054 『黒蜘蛛の正体と彼女の再臨』

「それじゃあ、このままここにいるわけにも行かないし、そろそろ出るか」


「あっ、はい。すいません、色々ご迷惑をおかけしてしまって」


 色々大変だったが、何はともあれ一件落着。

そう思い、二人で部屋から出ようと立ち上がったとき、その声は響いた。


『まったく、ここまで膳立てたというのに、つまらぬ幕引きだのう』


 まるで頭に直接響くような声。幼い少女の声音でありながら、それに反して古風な口調。


 聞き覚えがある声。


だが、そんなはずはない。あいつは、確実にあの時死んだはずだ……。


「だっ、誰だ……?」


『ふむ、悲しいの。もう忘れ去ってしまったというのか、我のことを?』


 声は聞こえても姿は見えず。けれど自らを『我』と称する存在を、俺は一人だけ知っている。


 ――カツ、カツ、カツ。石床を叩く、硬質な脚音が響く。


そちらに目を向けると、幾度も俺を助けてくれた黒い蜘蛛がゆっくり石段を降りてきていた。


「彰さん、アレは何ですか……?」


「えっ、お前が作った蜘蛛じゃないのか? 最初に捕まったときや、蜘蛛達に追われたときなんかも、あいつが助けてくれたんだが」


 てっきり依織が眠らされた意識の中から、何とか俺を助ける為に作り出してくれた存在だと思っていたんだが。それぐらいしか、俺を助ける蜘蛛など想像できないし。


「いいえ、そんなこと私はしていません。そもそもあの蜘蛛達は作り手、つまりは母様の命令に沿って動くだけの糸人形なんですよ。ですから、一体だけ別で動いたりすることはできないはずです。そもそも糸は白しかないのですから黒という色自体もおかしいですし」


「そんな、じゃあ、あいつは一体……」


『まだ分かっておらぬのか。ならばこれならどうだ? 流石に覚えておるだろう?』


 石段を降り立った蜘蛛は床に転がる刀を咥えると、揺らめく影のようにその姿を変えていく。


八本の長い脚は、四本の獣の足に。

丸く膨らんでいた身体は、引き締められた獣の胴体に。

複数の丸い眼と横開きの口がついていた頭は、二つの瞳に鋭い牙を備えた獣の顔に。


そして変化を終えたそこには、黒くおぼろげに揺らめく狼のような獣がいた。


「これは……!」


 見間違えるはずがない。これはあいつが好んで生み出してきた異形の獣。


 そう、今思えばレイアと俺の受けた既視感は、この獣に対してのものだったのだろう。


『それでは、分かってもらえたようであるし、改めて挨拶といこう』


 そう言うと獣が咥えていた刀から濃密な闇が滲み出て、人の形を取る。喪服のような黒い着物を着た、長い黒髪を地面に垂らす、腰から下の無い幼い少女の姿を。


「さて、久方ぶりとでも言わせて貰おうかの、霜神の末裔よ?」


 獣から刀を受けると、少女はその口で言葉をつむぐ。


 死んだはずの彼女――空亡は、そう俺に向けて笑みを浮かべた。


「どうして、お前が……。あの時、俺は確かに……」


 一週間前、俺はこの脚で、彼女の本体である半球を打ち砕いたはずである。


 それなのに、何故彼女がここにいるというのか……。


「我としてもあれで滅んだものと思ったさ。けれど、巡り合わせとはまた面白いものよ。お主が用意したこれのお陰で、我は生きながらえることが出来たのだからのう」


「それのお陰……? どういうことだ、それは魔力を吸い取るだけの物じゃないのか?」


 空亡が『これ』と視線を向けて弄ぶのは、獣から受け取った刀だった。


けれど、それには空亡を生きながらえさせる効果などないはずだ。刀に備わっているのは魔力を吸う力であり、それは先ほど見せられた記憶で俺の先祖も語っていたことだ。


「間違ってはおらぬが、少し違う。確かに僅かに貫く程度や命無きもの相手では、その力を吸うだけで済むであろう。だが生けるものを、それも深く長く傷をつければ、力だけでなくその全てを、生命の一滴までを喰らい尽くすというものなのだ、この刀はの」


「それでも、結局吸うだけだろう? それで、どうやって……?」


 命まで吸い尽くすとは大変なものと思いはするが、見せられた記憶でも男は確かにそんなことを話していた。しかし魔力や生命の違いはあれ、『吸う』ということしかできないのならこうして空亡がここにいることに繋がらない。


