青い果実はその先を
早朝。
遅い日の出が、ようやく完全に姿を見せたばかりの時分。
「どうかな、ジンゴ先生」
「ふむ。少なくとも俺は、こんなものを見たことも聞いたこともない。どうと言われてもな……」
「まあまあ、ちょっと使ってみてくれよ」
青白い肌の上に濃い隈を作り、いつもの血色とは別の色で目を赤くしたヨルが、怪しげな笑みを浮かべて腕組みをしていた。
その視線の先、アトリエの中央に鎮座する
「ふむ。卓袱台と布団を組み合わせたのか。まあ、発想としては月並みだが、この街の住人向けといった所か。冬場の茶飲み話には丁度いい。しかし、エルフの連中の様式には合わんな。…………いや。魔力が通っている? 内側に……ああ、成程な。こういうことか。ふむ。面白い。…………うむ。……ほう……………ううむ」
ヨルが苦心して完成させた炬燵に入り込んだジンゴが、何かが解けたように溜息を漏らす。
そのまま数秒間、目を閉じ。
「ヨル」
「うん?」
「熱燗の用意はないのか」
「気持ちは分かるけども!」
ヨルに急かされたジンゴが不承不承といった体で炬燵から体を抜き出し、子細な検分を始めた。
天板を外し、中の機構を確認していく。
「どうだ。俺としてはかなり上手くいったと――」
「ヨル。此処の構文は何を参考にした?」
「え? お前に借りた『機構論』の……」
「それにしては無駄な個所が多いな。“生時”と“変行”は文節を区切れと書いてなかったか?」
「ええ? いや、何か読んだんだけど意味がよく分かんなくて……」
「ド阿呆。この一文が長すぎるせいで全体のバランスが崩れているのだ。このスペースが空くだけで消費魔力を七分は抑えられる」
「あ。ああ~……」
「それに、水平も僅かにずれている。家具としても問題ありだ」
「ええ? いや、それは最初に確かめたぞ? ちゃんと水使って……」
「ふむ。ならば、急な温度変化による素材の収縮だな。こういう使い方をするのであれば、獣国の廓城欅を選ぶべきだったな」
「あれクソ高えじゃん……」
その後もいくつかの点を細かく指摘され、ヨルの両肩はだんだんと下がっていった。
「ふむ。こんな所か。まあ、製品として出せるほどではないが、素人が一から作ったにしては及第点といった所だろう」
「はあああ」
「どうした」
肩が下がりすぎて両手が地に着かんばかりのヨルの姿を、いそいそと炬燵に入り直したジンゴが見遣る。
「いや。やっぱ俺じゃ、上手くいかねえか」
その消沈した様子を気にもせず、ジンゴは部屋の隅まで炬燵を引きずり、壁に背を預けた。
早くも炬燵の寛ぎ方を模索している。
「ふん。いくら俺の仕事を何度か手伝ったからといって、一朝一夕に魔道具が作れるか。門前の小僧に易々と習われるほど、人族の歴史は浅くないということだ」
「そうだよなぁ……」
魂が抜けだしそうな溜息を吐いて、ヨルもまた、ジンゴの対面で炬燵に潜り込んだ。
あごを天板に乗せ、さらに深く溜息を漏らす。
それを見たジンゴが、鬱陶しそうに言った。
「何を落ち込んでいる」
「なんつうか、さあ」
「なんだ」
躊躇いがちにヨルが答える。
「もうこの街で便利屋始めて、結構経つだろ? 別に大層な理由があって始めたわけじゃなくって、……いや、むしろ何の理由も目標もなかったから、取り敢えず始めたって感じだったんだけどさ」
「うむ」
「ホントにこれでいいのか、って、迷いがないわけじゃねえんだ。いっつもさ。何とか誤魔化し誤魔化しで、今のところはやれてるけどさ。今回みたいに、上手くいかないことだってあるじゃねえか。あいつのリクエスト一つ応えられねえんじゃ……」
「下らんな」
「はあ?」
腕を組み、顎を上げたジンゴが目を閉じたまま言う。
「これは、キリヤからの受け売りでな。恐らく、こういう時に使う言葉だと思うんだが……」
「何だよ」
ヨルの顔は、少し不貞腐れていた。
「未熟であるということは、いずれ熟す時が来るということなんだそうだ」
ヨルの目が、丸く見開かれる。
「……」
「……」
「……ぷっ」
「……ふん」
「っはは。……あの人らしいな」
「分からんことがあれば聞け。閑な時に教えるくらいはしてやる」
「おう。ありがとな」
「……ああ、ヨル」
「あん?」
「今気づいたが、この魔道具、やはり問題があるな」
「はあ? 今度は何だよ」
「…………一度入ると抜け出せん」
「あっはっは」
……。
…………。
カグヤ・ムロマチは、人族の女性である。
メリィ・ウィドウの街の二大産業である製糸と酒造、その生産ラインの管理を司る街の代表者の一人であり、豊かな鳶色の髪と、ヒカリ三人分はあろうかという立派な体躯は初めて見るものを圧倒する。
