曖昧屋ジンゴ

 その日、メリィ・ウィドウの街に二週間ぶりの雨が降った。

 絶えず漂っていた花の香は鎮まり、代わりに濃い水の匂いが街を満たした。

 月の光を隠して降り続いた雨は、明け方には勢いを衰えさせ、今はもう、薄らと差し込む陽の光を含みながら、しとしとと針のように細い水滴を零すだけである。


 朝のラッシュを過ぎて人心地ついた街の定食屋『ハバキ食堂』には、今、五人の人影がある。三人の従業員、スミレ、ヨーコ、カヤノ。手伝いに駆り出された便利屋見習い、ヒカリ。そして、遅い朝食をねだりに来た新聞屋・アヤである。


「それで、メイファンさんのとこじゃ、何枚割ったんだい?」

「う。それは、その……」

「7枚だそうよ、ハバキさん」

「あああアヤさん! どうして知って――」

「新聞屋だからねー」

「ふん。こっちはジョッキ3つに丼2つ、皿は4枚だ。ウチの勝ちだね」

「カヤちゃん、それ勝ってるのか負けてるの分かんないわよぉ」


 ヒカリは街に着いた時に着ていた聖騎士の服装ではなく、白いブラウスに膝上丈のフリルスカート、これまたフリルたっぷりのエプロンドレスを身につけて、ホワイトブリムで飾られた頭を、掃除の終わった机に突っ伏している。


「うう、大変申し訳ないです」

「いいのよぉ、ヒカリちゃん。私も最初の頃はよくお皿割ってスミちゃんに怒られたわぁ」

「ぐすっ。ヨーコさぁぁん」

「今日はヨルちゃんのとこ行かないの?」

「あ、はい。アヤさんが、今日はちょっとお休みしよう、って」

「へえ?」


「いやー、こう連日だとこっちの身が持たな……ああ、いやいや、ほら。あんまり上手く行ってないみたいだからさ。ちょっと落ち着いて作戦を考えたほうがいいんじゃないかと思って」

「成る程、流石アヤさんです。頼りになります!」

「「「……ふうん」」」

 中年女性三人のジト目に晒され、アヤの背筋を冷や汗が伝う。


「作戦ねぇ」

「それよりあんた、人の世話ばっか焼いてないで、自分の仕事は大丈夫なのかい?」

「しばらく見てないわよねぇ、アヤちゃんの新聞」

 口々にアヤに向けられる冷たい言葉、その内の一つにヒカリが反応した。


 目を大きく見開いて、机に乗り出す。

「アヤさん、記者さんなんですよね。私、アヤさんの新聞読んでみたいです!」

 それを受けて、アヤはニヤリと笑って腕を組んだ。

「ありがとね、ヒカリちゃん。そして皆さま、ご心配なく。私だって仕事くらいしてるわよ。記事はもう書いたから、後は校正と印刷だけよ。明後日には出来ると思うわ」


「あら、そいつはお見逸れしました」

「ほんとぉ。楽しみだわぁ」

「今回は随分時間かかったじゃないか」

 三人の声が明るくなった。


「まあねぇ。だって、ヒカリちゃんが行く先々で騒動起こすから、日に日に書くこと増えてっちゃって。もう切りがないから取り合えず直ぐ出せるのから出しちゃうことにしたのよ」

「「「あー」」」

「ふぐっ。でもでも! 昨日はアヤさんも酷いですよ!」

「うん?」


「私、ここの生糸で作った服の品質を見るからって、それで試着を頼まれたから着たのに! 何故か私の服はなくなってるからそのまま行くしかなくなっちゃって、そしたら吸血鬼に言われたんです! 『お前の着てる服、半分以上絹製品じゃないけどな』って……」

