狩人たちの悲喜こもごも
深い青色が、頭上の遥か高くに広がっていた。
それを遮るように背の高い木の枝が方々から伸び、黄金や橙、緋色に染まった葉で、青空に秋色の彩りを加えている。
空気は冷たく、乾いている。
吹く度に肌が引き攣るような風が、西から流れてくるのである。
その、風の流れを切り裂くかのように、木々の合間を縫って飛ぶ赤い影があった。
枝から枝へ、幹から幹へ、四肢と両目に赤い光を灯しながら、アヤが空を駆けている。
その眼下には、一面降り積もった枯葉の堆積する地面が見える。所々木の根がうねるそこには、生物の姿は見えない。
さく。さく。さく。
見えないが、しかし見えない
さく。さく。さく。
規則正しいリズムで、落ち葉が音を立てる。
その落ち葉の舞が、一際大きい大樹を前にして、右に逸れた。
「そっち行ったわよ、ヒカリちゃん! ツグミちゃん!」
大樹の幹を蹴り飛ばし、空中に葉を撒き散らしながらアヤが叫ぶ。
「はい!」
「了解、です!」
応答する叫び声と共に、右方向から、さらに遥か前方から光の柱が上がる。
きゅい。
か細い鳴き声と共に、木の葉の舞が止まった。
「そこだっ」
すかさず、腰に下げたポーチから青色の球を取り出し、舞いの止まった空間に投げつける。
薄い布に詰まっていた塗料が弾け、辺りに不自然な青がばら撒かれる。
その、飛び散った塗料の飛沫の一つが、宙に浮いている。
動いた。
「よし!」
秋色の山の中でひどく目立つ塗料をつけたまま、目に見えない何かが駆けていく。
「ハズキさん!」
その進行方向の先で、金髪を風に靡かせたハズキが、陽光の色をした錫杖を地に突き刺していた。
「聖なる聖なる聖なるかな。一切不垢たれ。『
朗々とソプラノが響いた、次の瞬間。
ごう。
ハズキの体を中心に、陽光が地を奔った。
きゅい!?
その陽光の波動に捉えられた宙に浮く青い塗料から悲鳴が聞こえ、突如、一頭の羊が姿を顕す。
体長は1メートル半程。全身をぼやけたような白色の体毛で覆い、太い巻き角は濁った水晶色。
白澤羊。
体毛を周囲の風景と同化させる魔法を、聖気によって無理やり剥がされたのである。
突然の事態に動揺した羊は、それでも足を止めることなく、舵を左に切って逃走する。
その上から。
「え、うそ。ちょ、待って待ってうそぉおおお」
悲鳴と共に桜色の髪振り乱し、アヤが降ってきた。
その四肢から、魔法の光が消えている。
当然のように羊はそれを避け、明後日の方向へ逃げていく。
「あ、アヤさん!?」
「ちょっとハズキさん! 私の魔法まで消してどうすんのよ!?」
「す、すいませ―」
「やば。逃げられる。取りあえず結界消して!」
慌ててハズキが錫杖を地面から抜く。
アヤの両足が再び赤光を燃やし、地を蹴って走り出す。
視界の遥か先、青い塗料が上下に浮いて遠ざかっていくのがかろうじて見える。
「ヨル君!」
その左方向から、ヨルが全力疾走している。
「『
走りながら手頃な木の幹に手を叩きつけ、その影を伸ばして羊の背を追うが、再び魔法を発動させ周囲の風景に紛れた羊の体を上手く捉えられない。
地を駆けるアヤも、生い茂る木々に邪魔をされ、上手くスピードが出せない。
そうこうしているうちに。
「「あ……」」
樹木が絶えた断崖絶壁に差し掛かり、羊は器用にバランスを取りながらそれを下って行った。
人間の駆動で、ここを往くことはできそうにない。
周りには影を伸ばし、あるいは飛び移るための木もなく。
悠々とした足取りで、ついでに風下に向けて、羊は谷底を去って行った。
「「あーあ……」」
アヤとヨルの肩が、がっくりと下がった。
……。
…………。
「あーあー。何やってんだ、あいつら」
その、崖を挟んだ反対側の尾根から、一人の獣人がその一部始終を観ていた。
薄黄色の髪から生えた、先の黒い三角の耳をひょこひょと動かし、ヤマネコ型の獣人が呆れたような声を出した。
「どうした、レンリ」
その背に声をかけるのは、クマ型獣人の巨漢、ヘイシンである。
レンリと呼ばれた男はくるりと振り返ると、肩をすくめて言った。
「どうもこうも。ありゃダメだ、兄貴」
「ああ、あの人族たちか」
どうでもよさそうな声でヘイシンが応じる。
「てんでなっちゃいねぇ。あれじゃただの自然破壊だ。さっさと下山させた方がいいんじゃねえか?」
「ルールを犯す素振りがあれば報告しろ。そうでないなら、放っておけ」
「へっ。全く大した坊やだぜ。必死んなって羊の背中追っかけて、狩りのつもりでやぁがる。あんなんに負けた獣人の男の気が知れねえや」
嘲るような目を細めた視線の先には、座り込んで黙々と作業をするガオの姿がある。
「……」
ガオは何も言わず、赤く汚れた手を動かしている。
「なあ、おい。今度から俺らが『象追い』に出てやろうか? シマは違えが、お前んとこじゃあ人族のガキにも勝てねえってんなら……」
「無駄口を叩くな。ハイジュン」
レンリと同じ、ヤマネコ型獣人の男をヘイシンが睨み付ける。
「次の獲物を探せ。今日はあと二頭狩る予定だ」
「お、おう。了解だ、兄貴」
黙々と、狩り終えた白澤羊の死体を解体しているガオを最後に一瞥し、レンリとハイジュンはその場を去った。
後に残ったヘイシンが、背を丸めて作業に没頭するガオの背を見下ろす。
その傍らには、既に解体された、3頭分の白澤羊の毛皮が干されている。
「ガオ」
「いいんだ、兄貴」
何かをいいかけたヘイシンを、ガオが遮った。
「俺は全力で戦ったんだ。あの戦いに、悔いはねえ」
「そうか」
それ以上語ることはない、と背中で語る弟分に、ヘイシンは苦笑し、木の幹に背を預けて太い腕を組んだ。
「ガオ。俺は、お前が恥ずべき戦いをしたなどとは思わん」
「へ?」
「お前の力は、よく分かっている。あいつらも同じだ。ただ、自分が認めたガオという男が、たかが人族の小僧一人に負けたというのが、気に入らんのだ」
「兄貴……」
目を大きく見開いて、ガオがヘイシンを見上げる。その顔は、遠く向かい側の尾根に向けられている。
「あのヨルという男が只者ではないということは、一目見て分かった」
「え……。け、けど、兄貴。こないだは、興味が失せたって」
「あの時のあやつの目は、まるで火が点いていなかった。この仕事に乗り気でないのは明らかだった。そんな男相手に向こうを張っても詮方あるまい」
「そ、そうだったのか」
「今日の所は、己の務めを果たすことを考えろ。その内に、機も巡ってくるだろう」
「へへっ。……あいよ、兄貴」
そうして暫くの間、二人の男は無言でそれぞれの作業を続けた。
そして、数分後のこと。
「兄貴!」
息を切らせたレンリが帰ってきた。
その目が爛々と輝いている。
「どうした」
冷静に問うヘイシンに、レンリが興奮を抑えられない面持で言う。
「運がいいぜ、兄貴。大物発見だ」
……。
…………。
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