そして今、その巨体が縦横無尽にキッチンを動き回っている姿を、それを初めて目にするヒカリが唖然と見つめていた。
壁の嵌めこみ棚には七つの砂時計が並び、それぞれに違う時を刻んでいる。
その内の一つの時計の砂粒が落ちきるのを目の端で捉えたカグヤは、甘い湯気を放ち続ける鍋から灰汁を掬う手を止め、火を弱めると、地下の氷室に仕舞っていた布包みを取り出し、打ち粉をしたまな板の上で広げ、現れた薄黄色の生地を素早く伸ばし始めた。
まな板から鍋へ、鍋から窯へ、窯から甕へ、ときたま砂時計を返してはまた次の作業へ。
三つ四つの作業を並列に、一度も立ち止まることなく滑らかにこなしていく。
膨れたパン生地のように大きな手は、それがみな自身の一部であるかのように器具を操り、食材はみな、自分たちがどうなるのかを予め知っていたかのように姿形を変えていく。
甘い匂いと香ばしい匂いが、交互に立ち上る。
やがて使い終わった器具を洗い終わると同時に最後の砂時計の粒が落ちきり、カグヤは窯から天板を取り出した。
狐色に焼けたスコーンがならんだそれを専用の台に置いた時には、ヒカリの座るテーブルには既に色とりどりの料理が並び、暖かな湯気を上げていたのだった。
その作業の全てを後ろで見ていたヒカリが、ぽかんと口を開けたまま、テーブルを見下ろしている。
エプロンを外したカグヤが、額の汗を拭ってその向かいに座った。
「はいお待たせ。さあさ、お昼にしましょ、ヒカリちゃん。食べ終わった頃にはスコーンも熱が取れて美味しくなってると思うわ。あ、このパスタはね、この間バルの街から頂いた海藻が入ってるのよ。一緒に小魚を使うのがポイントでね……あら、どうしたの、ヒカリちゃん?」
「か、カグヤさん。これは、何ていう魔法ですか……?」
……。
…………。
そして、数分後。
「ごちそうさまでした~」
「はい。お粗末様でした」
すっかり腹を膨らましたヒカリが、とろけた顔でソファーに深く腰掛けた。
にこにこと微笑むカグヤが差し出したマグカップを両手で抱え込む。
その顔に、ほんの少し影を落として。
「やっぱり、カグヤさんのお料理はすごいです」
「うふふ。ありがとう。でも、ヒカリちゃんのクラフティも、上手に出来てたわよ?」
「そう、でしょうか。でも私、たくさん失敗しちゃって……」
「大丈夫よ。私が保証するわ。明日、ヨルちゃんに食べてもらうんでしょ?」
「はい。でも……」
「ほらヒカリちゃん。笑顔、笑顔。美味しいお菓子はね、みんなを幸せにするのよ。だからね、とびっきりの笑顔で差し出すの。それが一番の秘訣。暗い顔してちゃ、勿体ないわ」
「……はい! そうですね!」
「うふふふ」
熱い湯気に顔を隠しながら、ヒカリは上目遣いにカグヤを伺った。
そして、ほんの数日前、ヒカリとアヤにクラフティのレシピを教えてくれたエルフの男性の言っていたことを思い出す。
「あの、カグヤさん」
「なあに、ヒカリちゃん?」
「やっぱり、生きてると辛いことって、たくさんあるものなんでしょうか」
「ええ?」
ぽつりぽつりと、ヒカリが言葉を紡いでいく。
「ダニエルさん……取材させてくれたオリンズの里の人が言ってたんです。『辛いこともたくさんあったけど、こうやって美味しいお菓子を食べられる今日があれば、まあもうちょっとは生きててもいいかなって、そう思えるんだ』って。ダニエルさんも、色々、大変な思いをしてきた人らしくって……」
『あいつもあれで昔は苦労してたのさ』
以前、シャオレイから言われた言葉を、ヒカリは思い出していた。
いつも明るく、元気で、みんなに美味しい料理とお菓子を振る舞ってくれる、目の前の女性のことを、自分はまだよく知らないのだと。
「辛いこと、ねえ……」
そう言ってしばし考え込んだカグヤを見て、ヒカリは自分の失言に気づく。
当たり前だ。この街がどういう街か、知らないわけではないはずなのに。
「あ、あの、カグヤさ――」
「いいえ」
絹のように柔らかな微笑が。
「そんなことは、なかったわ。とても、……とても幸せな人生よ」
ヒカリの声を詰まらせた。
きらきらと光る、優し気なカグヤの瞳を見て、ヒカリは少し俯き、そしてまた、正面からそれを見た。
「私、カグヤさんのこと、大好きです!」
「あらあら。私もよ、ヒカリちゃん」
そして。
結局その日、ヒカリは、カグヤの家に泊まることになったのだった。
……。
…………。
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