053 『母と娘』

「くすっ、ふふっふふふふっ……」


 場にそぐわない笑い声。それは俺の腕の中から発されていた。


 先ほどまで戸惑った顔をしていた彼女は、今まで見せたことがないような満面の笑みを浮かべて、とても面白そうに声を上げて笑っている。


「いや、おい、どうしたんだ、お前……?」


「まさか一瞬とはいえ、生まれて一月足らずのあの娘に私が押しのけられるなんて! ここまで想いあっていただなんて、想像以上です……!」


「はっ、いや、何を……?」


 どうしたのだ、突然? まるで意味が分からない。

そんな俺に対し、目の前の少女は微笑むとこう言った。


「合格です、あなたなら娘を任せられます」


「はぁ合格? それに娘って、なんのことだよ……?」


 いきなり合格と言われても、何に合格したというのか。やはり何を言っているのかさっぱり分からない。そもそも、何故彼女がこんな上機嫌になってることも含めて。


「実のところ、あまり復讐ということは考えていなかったんですよ」


「はぁ!? 復讐を考えてなかった? じゃあさっきの攻撃や、条件はもしかして……?」


「はい、ご想像のとおり、あなたを試させてもらいました。あっ、もう糸は切ってますから、考えを読んだりはしていませんので、ご心配なく」


 また読まれたかとも想ったが、単に俺が分かりやすいだけだったらしい。けれど試したと言うが、そうすると一つ腑に落ちないことがある。


「なら最初に蔵で襲ってきたのは何なんだ? どう見たって殺す気だった気がするが」


 レイアが助けてくれていなかったら試すも何も関係なく、あの時点で俺は死んでいただろう。そうなると彼女の試した、という言葉と矛盾する。


「あぁ、あの時は本気で殺すつもりでしたから。あなた達を蜘蛛に捕らえさせた後、この娘の記憶を見ていくうちに落ち着いてきましたので。それまでは正直なところ復讐しか考えられなかったんですよね、何故か」


「いや、殺すつもりだったとか、そんなことをあっさり言わないでくれ……」


「まぁいいじゃないですか、終わったことなんですから。そもそも試した時だって、もしあのような条件を飲むなら、復讐とか関係無しに死んでもらうつもりでしたし」


「死んでもらうって、笑えねぇ……」


 勿論、あんなの飲めるわけがなかったが、あれを受けてたら殺されてたのか……。

本人的には笑い話なのかもしれないが、殺されそうになった身としては洒落になってない。


「というか、なんで俺を試したりしたんだ? そこからして分からないんだが」


「それはあなたがこの娘を任せられる男かを見極める為ですよ。ただの人ならいざ知らず、霜神の男ともなれば、私としては警戒したくもなります。もし、あなたがあの男のような外道なら、大切な娘を任せるなんて出来るわけありません」


「ちょっと待ってくれ。もしかして、娘って言うのは、依織のことなのか……?」


 話を聞いていく限りだとそうなる。だが、そうすると色々事情がおかしいことになる。そもそも俺の目の前で話す彼女は、ずっと昔に殺されていたはず。そして依織は彼女も言っていたが、生まれたばかりの存在ではないのか?


「血肉の上では私とこの娘に繋がりはないのかもしれません。ですが、私をもとにして生まれたこの娘は、やはり他人とは思えないのです。そしてなにより、『依織』という名は、いつか生まれる子につける筈だった名前なのです。私とあの人の名から一字ずつ取って決めた、何よりも大切なものでしたから」


「……そういうことか。なら確かに依織はあんたの娘なのかもな。出合ったとき、何もかも覚えてないはずなのにあいつは、『依織』って自分の名前だけはしっかりと覚えてたんだから」


 それは単に強い執着があった名前だったからかもしれない。けれどその名を名乗ったのは依織自身の意思だ。ならばその名を考え、そしてその存在を形作るきっかけともなった目の前の人物は、依織の親といっても過言ないだろう。


「とはいえ、一目惚れというのはどうかと想いましたかもね。あなたにあの男を重ね見て憎しみの執着を好意と勘違いしたのか、それともあの男の弟であったあの人の面影を感じ本当に好意を抱いたのかは分かりませんが……」


「いや、そんなことを俺に言われても困るし分からないぞ。けど、誰かを好きになるきっかけは何だっていいと思うぜ。重要なのは、そこからどれだけ強く想っていくかなんだろうからな。俺だって、きっかけなんて答えられないしさ」


 過ごしていくうちに俺は惹かれたのだ。きっかけが何であったかなんて覚えていない。だが依織のことを大切と、好きと思う気持ちだけは嘘偽りなく断言できる。


「ふふっ、どうせなら頭で考えるだけでなく口で伝えて欲しいですね、その言葉は」


「なっ、まさかまた……!?」


 考えを読んだりしないと言っていたくせに、いつの間にかその指から一本の糸が俺の頭に伸びていた。どうやら、先ほどの俺の想いはしっかりと覗かれてしまっていたらしい。


「嘘をついてすみません。ですが、そんなあなただからこそ娘を、依織を任せられます。それと消える前、最後に一つだけ質問に答えてください」


「……まぁいいさ、油断した俺も悪いしな。それで、最後の質問ってのはなんだ?」


 すると彼女は、名前も知らない依織の母は、こう俺に問いかけた。


「依織を、私とあの人の大切な娘を、幸せにしてくれますか?」


 そんな答え、聞かれるまでもなく決まってる。


「当たり前だ! 絶対に幸せにしてやるさ、何があろうと! これから先どんなことがあっても、俺は依織を守るって決めたんだからな……!」


「ふふっ、ではこの娘をお願いしますね」


 そう言って微笑むと、彼女は瞳を閉じた。


「あれ、ここ、は……? 私……」


 そして、その瞳が再び開かれたとき、そこに宿っていたのは見知った愛しい少女のもの。


「なにはともあれ、――お帰り、依織。これからもよろしくな」


「そのっ、不束者ですが、よろしくお願いします!」


「いや、結婚かよ……」


 なんて苦笑を返しつつも、依織が戻ってくれた嬉しさを噛み締める。レイアのときもそうだったが、無くしてからこそ彼女がどれだけ大切な存在かよく分かった。



―――――――――――――――――――――――――――

これにて5話終了……ではありません。

本番はここからです。

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