「まだ分からぬか。だが、それも仕方無きことなのかもしれぬな。つまり、今の我は」


「――その刀、ということですね」


 俺とは違い、隣の依織にはその意味が理解できたらしい。

空亡の言葉に続けるように、彼女はそう言った。


「ほう、なかなか聡いの。そのとおり、今の我はこの刀ということだ」


 依織の言葉に満足そうにそう言うと、空亡は更に話を続ける。


「あの日お主らに砕かれ、滅ぶしかないほどに脆弱な存在となった我は、この刀に吸い尽くされたというわけだ。文字通り存在のひとかけらまでものう」


「そして、その刀を内側から取り込んだ、というわけか……」


 流石にここまで言われれば鈍い俺でも分かった。

 地面に転がっていた刀に吸収された空亡は、そこから自身を飲み込んだ刀そのものを取り込み、こうして俺達の前に再び現れたというわけか。


「うむ、そうだ。この刀、妖のものではあるが、いくつもの恨みと嘆きで満ちておってな、そのお陰で我ともよく馴染んでくれたぞ」


「あぁ、そう言えばそれを造ったご先祖は、大概頭がおかしいやつだったらしいな……」


 何人もの妖を嬲り、そして命を吸い尽くしたという刀だ。そこに込められた思いは、人の邪念から生まれたという空亡にはとても相性がいいことだろう。


 見れば彼女の本体であったはずの半球は何処にもなく、今話しているその身体もその手の刀から生み出したものだ。つまり、今の彼女は完全にその刀と一体化しているのだろう。


 ――しかし、そこまでは分かっても、どうしても解せないことがある。


「だが、何故こんなことをしたんだ。あの黒い蜘蛛をお前が操っていたのだとしたら、どうして俺を助けるような真似を……?」


 そこだけが理解できない。俺を害するというのならまだしも、わざわざ俺を助けこの石部屋まで導いたりしたのは何故か。


「なんだ、そのようなことか。簡単なこと、我はお主の嘆きを味わいたかったのだ」


「俺の嘆き……?」


 あっさりとした回答に首を傾げる。俺を助けることがどう嘆きに繋がるのか、そもそも嘆きを味わうとはどういう意味なのかすら分からない。


それは隣の依織も同じようで、いぶかしむような視線を空亡に向けている。


「大切に思っておった存在を助けようとし、けれどそれが叶わずその相手に殺められる。もしくは、その相手を自らの手で殺めてしまう。どうだ、なかなか面白い演目であろう?」


「全部、お前の手のひらの上だったってのか……」


「なんという、悪趣味な……!」


 吐き出すように、不快感を露に依織が声を漏らす。


空亡は楽しげに語るが、その演目の主演にすえられた俺達からすれば冗談じゃない。


「まぁしかし、どうやらうまくはいかなかったようだがの。我があれほど怨恨を増幅させたというのに、場を動かそうと離れておったうちに影響が薄れ、その恨みを晴らさせてしまうとはな。この場で殺められた者ゆえ恨みは強いと、少し甘く見ておったようだの」


「なるほど、あの時あいつがおかしかったのもお前のせいか」


 依織の母が『最初は復讐しか考えられなかった』と言っていたが、それもこの空亡が傍で彼女に影響をしていたからというわけか。


「それで私を用いた企みが失敗に終わって、あなたが自ら実力行使に来たってことですか」


「確かにお主を用いたものは失敗に終わってしまったようだ。だが、我自らというわけではない。丁度いい別案を用意できたので、そちらのほうを行いにきたのであるからな」


「別案だと……?」


 一体何をしようというのか。

だが、それが依織を弄んだ計画と同じような、最悪な内容であることだけは想像がつく。


「さて、お主はその蜘蛛の娘を大切にしておるが、本当に大事なのはその娘だけなのかのう?」


 からかうような空亡の問いかけ。その答えは、考えるまでも無い。


――そう、俺には依織と並ぶほど大切な存在が、もう一人いるのだ。


「まさか、お前……!」


 彼女はここに来る前、廊下で蜘蛛に捕まってしまった。けれど、依織を助けたのだから全て解決、彼女も解放されているはず。――そう思っていた。


だが、そんな甘い考えは、この空亡の存在で覆される。


「さぁそろそろ、真打に登場してもらうとしよう……!」


 まるで芝居めいた空亡の宣言。


そして上から――蔵に空いた穴から、蛇の尾と人の身体を持つ彼女が飛び降りてくる。


普段明るく騒がしいはずの彼女は、まるで操られるようにその碧い瞳を濁らせていた。


「レイアッ!」


「レイアさんっ!」


 けれど呼びかけにこたえず、レイアは空亡から刀を受け取る。そして同時に今まで話していた空亡が刀に吸い込まれるように消え去り、虚ろだったその瞳に光が灯った。


「では、第二幕を始めるとしよう!」


 レイアの姿をした、けれど決定的に違う存在が声を上げる。その雰囲気や状況から、それが誰なのかは考えるまでも無い。

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