夕焼けの決闘

 赤々と、火が燃えている。

 石造りの舞台の四方に高く聳える巨大なトーチが掲げられ、朱に染まる空の色を写し取るように、舞台を照らしている。

 藍色が侵す東の空には、薄衣のような朧月が。

 今日一日で幾多の男たちの血を吸った舞台の上には、二人の男が。


 暗褐色の道衣に身を包んだ巨漢の獣人。

 黒い外套を風に翻す人族の少年。


 睨み合う両者を、しん、と静まり返った会場の観客が見下ろしている。

 その殆どが獣人種の人々であったが、その客席の中に、人族三人連れの姿があった。


「ヨル君、大丈夫でしょうか……」

 今にも泣きだしそうな声で、ヒカリが声を漏らす。

 彼女を挟んで座るアヤとジンゴは、険しい顔で黙ったままである。

「うう。アヤさぁん……」

 ヒカリがアヤの腕にしがみついた。

 その頭に、ぽん、と掌を乗せ、アヤが苦笑する。


「ごめんごめん。ねえ、曖昧屋。勝てると思う、ヨル君?」

 ジンゴは視線を舞台から逸らさずに答えた。

「普通に考えれば、勝てるわけがない」

「そうよねぇ」

「ええ!?」

 アヤがヒカリの頭を撫でながら言う。

「あのね、ヒカリちゃん。素手の殴り合いで、体重差っていうのは何より大きいハンデなのよ。あの二人、ざっと見ても倍は差があるもの。普通なら勝負にならないわ」

「加えて言うなら、クマ型獣人ウェン族は元々打たれ強さに定評のある獣人種だが、奴のそれは最早異常なレベルだ。まともな攻撃ではノックアウトなど到底出来んだろう」


 ヒカリの顔が青ざめる。

「そ、それじゃヨル君が危ないですよぅ!」

「何言ってんの。ヨル君が危ないのなんかいつものことでしょ?」

「あ、アヤさん。そうじゃなくて。私のために、ヨル君がそんな。そんなの……」

「案ずるな。ヒカリ」

「ふえ?」

「ひとまず、策は授けてある。ヘイシンの弱点は機動力だ。それでも並みの戦士などとは比べ物にならんが、ヨルが唯一勝っている点があるとすればそこだ。速度で撹乱し、常に急所狙いの一撃離脱を繰り返せば、あるいは勝機もあるだろう」

「な、成程」

「ねえ、曖昧屋」

「なんだ」

「どう見てもヨル君、殴り合う気満々の距離にいるんですけど」

「…………あの、大馬鹿者が」


 ……。

 …………。


「この距離でいいのか、ヨル」

「ええ。そのために、今まで体力温存してきたんですから。まあ、レンリには悪いことしちゃいましたけど」

「ふん。よせ。これから叩きのめそうという相手に、敬語を使うものがあるか」

「…………そうかよ。じゃあ、遠慮なく行かせてもらうぜ」

「せめて口上くらい上げたらどうだ、小僧」


 ヨルの腰が低く落ち、目が半眼に細められる。

 顔からは表情が抜け。

 両腕が胸の前で構えられた。


 ヘイシンの巨きな拳が、ゆっくりと握り締められる。

 左前の半身。

 左腕は顔の前に、右腕は腰元に。


 風の音が、二人の耳をすり抜け。

 舞台の四方に燃える炎がはためく。


「生憎と、親から貰った名なんぞ知らん、生まれついての路傍の無頼。恨みつらみは欠片もねえが、渡世の義理にゃあ逆らえねえ。……夜ノ森流柔術、参る!」


「いいだろう。我はウェン族の闘士、『不撓の黒星ヘイシン』。……全力で来い、小僧!!」


 轟音。


 激闘の幕開け。


 互いに繰り出した初手は、右の拳。

 ヘイシンの拳がヨルの右こめかみを掠り、ヨルの拳が、ヘイシンの顎を横に打ち抜く。

 予選でレンリを後退させた、ヨルのカウンターパンチ。

 しかし、顎を揺らされたヘイシンは寸毫も怯むことなく、左の拳を引き絞った。


 ぼっ。


 空気を切り裂き、剛腕が発射される。

「んんっ」

 寸での所で脇を逸らして躱したヨルの全身を、極大のプレッシャーが襲う。

 すかさず、右の裏拳。

 頭を伏せて避ける。

 風圧にうなじが泡立つ。

 右上から、打ち下ろしの左拳が迫る。


 ヨルの眼が、ぎらりと光った。

 ずるり、と、ヨルの体が流体のように動き、ヘイシンの左側へ。

 打ち下ろされた左腕に、上から右の肘を絡ませる。

 脇固め。

 そのまま巨体を引きずり倒そうとしたヨルの体が、浮いた。


「ふんっ!!」

「ぐおっ」


 ヘイシンの規格外の腕力を、制し切れなかったのだ。

 逆に、体を引っ張られたヨルが地に転がる。

 すかさず受け身を取ったヨルに、容赦のない追撃。


 迫りくるヘイシンの巨体に。

「うおらぁあ!!」

 立ち上がった勢いそのままで繰り出した、ドロップキックが突き刺さる。

 しかし。

「ぬぅん!!」

「うあっ」

 ヘイシンは分厚い大胸筋でヨルの全体重を受け止め、弾き返した。

 再び、ヨルの体が舞台を転がる。


「そんなものか、ヨル!!」

「うおおおおお!!!!」


 低い姿勢からの踏み込み。

 迎え撃つ巨大な拳を紙一重で避ける。

 そのまま、巻き付くようなローキック。

 ぱあん!

