005 『魔物娘と入浴と』

「はじめて使ったけど、日本のお風呂っていいわね~」


 湯気を立ち上らせながら、上機嫌でレイアが出てきた。二房に結われていた金髪が今は解かれてそのまま後ろに伸ばされており、少し新鮮な感じだ。


「なんだ、レイアのとことは、そんなに違うのか? しかし、それにしても……」


 風呂上りのためか羽織ったバスローブの胸元からは、大きな二つの膨らみが包みきれずに覗いている。裾から伸びる下半身は勿論蛇であるが、上半身に関しては湯上りということもあり、とても色っぽい。


「んー、でも少しのぼせたみたい。ちょっと休むわ……」


 そう言ってソファに尾を巻かせてレイアがくつろぐ。本来なら三人がけのソファなのだが、その長い尾のおかげで彼女一人に占領されてしまった。


おかげで先に座っていた俺は追い出されたが、くつろいだせいで更にはだけた胸元を拝めたので相殺だ。レイアのほうは気づいた様子もないので、ありがたく目の保養をさせてもらう。


「……彰さん」


 ジト目で依織がにらんできた。レイア本人が気づいてないといっても、流石にこの状態で見続けるわけにもいかない。少し名残惜しいながらも、視線を外すことにする。


「あー、じゃあ依織も風呂に入ってきたらいいんじゃないか」


「いえ、私は後でいいですので、彰さんが先に入ってください」


「そうか、そっちがそう言うなら。じゃあ、先に入らせてもらうな。一応言っておくが、わざわざレイアと喧嘩とかしないでくれよ」


「大丈夫です、そんなことしませんよ」


そう答えて微笑む依織に少々心配を感じながら風呂へ向かう。そのまま、着替えを脱衣所に用意すると服を脱ぎ浴室に入る。そして、目の前に広がる光景を見てしみじみと呟く。


「まぁこれならレイアがお嬢様だとしても、満足するよな」


何の木かは知らないが良い香りのする木製の浴槽は、レイアと依織が元の姿で一緒に入ってもまだ余裕があるほどに大きい。当然、洗い場の床も浴槽と同じ木製でそれ相応の広さだ。しかも惜しげもなく溜められていくお湯はただの湯ではなく、れっきとした温泉である。


こういう日本風の風呂を体験したことのないレイアなら、なかなかに新鮮な体験だろう。


「正直、どこの銭湯だって話だよなぁ。……色々と謎は多いけれど」


 文句なしに贅沢な風呂であるが、実は色々と釈然としないことが多かったりする。身体を洗いながら、それについて思いをめぐらせる。


 まず何故こんな大きい風呂が必要なのか。一般家庭にこんな銭湯染みた風呂はいらないだろう。だが昔からあったようだし、この家がやたら広いことを鑑みれば納得できる範囲ではある。


 では何故温泉が出るのか。このあたりに源泉があるとは聞いたことがない。それなのに惜しげもないほどに温泉が湧き出続けているのである。これは明らかにおかしいが、もしかしたら本当に偶然我が家の地下にだけ温泉が眠っていたなんてこともあるのかもしれない。


それより更におかしなことがある。


この風呂一番の謎、――それは床や浴槽に使われている木だ。

俺が生まれた頃からこの風呂はあった。しかし今に至るまで黒ずみや汚れはなく、木の良い香りを放ち続けている。毎日のように、ただのお湯ではなく温泉を使われているのに、だ。


 流石にこれはおかしいだろう。別に特別な方法で手入れをしているとか、リフォームをしたなんて話は聞いたことがない。


 考えても見れば、そもそもこの家自体もだ。普段の掃除以外ぐらいしかしていないのに、老朽化などとは無縁な感じである。木造日本家屋など、手入れや管理が大変なものの筈なのに。


「なんて、深く考えたところで結局なんの意味もないんだがな」


 考えたからといって真相が分かるわけもなし。実際のところ、レイアが入ったばかりの浴槽に入っていることを意識してしまって、それを紛らわせるためにしただけの考え事なのである。


