!?」

 そこに突如現れた名前に、街の女性たちが悲鳴のような声を上げる。


「今は……に、おります」

「揮発」

「ええ。若様ならば、今から向かっても間に合うでしょう。さあ」


 ヤマトの掌に光の粒が弾け、アツミの肩に食い込んでいた太刀が消え失せた。

 血の気の失せた顔で荒い呼吸を繰り返すアツミから、ヤマトはそれきり視線を外すと、ぐるりと周囲を見渡し、やがて北の一点に顔を向けた。

「算出。曲線」

 能面のような顔からぽつりと言葉を漏らすと、その足に、陽光が集まっていく。


「ま……ち、やがれ」


 その背に、掠れるような声がかかる。

 左の肩と脇腹から赤黒い煙を上げ、背は曲がり、震える膝でかろうじて立ち上がったヨルが、一歩を踏み出す。

 その体に、しゅるしゅると闇の衣が巻き付いていく。

 自身の体を魔法で無理やり操って、ヨルが構えを取った。


 その気配に、ヤマトが振り返った。 


「斥」


 五指に陽光が灯っていく。

 やがてその爪に、瞳と同じ瑠璃色の光が輝き出す。


 ただ対峙しただけで、太陽に向かい合ったかのような圧倒的なプレッシャーがヨルの前面を打ち、血色の瞳が焼かれていく。

 それでもヨルは、さらに一歩を踏み出した。


「ヒカリに、……手を、出すな……!」


 その、掠れるような声を。

 瑠璃色の閃光が掻き消し。

 ヨルの意識を、真白い闇へと解かしていく。


 崩れる体。

 振りかざされる腕。


 その間に。


「若様」


 アツミの体が、割って入った。

 衝撃。

 しゅうしゅうと、肉の焦げる音が。


「……このような些事に、関わっている暇はございません」


 アツミの顔の右半分から、白い煙が上がっている。


「さあ。……急がれませ。……ここ、は……この私めが」


 残った左目に、強い光。

 それが、無機質な瑠璃色の光と交わる。

 

 ヤマトは腕に纏っていた聖気を霧消させると、無言で目線を外し、再び両足を輝かせ始めた。

 その足元に、静かに粉塵が舞う。


「仰」


 どん。

 爆音と共に、ヤマトの体が宙に舞い、砲弾の如き速度で飛び出した。


 街の住民、そして赤騎士テンヤが唖然としてそれを送る。

 光の粒子をはらはらと舞い落し、やがて数秒で、その姿は蒼穹の中に見えなくなった。

 

 僅かに開いた空隙の時を破るように、どさりと倒れ込む音が、二つ。

「ヨル!」

「アツミ殿!」

 赤黒い煙を上げるヨルの元に街の女性たちが、そのすぐ隣に倒れ伏したアツミの元にテンヤが駆け寄った。


 アツミの左肩と顔の右半分は無残に焼け爛れ、未だに白い煙を上げ続けている。

 一目見て分かる重傷であった。

 テンヤが助け起こした上半身、その焼け崩れた法衣の襟元から、ぽとりと、黒い革の帯が零れ落ちた。

 

 それを認めたアツミの、半分残った顔に、弱々しい笑みが浮かぶ。

「さす……が、ゆ……しゃの……」

「アツミ殿。これは……」

 困惑するテンヤの問いに、頭の後ろから返答があった。


「帰順の消印だ」

「まさか!? 何故そんなものがアツミ殿に!?」

「私が知るもんかね」

 かつかつと歩み寄った、街の代表者――マーヤが、アツミの襟ぐりを掴み取った。


「何を――」

「あんた、一体どういうつもりだい!? 何故ヒカリを巻き込んだ!?」


 激昂するマーヤに、答える声は、今にも消え入りそうで。

「ゆる……とは、……言わん」

「ああ、誰が許すもんか。だからくたばる前に答えな。あんたは一体、何がしたかったんだ・・・・・・・・・!?」

「だれ……いう、もの……かよ」


 引き攣るように、アツミの口角が持ち上がる。

 肩を裂かれ、顔を焼かれ、ボロ布のように打ち捨てられて。

 それでもなお、その顔に浮かぶもの。

 それは、己の為すべきことを為し遂げた、一人の男の笑みであった。

 その戦いに、静かに幕が下りようとしている――。


「ふざけるな! このままで済むと――」


 ぴぃぃぃぃぃぃぃぃ。


 マーヤの叫び声を、甲高い笛の音が掻き消した。

 見れば立ち上がったテンヤが、人差し指と親指を輪にして口に咥え、天に向けて吹き鳴らしている。

 やがて無数の風切り音と共に、揃いの赤い軽鎧を身に着けた男たちが空から降ってきた。


「隊長!」

「何があったのですか」

「先程の光は!?」

 街の外に待機させていた十数名の赤騎士たちを呼び寄せたテンヤが、マーヤの腕からアツミの体を奪い取る。


「要救助者二名だ。……絶対に死なせるな」

「り、了解!」

「隊長は?」

「私は、あの男を追う」

「は?」


 テンヤは首を巡らすと、静かに瞳を燃やしてヤマトが消え去った空を見据えた。

 腰を屈め、手を膝につく。

「逸れ。『焦慮――」

「待ちな」


 その詠唱を、マーヤの声が遮った。

「追ってどうする」

「あの者が尋常の状態でないことは確かだ。ヒカリ・コノエ殿の身に危険が及ぶ前に、身柄を拘束する。安心されよ、代表者殿。私は――」

「無理だ」

「……何ですと?」


 その小皺の寄った褐色の美貌を苛立たし気に歪め、マーヤはテンヤの背後に立った。

「さっきのは、『天響』だ」

「天響?」

「あの飛行術さ。あれは、かつてミツキ・ミカグラが戦場を駆け巡った超凡の神技。……成程、確かにあいつは、勇者の力を持っているらしい」

「ならば……」

「なら、一介の魔法使いが敵う相手じゃない。勇者に抗し得るのは、世に魔王一人」

「それこそ馬鹿なことだ。魔王はもう――」

「ここにいるさ」

「!?」


 背中越しに言葉を交わしていたテンヤが思わず振り向く。

 そこには、腕を組み、唇を噛み締めたマーヤの姿。

 その背中に、街の女性の一人が泣きそうな声をかける。

「マーヤさん。どうしよう……ヨル君が。ヨル君が目を覚まさないの」

 女性たちが赤騎士たちを押しのけてヨルを介抱しているが、その体からは力が抜けきり、一向に起き上がる様子はなかった。


 テンヤが困惑した表情を浮かべる。

「代表者殿。貴女は先程から何を言っているのだ。その少年ならば、正に今しがた為すすべなく倒されたばかり――」

 その言葉を無視し、マーヤは住人達を見渡した。


「あんたたち、覚悟決めな……『時は来た』」

「マーヤさ、……それ」


 マーヤは困惑する女性たちの中で、ただ一人強い目を向けるもう一人の代表者――カグヤと視線を交わし、頷きあった。


「この街の女全員、ヨルに血を吸わせる」


 ……。

 …………。

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