結びは花見酒 ~春の話・おしまい
「教官! 大変です!」
「どうした、血相変えて」
「ヒカリ・コノエです!」
「うぐっ! はあぁぁ。そうか、折角田舎の街に飛ばしてやったというのに。やはりダメか……」
「……それが、ですね」
「何だ、何を壊した? 相手は誰で補償内容は何だ。あの街には大した文化遺産もないはずだぞ。それを見越して派遣してやったというのに……」
「それが……その……差出人は港国からでして」
「港国だと!? 馬鹿な…とも言い切れんか。あの娘のことだからな。はああ。よい。もう覚悟は決めた。言ってみろ」
「それが、港国の警備隊からなのですが、港国領で発生した災害級の魔獣をヒカリ・コノエが討伐した件で、その…第5支部宛に、感謝状が……届いております」
「一体いくらの……………………何だと?」
「抗議文でも請求書でもなく、感謝状です。私も何度も確かめました。上から下まで、隅から隅まで文面を読み、何かの暗号ではないかとすら疑ったのですが……」
「………」
「………」
「あの養成校始まって以来の問題児が?」
「はい」
「災害級の魔獣を退治したと?」
「………どうやら、そのようで」
「はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!???」
……。
…………。
「では、行きます」
雲一つない晴天の下。
乳白色の液体が入ったフラスコを握り締めたヒカリが呟くように言った。
ヒカリの目の前には、暖かな春の日差しの中にあってなお寒々しい、葉をなくした桜の古木が立っている。
周囲には何人かの街の女性たちと、ボロ長屋の住人3人。そして、仏頂面で腕組みをするシャオレイ。
緊張した面持ちでヒカリがゆっくりとフラスコを傾ける。淡く光っているような、とろりとした液体が桜の木の根元、苔生した地面に垂れ落ち、じわりと染み込んでいく。
数秒と経たず最後の一滴が滑るように滴り落ちると、ヒカリはフラスコを握り締めて数歩下がった。
木を見上げる。
風がないゆえ、そよとも動かない枝葉に、暖かな光が降り注いでいる。
ヒカリは薬の効果が現れるのを待ちながら、この日までの苦労を思い出していた。
『囁く者の森』での採取を終え、無事メリィ・ウィドウの街へと帰還したヒカリを待っていたのは、街入口の広場に集まっていた女性たちの歓待と包容と叱責と痛罵と褒賞と、その他色々の嵐であった。もみくちゃにされるヒカリは疲労と安堵で意識を失い、その後丸一日眠りこけ、ジンゴとヨルはその日から春光丹の精製に取り掛かり、二人してアトリエに引きこもった。
ヒカリが次の日の夕に目を覚ますと、自分に客人が来ていると告げられ、行政署に向かわされた。そこでヒカリを待っていたのは、見たこともない海人の男性であった。
「あなたがヒカリ殿ですね。私はヴァルダナ王国警備隊所属ラジーブ・ラムといいます」
「はあ」
彫りの深い色白の偉丈夫に突然へりくだった挨拶をされ、目をぱちくりとさせたヒカリに、海人の男が告げた話はさらに衝撃的な内容であった。
あの巨大な迦楼羅蝙蝠は、港国領内で発生した魔獣を喰らうことで異常な進化をしていたらしく、それを追っていた帝国の調査団チームと傭兵団一行が『囁く者の森』に入った時には、既に二体の魔獣は屍となっていた。しかも蝙蝠の魔獣の方は明らかに人の手で討伐された様子であり、事情を調査した結果この街にたどり着いたとのこと。
そして街の住人(恐らくはアヤ)から大凡の概要を聞いた結果、その功労者であるヒカリに、港国から、本来傭兵団に支払われるはずだった討伐報酬が進呈されることになったのだという。
「ええ!? い、いや、その……倒したのは私一人じゃなくて、他に3人―」
「その3人が言うには、恐らくあなたはそう言って受取を固辞するだろうが、自分たちは公に記録を残されると障りのある身分なので、権と責を全てあなたに押し付けたい、とのことなのです」
「えええ……でも、傭兵団の人たちにも申し訳ないですし」
「そもそも報酬の受取を拒否したのは彼らですよ。仕事以上の金を受け取るわけにはいかない、と」
「うううん」