故に、それに返事があるとは思ってもみなかった。


「何の意味がないんでしょうか?」


「えっ?」


 ガラリ、という戸の開く音。それに反応して、入り口に視線を向ける。


「お背中、お流しに来ました」


 そう言いながら声の主、というか闖入者であるところの依織は微笑んだ。それも、蜘蛛の身体の上は、小さなタオルで胸元を隠しただけという危険極まりない姿で。


「まずは、お手を拝借しますね」


そのまま依織は身体を洗っていた俺の後ろにくると、あろうことか俺の手を掴んだ。瞬間、蜘蛛の部分が人間に、即ち完全な美少女の姿に変貌する。


「いや、お前、何を」


「なにって、最初に言いましたとおり、彰さんの御体を洗いにです」


「それからしておかしいだろ。しかも、なんでわざわざ手を……」


「だって、彰さんは人の身体のほうが良いでしょう? 片手しか使えませんが、そのぶんほかの部分を使って綺麗にしてさせていただきますね」


そんな言葉とともに、長い黒髪が俺の肩にかかる。


――むにゅり。


「なっ……!?」


背中に小ぶりな、けれどとてもやわらかいものが押し当てられる感覚が伝わってきた。


「はしたない女と思わないでください。出会って間もないし、記憶喪失ですが、私、彰さんのことを本当にお慕いしているんです」


「いや、あの、ちょっ」


「彰さんに御恩があるというのは勿論ですけど、それだけじゃなくて、一目惚れ、っていうんでしょうか。なんだか彰さんのことを思うと、胸がどきどきして……」


「そっ、そんな」


女の子特有の、甘い香り。背中に伝わるやわらかさと、やさしい暖かさ。しかも一目惚れをしたという依織の言葉のとおり、触れ合った肌から彼女の鼓動が早鐘を打っているのが分かる。


もう、どうでもよくなってきた。依織は可愛いし、もう耐えられそうもない。


「遠慮なんて、しないでください。私も好きでやっているんですから。ほら、彰さんも、私の身体を好きにどうぞ。確か、私の脚のほうをよく見ていましたし、お好きなのですよね?」


「あっ、あぁ、依織の脚は凄く綺麗だ。けど、それ抜きでも依織は凄く魅力的、だと思う……」


「ふふっ、本来の身体でないのは少し残念ですが、魅力的と思ってもらえるのは嬉しいです」


 依織の甘いささやきに、浴室の暖かさとあいまって頭がぼうっとしてくる。


そもそも何故俺は耐える必要があるんだ? 今の依織は手を繋いでいるから完全な美少女。そんな彼女が風呂に入ってきて、あまつさえ俺のことが好きだといって身体を洗ってくれる。そのうえ、その素晴らしい脚を俺が好きに触っていいとまで。


まさしく、夢描いていた理想のシチュエーションじゃないか。

……ごくり。意図せずに、生唾を飲み込み喉が鳴る。


「いい、んだよな……?」


俺が現状を受け入れ、この手で依織のその壊れ物のような脚に触れようとしたとき、


「よくもやってくれたわね……!」


 レイアが来た。


 戸を開いた彼女は怒りの形相でこちらを、というか依織を睨み付けている。タオル一枚で入ってきた依織とは違い、ちゃんとバスローブを着ている。


「まったく、なんて間の悪い人でしょうか。ねぇ、彰さん?」


「へっ、いや、それは……」


 残念そうに聞いてくる依織だが、こんな状況でどう返答すればいいのか分からない。


「えっ、彰っ? って、きゃあっ!? なんで裸なのよ!? 二人とも裸で、何するつもりなのよ!?」


 俺にようやく気づいたらしいレイアは、可愛い悲鳴を上げるとまくし立てるように言い放つ。

 だが、驚いて大きく動いたのが不味かったのだろう。結びが緩かったのかバスローブの帯が解け、その豊かな双丘があらわになってしまう。


「なっ!?」


 真っ赤な顔を更に赤く染めた彼女は胸元を手で隠すと依織、――ではなく俺に対して叫んだ。


「なに見てんのよーッツ!」


 高速で迫りくるレイアの長い尾。色々とめまぐるしい状況に呆けて、そしてなによりレイアの立派な胸元に視線を釘付けになっていた俺にそれを避けることなどできるはずもない。


 ――あぁ、またこのパターンか。


 そんなことを思いながら、顔面を強打され俺は意識を飛ばしたのだった。

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