「あっはっはっはっは」


「いやまあ、ヒカリちゃん。確かにみんな悪ノリしてたけどさ、それはもう猫耳カチューシャ付けられた時点で自分で気付こうよ……」

「私、ホントに恥ずかしかったんですから! あの吸血鬼の……あの、あの、憐れみの眼差し……!」

「それで恥ずかしさに耐えかねて、魔法ぶっぱなして自爆しちゃったのよね?」

「うぐっ」


「もう驚かなくなっちゃったよねえ。ミリヤさんなんか、『おや、ヒカリが爆発したね。もうそんな時間か。そろそろ今日は上がろうか』ですって」

「うえええええええん! ヨーコさああああああん!」

「あらあら、泣かないの」


「うーん、さっきの話じゃないけど、対策っていうよりはまず、その爆発する癖から直さないとダメなんじゃないかい?」

「爆発する癖って」

「すごい癖ねぇ」

「うう。でも、いつもってわけじゃないんですよ。単発の聖光魔法ならもう暴発しなくなりましたし。ただ、ちょっとその、気持ちが焦っちゃた時はといいますか、姿勢が前のめり過ぎちゃう時はといいますか」

「コントロールがド下手なのよね、要するに」

「ちょっと苦手なだけです!」


 ここ数日、ヒカリはマーヤとの約束通りに、仕事を引き受ける度、ヨルの元を襲撃していた。仕事が忙しすぎてその前にダウンしてしまうこともあったが、可能な限り勝負を挑んだ。


 結果はいつもグダグダである。

 ヒカリの攻撃は技量不足で当たらないし、ヨルの攻撃は魔力量に差がありすぎて効果がない。最後はヨルが転移魔法で逃げ切るか、ヒカリがテンパって魔力を暴発させ自爆するかで決着(?)がつくのが恒例である。


 当初は心配げに見守っていた街の人たちもすっかり慣れきり、むしろいち早く手馴れて闘牛士のようにヒカリの攻撃を捌くヨルの姿を、『やんちゃな女の子の遊びに付き合ってあげている親戚のお兄さん』ぐらいに思って見守っていた。

 その度に失った魔力分の血を吸われるアヤはたまったものではなかったが、どうせ自分で撒いた種だしと、彼女に対してだけは街の人々の反応は冷ややかだった。

 

「ヨルちゃん、やっぱり手強いでしょぉ?」

「……はい。あの影の動きがもう、ホントに気持ち悪くて……。最近木の葉の影が風で揺れるだけでびくっとするようになっちゃって……」

「この街に居着く前は傭兵団で丁稚働きしてたらしいからね。荒事にも慣れてるんだろうさ」


 スミレの台詞に驚いたのはアヤだった。

「え、ヨル君って、ずっとこの街にいたんじゃないの?」

「何だい、あんた知らなかったのかい」

 カヤノが呆れたように言う。


「来たばっかりの頃は可愛かったわよねえ。背もヒカリちゃんくらいしかなくって」

「えええ。あのひょろ長黒マントがですか? 想像つかないです」

「ヒカリちゃん。あの外套、マーヤさんからのプレゼントだからね」

「す、すすすすみません。今のは聞かなかったことにしてください」


「へえ、そうなんだ。それで妙に外の世界のこと詳しいのね」

「あんたそんなことも知らずに姉貴面してたのかい? 何でも、ジンゴとはその頃からの付き合いらしくてね……ああ」

 そこでスミレは、何かを思いついたように固まった。


「スミちゃん?」

「ああ。どうしようかねえ」

「スミレ。あんたまさか――」

「まあ、こういう時のためのあいつなわけだしねえ」

「やめましょうよぉ、ヒカリちゃん可哀想よう」

「え? え?」


 いつの間に自分の話になったのだろうと、ヒカリが慌てた。

「まあ、なんだかんだ悪いようにはしないだろう。アヤ、ちょっと頼まれてくれるかい」

「えええ、また私?」

「あんたさっき原稿は終わったっつっただろ。案内と、相談と、護衛も兼ねてね」

「あのう、私はどうなってしまうのでしょう」

 びくつきながら尋ねるヒカリを、意地悪そうな笑みを浮かべてアヤが見下ろす。


「『曖昧屋』に紹介されてしまうのよ、ヒカリちゃん」


 ……。

 …………。

 