頭を抱えたヒカリを見かねて、ヒカリと連れ立って来た街の女性がラジーブに問うた。
「ね、お兄さん、その報酬って、いくらくらいなの?」
「このくらいですな」
ラジーブが差し出した羊皮紙をヒカリと一緒に周りの女性たちも覗き込み、そこに書かれた0の数を見て一同言葉を失う。
「こ、こここここ」
「落ち着いて、落ち着くのよヒカリちゃん」
「だっだだ、だって、だってクーネさん」
何故かクーネの胸にしがみついて涙目になるヒカリに、後ろでそれを見ていた街の管理者・マーヤが耳打ちした。
「ヒカリ。こういうのはどうだい」
「……え?」
その耳元で囁かれた内容に、ヒカリの表情がころりと代わり、落ち着いた表情で待つラジーブに光るような笑顔が向けられた。
「ラジーブさん。その報酬、謹んで拝領致します」
「ええ。そうしてください」
そして。
「おばあちゃん!」
「何だい、赤ん坊、もう起きたのかい」
「はい! ご心配お掛けしました」
「誰も心配なんざしちゃいないよ。全く、久しぶりに静かな街になったかと思ったら……」
「えへへ」
「何笑ってんだい」
「あのですね、おばあちゃん」
「何だい、尻尾なら触らせないよ」
「この家を、改築します!」
「……何だって?」
「聞きましたよ。もう家が大分痛んでるから、街中に住まいを移すようにみんなに言われてたのに、この場所を動くわけにはいかないって、ずっと断ってたの」
「当たり前だろう、この場所は死んだ旦那の……」
「ですから! この家を建て直しましょう! 半端に補修するんじゃなくて、いっそ、ばあーんと!」
「馬鹿言うんじゃないよ、そんな金が一体どこに―」
「ここにあるのです!」
「あん? ……んなあ!? 何だいその小切手は!」
「これだけあれば、こんな丸太小屋、劇的ビフォアアフターですよ!」
「何言ってんのかわかんないけどね、お断りだよ、あたしゃあんたらの世話になる気は―」
「そう言うだろうと思って、既に業者さんは手配してあります! 見てください。マーヤさんとカグヤさんからも許可を頂きました!」
「あの小娘どもが!」
「さあ、観念してください、おばあちゃん」
「はあ。全くやれやれだねぇ」
「さあ、家具を一度外に運び出しましょう。便利屋の私の出番というわけです!」
「はいはい。好きにしなよもう」
「えへへへ」
……。
…………。
すっかりぴかぴかになった新築のログハウスの入口で、シャオレイがむっつりと押し黙っている。
ヒカリと、周囲の種族様々な人たちが不安げに見守る中で。
桜の古木の、その根元の幹が、薄らと光り始めた。
ミルク色の淡い光が、脈打つように、ふわり、ふわりと明滅しながら幹の上へ昇っていく。
上へ、上へ。
ゆっくりと、朝陽の昇るように。
光は次第に分散し、寒々しい枝の一本一本に渡っていく。
やがて先まで染み渡ると。
日の光と溶け合い。
そして、夢幻となって儚く消えた。
数秒後。
始めは一粒であった。
ぽつり。
枯れた枝の先に、赤子の手のように小さな蕾がぷっくりと膨らんだ。
ぽつり。ぽつり。
やがてこちらの枝でも、あちらの枝でもその淡い眞白が萌出て。
やがて、一面みっしりと生まれた蕾の重さに枝が幾らか垂れた時。
ふうわりと、白い花弁が姿を現した。
春の陽光を吸い取り、吸いきれなかったそれが溢れ出すように。
はらり。
はらり。
桜の花弁が、開いた。
「…………ふわあ」
ヒカリの口が丸く開く。
周りの人たちも、一様に言葉を失い、その光景に見入った。
やがて最後の蕾が開き切り。
まるで豊満な果実の如く。
満開の桜が、ヒカリを見下ろした。
ヒカリはフラスコを握ったまま振り返り、街の女性たちの元に歩み寄る。
みな、開いた口が塞がらずに、少し時期遅れの桜を見上げている。
「みなさん!!」
朝陽のような晴れやかな顔で、ヒカリが笑った。
その髪に、ひらりと花弁が舞い落ちる。
「お花見。しましょう!」
……。
…………。
それは、盛大な宴であった。
街の住人の殆どが入れ替わり立ち代り訪れ、食べて、飲んで、歌って、踊った。
桜の古木はその全てを見下ろし、はらり、はらりと花弁を散らした。
工場は停止し、食堂は交代で食事を運び、秘蔵の酒瓶は残らず開けられた。