 乾いた音が響く。


「ふんっ!」

 それを意にも介さず、ヘイシンが拳を縦に振り下ろす。

 体ごと回転して避ける。

 再びローキック。

 巨体は尚も崩れない。

 掬い上げるようなアッパーカットがヨルの胴体を襲う。


「んぎっ」

 両腕を交差させガードしたヨルの体が宙に浮く。

 袈裟斬りの手刀がヨルの肩を打ち。

「がはっ」

 地面に叩きつけられた。


 ついに食らってしまった一撃に、ヨルが歯を食いしばって耐える。

「ん。ぐ、ぉおお」

 そこへ振り下ろされる、追撃の拳。

 受け止める。

 ヨルの足が舞台にめり込む。

 押しつぶすヘイシンの拳を、ヨルが渾身の力で横にいなす。


「うおらあ!!」

 握り締めた拳を突き上げる。

 その、喉元を狙った攻撃に、流石のヘイシンも仰け反り躱そうとした次の瞬間。


 ぱああん!!


 三度、寸分違わぬ個所へのローキックが炸裂した。


「!?!?」


 耐えようと踏ん張ったヘイシンの意思を裏切るように膝が崩れる。

 その、崩れた立膝を、ヨルが踏み台にする。

 翔んだ。


「ずぇああ!!!!」


 全体重を乗せた膝蹴りが、ヘイシンの顔面を横から打ち抜いた。


 ぽろり、と、噛み締めたヘイシンの口から折れた歯が零れる。

 その目が鋭い光を放つ。

「ぬああ!!!」

 空中のヨルを、ヘイシンの両腕が捕らえ、再び地面に叩きつけた。


「かはっ」


 肺から空気を絞り出されたヨルの動きが止まる。


 その頭をヘイシンが掴み、片手で持ち上げた。

 ヨルの足が宙に浮く。

 だらりと垂れ下がったヨルの腕が、弱々しく持ち上がり、ヘイシンの胴衣の襟を掴む。

 ヘイシンはそれを気にすることもなく、逆の拳を引き絞った。

 次の瞬間。


 ざん!!


 ヨルが、握り締めたヘイシンの胴衣を左右互いに引っ張り、全力で擦った。


「ぐあっ」


 固い胴衣が首筋の皮膚と擦れ、凶悪な摩擦熱がヘイシンに激痛をもたらし、指に込めた力が一瞬緩む。

 太い腕を払いのけたヨルが着地。

 ぱああん!!

 四度目のローキック。

 しかし。

「ぐおああ!!!」

 ヘイシンは己の膝が崩れるより早く、拳を振り抜いた。

 その豪速の一撃を、ヨルの腕が絡めとる。


「おおおおおおおおおお!!!」

「ああああああああああ!!!」


 投げた。


 ずしゃあああん!!


 一本背負い。


 巨体が地に叩きつけられる。

「か……はっ」

 今度は、ヘイシンの肺から空気が絞り出される。

 その傍らで、ヨルの膝が崩れた。


 ひゅう。ひゅう。

 呼吸が掠れる。

 どれだけ息を吸っても、酸素が足りない。

 眩暈に視界がぐらつく。

 次から次へと湧く苦い唾を無理やり飲み下す。


 夕焼けに燃える舞台。

 ヨルの体に、長く伸びる太い影が被さった。


 こちらも荒い息をつき、それでも揺るぎない姿勢で立ち上がる、巨漢の戦士。

 ヘイシンのぎらつく目が、ヨルを見下ろした。

 無言のプレッシャー。

 ヨルの口元が、引き攣るように吊り上がった。


「おあああああああ!!!!!」


 踏み出す。

 右手を握り締める。

 振り抜いた拳が巨漢の顎を打つ。

 左のリバーブロー。

 再び、振りかぶりの右。

 人中へ。

 五度目のローキック。

 水月への打ち込み。

 ヨルの連撃が巨体を打つ。

 打つ。

 打つ。


「はあっ。はあっ。はあっ」

「…………しまいか、小僧」


 それでも、ヘイシンは揺るがない。

『不撓』。

 その二つ名の証を示すように。

 そして。


「ああああああ!!!!」

 ヨルのアッパーカットが、ヘイシンの顎を捉えたと同時。


ぅん!!」


 唐竹割の手刀が、ヨルの脳天を直撃した。


 ヨルの体がぐらつく。

 がら空きの胴。


 ヘイシンの重心が一瞬で下がる。

 沈み込んだ体が、大地からの反発を受け。

 力の奔流が、足から腰へ。

 腹を、胸を、肩を伝い。

 螺旋の力学。

 その、集約されたエネルギーは、余さず右拳へ。


「噴っっっ!!!!」


 づどん。


 中段突き。


 その、神樹の根をもへし折る一撃が、ヨルの体に打ち込まれ。

「ご、ぼっ」

 吐血。

 自らが作った、血の海に。


 べしゃ。


 ヨルの頭が、沈み込んだ。


 ……。

 …………。

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