 日が高く昇る頃には、雨はすっかり上がっていた。

 淡く銀色に光る空から、ところどころ陽光が差し込み虹を作っている。

 鳥の囀りがどこかから聞こえてくる。


「その、ええっと、何屋さん、って言いましたっけ」

 斑に乾き始めた目抜き通りの石畳の上を、アヤとヒカリは連れ立って歩いていた。

「曖昧屋よ」

「初めて聞きます」


 二人の歩みは、どことなく重い。

 前を歩くアヤの足取りが平時よりも遅いことに、ヒカリはますます不安を募らせた。

「まあ、基本は魔道具の技師のようなことをやってるんだけどね。薬師みたいなこともやるし、鍛冶師みたいなこともやるし、何故かこの間は釣竿作るのに熱中してたし。ふらっと消えては何処其処の森に行ってきただの魔国の某に会ってきただの、冒険者みたいなこともやれば傭兵みたいなこともやるし。かと思うと帝国の白騎士の隊長と懇意にしてる様子もあるし。古物の取引にも詳しければ、畑の野菜作りに口出しする時もあるし」


「え、ええっと、それは結局、何屋さんなんですか?」

「だから、『曖昧屋』なのよ。ただの蔑称だけどね。本人も言われて悦に入っちゃったもんだからすっかり定着しちゃって」

「へええ、すごい人なんですねえ」

「すごい、変な奴なのよ。ああ、そういえばこないだは今日の長雨も予知してたっけ。ついに占い師にも手を出したのかしら」


「お天気予報もできるんですか。やっぱりすごいです」

「お天気予報? 聖都にはそんな技術があるの?」

「あああ、いえいえ、あの、ええっと、昔おとぎ話の本で読んだんです」

「ふうん。占術じゃなくて? 聞いたことないなあ。ま、兎に角そんなわけでね。あいつもある意味便利屋みたいなもんなのよ、この街ではね。魔道具関連のことならあいつに聞けば間違いないし、魔法のことにも詳しいみたいだから、魔力のコントロールのこと、何かいい方法があるかもしれないわ。ああ、着いたよ、ヒカリちゃん」


 アヤが足を止めると、そこは街外れのボロ長屋の前だった。

「あれ? ここって……」

「そ。わたしんち。そんでもって――」


 その時、向かって左端の部屋の前で、草むしりをしていた長身の少年が顔を上げた。


「やっほー。セクハラ吸血鬼君」

「あれ。アヤさん。こんな時間にどうし……うわ」

 久しぶりに何の予定もなくなったので、家の周りの掃除をしていたヨルであった。


「うわ、ってなんですか! 人の顔を見るなり失礼な!」

「人の顔を見るなり襲いかかってくるやつに言われたくねえよ!」

 両手を振り上げて憤慨するヒカリにヨルも立ち上がって怒鳴り返す。ヒカリは思わず後ずさった。


「き、急に立ち上がらないでください! ひょろ長黒マ、……青白男!」

「何しに来た何様なんだよお前……」


 説明中。

 説明中。


「はあ、それで魔力のコントロールについて、ジンゴに相談を?」

「そういうこと」

 ヨルに事情を話すアヤの背中に隠れて、ヒカリはヨルを睨み付けている。

 ヨルはそれを面倒くさそうに一瞥すると、溜め息を一つ溢した。

「まあ、いいんじゃないですか」

「え!?」

 ヒカリが驚いたような声をあげる。


「ど、どういうつもりですか?」

「何が」

「私の魔力コントロールが上手くいくようになれば、あなたなんて直ぐに討伐されちゃうのに……」

「何なんだよその自信は。すげぇな。逆だ、逆。出鱈目にぶっぱなされるほうが迷惑なんだよ。ちゃんと狙ったとこに矢ぁ飛ばしてくれりゃあこっちも避けやすいんだっての」

「ふ、ふん! いいでしょう。その余裕、後悔させてあげます!」

「させてみな。へっぽこ」

「あ、あほー! 陰険! ガリガリ男!」

「ヒカリちゃん。お姉さんを盾にして喧嘩するのやめてくれるかな?」


 結局、三人でジンゴに相談を持ちかけることになったのだった。


 ……。

 …………。

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