弦楽の調べはエルフの女性が。
歌は魔族の女性が。
踊りは獣人の女性が。
マーヤは夢のようなドレスを身に付け典雅に舞い踊り、カグヤは声楽隊もかくやという音量と美声でとろけるような歌を歌い、ミシェルのハープの玄妙な音色には野次が飛ばされ、ヨルの拙いギターには黄色い声が上がった。
寝不足のジンゴは大量の酒瓶に埋もれるようにごうごうと鼾をかき、アヤはいつもよりも露出度の高い服で即席の舞台を引きずり回された。
土と、木と、花と、酒と、油と、香辛料と、砂糖と、汗と、様々な匂いが溶け合い。
歌と、音楽と、笑い声に掻き回されて、春の陽気を昇っていく。
その、喧騒の中で、転がった丸太にひっそりと腰掛けるシャオレイの元に、ヒカリが歩み寄った。
「あの。おばあちゃん」
木苺のジュースで割ったブランデーをちびちびと飲みながら、気怠げなシャオレイが首を傾ける。
「何だい。浮かない顔じゃないか。今日のMVPが」
少し間を開けて、シャオレイの隣に腰を下ろす。
「その………迷惑でしたか?」
不安な顔で、ちらりとシャオレイの顔を伺う。
「勝手に、家立て直したり、桜の木、治したり……」
「ん?」
「おばあちゃん、あんまり楽しくなさそうだから……」
ヒカリの顔が俯いた。
シャオレイはそれを見て、目を細めた。
「あの木はね」
ぽつりと、呟くように話しだす。
「ずぅっとあそこにあった。私が木登りを覚えたのもあの木さ。死んだ旦那と初めて会ったのも、戦場で死にかけた私に旦那がプロポーズしてきたのも、あの木の下だった。旦那はあの桜が好きでねえ。よく一緒にあそこで飯を食った。子供が出来たら子供と一緒に、孫が出来たら孫と一緒に食った。今はもう、一緒に飯を食う人は誰もいなくなっちまったがね。それでも、あの木の手入れをしてるうちは、まだ私も家族と繋がってるような気がしてた」
「……おばあちゃん」
「まさかもう一度、あの桜の花の下で、飯を食える日が来るとは思わなかったよ」
穏やかな顔で桜を見上げるシャオレイの顔を見て、もう一度ヒカリは顔を俯かせた。
「ジンゴさんの、おかげです」
「あん?」
「薬を作ってくれたのはジンゴさんですから。それに、素材の採取だって、私ひとりじゃ全然できなくて、アヤさんは危ない目に合わせちゃうし、結局吸血鬼にも助けられちゃうし」
「何言ってんだい」
「私、やっぱりダメダメですよね。助けられてばっかりで。ちゃんと、一人前の立派な聖騎士になるって、みんなにも約束したのに……」
『私、大きくなったら、おばあちゃんみたいな立派な戦士になるの!』
シャオレイの記憶から、在りし日の幼子の声が蘇る。
その皺だらけの手が、ぽん、とヒカリの頭に置かれた。
「でも、あんたがいなきゃ誰も桜を治そうなんて言わなかった」
「……え?」
「あんたがあんなにぼろぼろになるまで頑張ったから、周りのみんながあんたを助けたんだ」
それは、いつしかジンゴに言われたセリフだった。
いつの間にか目に涙を浮かべていたヒカリが、シャオレイを見上げる。
「見な。あの桜は、あんたが咲かせたんだよ」
「おばあちゃん……」
陽光の中に、花弁が舞い踊る。
「ありがとうね。ヒカリ」
優しい声が、ヒカリに染み込んでいく。
「うぅ……ぐす」
「何で泣き出すんだい」
「だって………ひぐっ。わたし、ぐす。いつもいつも、周りに迷惑かけてばっかりで……『ありがとう』って、言われたこと、なぐて……」
大きな目から、ぽろぽろと涙が溢れ出した。
「しょうがない子だねえ。ほれ」
「え?」
泣きじゃくるヒカリの前で、もこもこの尻尾が揺れた。
「尻尾。もふもふするんだろ?」
「でも、私……」
「服の端っこ、掴まれちまったからねえ」
見ればいつの間にか、ヒカリはシャオレイの臙脂色のベストの端を握り締めていた。
「う。ぐす。うえええええん。おばあちゃあぁぁぁぁぁん」
「これ、洟水つけるんじゃないよ!」
「だあってぇぇぇぇ」
「やれやれ」
『私、おばあちゃんの尻尾、大好きよ。暖かくて、お日様の匂いがするの』
「泣き虫は治らないねえ、ヒカリ」
「うえへへへへへ。しあわせですぅぅぅ」
……。
…………。
