誰かに似た人

「吸血鬼、ですか?」


 色彩を失った冬の草原をうねるように拓いた灰色の道に、薄く張った雲にぼかされた曙光が差し込んでいる。

 ガタゴトと乾いた音を立てて、幌馬車が北上していく。


「ああ。君たちも聖騎士なら知っているだろう? 闇夜に巣食う魔性の鬼。生き血を啜る人食いの怪物さ」

「え、ええっと……」

「まあ、……はい。それなりに」

「??」


 手綱を握る金髪の男――サカキは、自身の馬車の、本来ならば仕事の商品を乗せる幌に乗る二人の聖騎士の、その歯切れの悪い返事に訝し気な顔で振り返った。

 一人は燃えるような緋色の髪を頭の後ろで一つに結わえ、もう一人はふわふわとした栗毛を二つ結びにした、どちらもまだ年端のゆかぬ少女。

 互いに顔を見合わせ、どこか気まずそうな表情を浮かべている。


「え、ええっと。その、吸血鬼が一体……」

 恐る恐るといった様子で話の先を促されたサカキは、その態度に不思議そうな顔をしつつも、手綱を握る手に力を入れ直し、説明を始めた。


「昨年末の魔国領で、さる貴族家の私兵と吸血鬼の群との大規模な戦闘があったのさ」

「「え!?」」

 二人の少女の驚愕の声が揃う。

「極秘裏にね。恐らく教会も把握してはいないだろう」

「どうして……」

「当然、教会に露見してはまずい事情があったからさ」

「??」

「あれは、実験だったんだ」


 サカキは戸惑う二人に視線も向けぬまま、声を一段低くして言った。


「人造の勇者のね」


「勇者……?」

「人造の??」

 ますます混乱するヒカリとツグミだったが、サカキはやはり二人を顧みることもなく、馬の背に視線を向けて語りを続けた。


「勇者とはそもそも、魔王に対峙するための存在だ。歴史の中、戦乱の起きるたびに何処からともなく彼らは姿を顕し、消えていった。その最大の特徴は、個人で一個の軍勢に匹敵するとまで言われる莫大な魔力量。先の勇者――ミツキ・ミカグラも、真祖の吸血鬼と正面から渡り合えるほどの陽の魔力を有していたそうだ。そんなものはもはや、人間じゃない」

「……」


 ヒカリが、外套の端を握り締め、俯いた。

 ツグミはそれに気づきその手を上から握る。


「けど、おかしいとは思わないか。そんな魔力をその身に抱えて、何故彼らは鬼へと転化しない?」

「え?」

「人の魂に魔力を注ぎ込むだけなら、今の人族の技術ならそう難しいことじゃないんだ。けど、無理にそれをやれば魂が人の形を保っていられなくなる。

 頭のネジが外れた男がいてね。それはもう証明されている。だからこそ、勇者という存在が異常なんだ。彼らの本当の特異は、魔力そのものというより、それを保有してなお魂が形を失わない耐久性にある、と、その男は考えた。逆に言えば、そこをクリアしさえすれば何も天佑を待たずとも人の手で勇者を生み出すことができる、とね」


「それで、その実験は……」

 ツグミが恐る恐る問うたその声を受け、サカキは変わらぬ低い声音で答えた。


「勿論、失敗さ」

「え……」

「あんなもの・・の、何が勇者だ」

 吐き捨てるように、そう言った。


「さ、サカキさんは……」

「ああ。俺も、その実験の現場にいた。地獄絵図だったよ。吸血鬼も、勇者も、俺にしてみれば大して変わらない、ただの化け物さ。戦闘の余波で湖畔は滅茶苦茶。観測隊もいるにはいたが、とてもそれどころじゃない。人造の勇者は死んで、相手の第二世代も重傷を負った。向こうが苦し紛れに放った大規模な転移魔法で、戦闘は強制終了となった」