「もう一曲いっちゃうー!?」
「いけいけー」
「「「アーヤちゃああん!!」」」
「ひゅーひゅー」
「脱げ脱げー!」
「イエエェェイ!!!」
「ちょ、ちょおぉお! アヤさん! ストップ! ストップですー!!」
「はあぁいヒカリちゃんつっかまっえたぁー」
「はぶ。よ、ヨーコさん。はな、離してくださいぃ」
「ほらほら、ヒカリちゃんも飲んで飲んで」
「わぷっ。あ。駄目、駄目です、私、お酒は―」
「それそれえー」
「う。んぐ。ぐ。ぐ」
「おかわりあるわよぉ?」
「う」
「う?」
「うぇひ」
「うぇひ!?」
「うえへへへへへへへ」
「ちょ、ちょっと? ヒカリちゃあん?」
「いえええい、アアヤさああん!」
「おお? ヒカリちゃんも踊っちゃう!?」
「わらひも脱ぎますううぅぅ」
「「「ヒーカリちゃあああん」」」
「イエエエエエイイ」
「ちょ、ちょおお! ヒカリちゃん! ストップストップ! 全部はまずい! 全部はまずいって!」
「アヤさんもほれえええ」
「いやあああああああ」
「ヨルは見ちゃだーめ」
「見ませんよ、マーヤさん」
「………私のなら見てもいいのよ?」
「酔っぱらいがいるなあ」
「マーヤさん! ヨル君独占禁止法違反!」
「うるさああい。私が法律だー!」
「お水持ってきますねー」
「逃げるなー!」
陽はうららかに。
宴は錦。
野は桜色。
……。
…………。
そして日も暮れて。
すっかり冷たくなった空気の中、ヒカリを背に負ぶったヨルが、石畳を歩いていた。
「あう。すびばせん」
「絶対聖気漏らすなよ」
「あい」
宴の片付けを終え、足腰の立たなくなったヒカリを運ぶヨルを、しらしらと月光が照らしている。
黒い外套を、ヒカリの小さな手が握り締めている。
「あの……」
「うん?」
酔いも覚めだしたヒカリが、躊躇いがちに声をかけた。
「あの、その、こないだは、助けてもらって、ありがとうございました」
「今言うのかよ……」
「うう。だって!」
「あー、いや。いいんだ。それより……、その、俺も言わなきゃいけないことがあって…」
いつもどおりに言い合いになりそうなところを遮って、ヨルが言葉を探す。
「……ええと、……その、何だ。……ヒカリ」
「え?」
不意に名前を呼ばれたヒカリが固まる。
「……悪かった」
「………はい?」
「お前が採取依頼を受けた時、ホントは俺が、ちゃんとやり方を教えてやらなきゃいけなかったんだ。他の便利屋の仕事は街のみんなが教えてくれるけど、こればっかりは、俺が教えなきゃいけなかった」
「そ、そんな……あなたが謝ることじゃ。私こそ、勝手に突っ走っちゃって」
「今度、一緒に行こう。色々と、教えるから」
「………はい」
しばらく沈黙が流れて。
「あの」
「ん?」
「ええ、っと………その、……ヨル君」
「お、おお」
今度はヨルの表情が固まった。
「私も、その、ごめんなさい」
「え?」
「あなたのこと、何も知らずに、酷いこと言っちゃって。いっぱい、迷惑かけちゃって」
「いや、まあ、聖騎士ならしょうがないだろ」
「私、あなたを討伐するの、やめにします。その代わり、便利屋の仕事、一杯頑張ります。頑張って一人前になって、あなたのこと、見返してみせます」
「そうしてくれ」
「だから、その、私が一人前の聖騎士なれたら。……その時はまた、勝負してくれますか?」
「………イヤだ」
「ふふっ」
「ははは」
そうこうしているうちに、白塗りの石造りの家が見えてきた。
「あ、えと、ヨ、ヨル君。もう大丈夫です」
ヒカリが降りようとするのを、ヨルは少し躊躇って抱え直した。
「ヨル君?」
少し、沈黙が流れる。
ヨルの顔に、何かの決意の色が現れ。
「なあ、ヒカリ」
「はい?」
ヒカリはきょとんと首を傾げる。
「知ってるか、この世界にはな、
「ええ!? そうなんだ、あ。そっか、だからあの時、アヤさんとジンゴさん不思議そうな顔して………………………え?」
背にヒカリを負ったまま、前を向いたヨルが問うた。
「ヒカリ。お前、転生者なのか?」
……。
…………。
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