「そんな、ことが……」

「困ったのはそれからさ。最後の転移魔法に色んな連中が巻き込まれてね。中には不運な観測班の男もいた。それがこの聖国領に飛ばされたことが分かったまま行方知れずになったんだ。その貴族家からしたら気が気じゃないさ。俺はそいつの捜索に駆り出されたんだ」


「そう、だったんですか……」

「素性を隠してたのは謝るよ。けど、カムフラージュに商人の振りをして、積み荷に魔石を積んでたのは本当さ。それを怪異に奪われたのも」

「で、でも、大丈夫なんですか、私たちにそんなこと話しちゃって!?」

 心配そうな顔で言うツグミの声に、サカキはようやく二人の少女のほうを向くと、自嘲めいた笑みを浮かべた。


「勿論大丈夫じゃない。俺はもう、聖都には戻れない」

「「ええ!?」」

「いいんだ。却って丁度良かったくらいさ。逃げ出すための口実が出来た」

「……」

「もううんざりなんだ。俺はただ、人の役に立つ人間になりたかった。憧れの人がいてね。俺を助けてくれたその人みたいに、誰かを救える人間になりたかった。それがいつの間にやら化け物と化け物の喧嘩に巻き込まれて、汚れ仕事を引き受けさせられて、帰ったところでもう日の下を歩ける生き方はできない。なら、せめて最後にあの街の人たちくらいは助けてあげたいじゃないか」

「街の人たち、ですか?」


「ケロスの三頭蛇、だっけ? 俺は本当に、そんな魔獣の話は聞いたこともないけどね。けど、昨日言ってたろ、魔国の南部の小村に残っている伝承だって。地理的には辻褄が合わなくもない。ひょっとすると、冬眠中の個体が例の転移魔法に巻き込まれたのかもしれない」

「あ……」

「この辺りは魔国に比べれば穏やかな気候だ。もし、急な温度変化で季節を勘違いしたそいつが目覚めたんだとしたら? しかも、そいつは魔力を吸い集めるタイプの魔獣なんだろう? この時期じゃまだ大地に魔力は満ちてないし、そもそも土地の持つ魔力自体、魔国と比べれば桁外れに低い。きっとそいつは、今に人を襲い始める」

「……」


「俺は聖騎士にはなれなかった。できることといえば魔力の探知が精一杯。それにしたって、俺と同じことができる奴なんか掃いて捨てる程いる。ヤバい連中の傘下につけられて、ヤバい仕事を手伝わされて、それでも一回くらい、人の役に立ってみたいじゃないか。胸を張って、自分の価値を示したいじゃないか」

 その言葉は、とても弱々しくて。

 それでも、ヒカリの心臓を柔らかく打った。

「憧れてたんだ。物語の英雄に。困っている人たちの元に颯爽と現れて、難なくそれを助けちゃって、それでも、『人として当然のことをしたまでさ』、なんて言ってさ」


 言葉を失っていた二人の少女から、サカキは再び視線を逸らし、少しだけ声音を明るくして言った。

 濃い金色の髪が、曙光を反射して光を零す。

「だから、君たちに着いていくことにしたんだ。感謝してるよ。俺一人じゃ、何を言ったって街の人に信じてはもらえなかったから。自分がどれだけ役に立つかは分からないけど……」


 その言葉に、それまで黙り込んだままだったヒカリが顔を上げた。


「大丈夫、ですよ」

「え?」

「前に、ジンゴさんに言われました。大事なのは自分にどんな力があるかじゃない。その力を使って何をするかだ、って。だから、大丈夫です。サカキさんが、誰かの役に立てる人間になりたいって、本当にそう思うなら、私たちは協力し合えると思います」


 その言葉に、サカキはぽかんと口を開け、次の瞬間、慌てたように前に向き直った。

「そうか……」

 ヒカリとツグミからは見えなかった。

 サカキが何かを堪えるように、歯を食いしばり、俯いたその表情を。

 大きく、息を吸って。


「……ありがとう、ヒカリさん」

「はい」

「??」


 気恥ずかし気な二人の声が風に流され、ツグミはそれを不思議そうな顔で見ていた。


 ……。

 …………。

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