013 『黒ニーソな女郎蜘蛛と』
「おはようございます、彰さん」
朝、目が覚めると、依織がいた。
「……いや、なんでいるんだよ」
「それは勿論、彰さんに朝のご挨拶をするために、ですよ」
そう言う彼女の姿はいつもと同じく華美な着物姿。けれど昨日の朝と同じくその裾は膨らんでおらず、そこにつつまれた身体が人間のものになっているのが分かる。どうやら、また寝ている間に手を取られていたらしい。
「お前なぁ……」
なんだか色々言いたいことがあるが、うまく言葉で表せない。まったく、朝からこんなことをして何が楽しいんだか。
「では、お食事のほうは出来てますので、着替え終わりましたら来てくださいね。それとも、お着替えのお手伝いをいたしましょうか?」
「流石にそれはいいから。すぐに着替えていくから、先に行っててくれ」
美少女に着替えを手伝ってもらうというのは魅力的だが、それ以上に恥ずかしい。そもそも、依織の場合それだけですむ気がしない。好意をもたれすぎるというのも、考え物かもしれない。
「残念です。では、準備のほうしておきますね」
そう言って、着物を引きずりながら依織は部屋から去っていく。
「いいやつなんだけど、あれはどうにかならないものかね……」
やたらアプローチをかけてくるのは。勿論嬉しくはあるのだが、なんだか照れるし、困るのだ。今日だって、もし着替えを受け入れていたらどうなったことか。
「はぁ、まったく朝から刺激が強すぎるぜ……」
そうぼやきながら着替えを済ませ部屋を出る。廊下では、庭から入る朝日と木々の香りがしてなかなか清清しい朝である。そして、そのまま洗顔をすませ居間に向かおうとした途中、こんな朝の雰囲気をぶち壊しにするレイアに遭遇した。
「よう、おはよう」
「ふぁぁ、おはよ……」
返事は返してきたものの、寝ぼけているのか、色々無防備である。
瞼は閉じられたままで夢うつつ、結われていない金髪は寝癖で所々はねている。しかも、寝巻きにしていたらしい服はボタンが所々外れ、いつ中身がこぼれだしてもおかしくない。
そして自慢の尻尾に至っては、廊下の柱に無意識にか絡みつき動けなくなっている始末だ。
「まったく、お前ってやつは……」
そのまま放置するわけにもいかないので、尾を何とか柱から引き剥がす。そのまま寝ぼけたレイアの手を引いていく。なんでここまでしてやらないといけないんだか……。
「……なんですか、それ?」
居間に入った俺を迎えたのは温和な挨拶ではなく、戸惑った声だった。
「廊下で寝惚けてたから連れてきただけだ。そのままにしておくわけにもいかないし」
当然『それ』とは寝ぼけた状態のレイアである。手を引くうちに、身体まで預けてきて、居間に着いたときにはほぼ俺にしなだれかかるようになっていたのだ。
普通の人でもキツイのに、尾のあるレイアを運ぶのは本当に辛かった。朝からどうしてここまで疲れなければいけないのかと思うほどに。……まぁ何がとは言わないが女の子特有の柔らかさとかも感じたので、見返りが無かったわけではないのだけれど。
「……まぁいいです、料理が無駄にならないのはいいことですから。けど、ここまできたのですから、そろそろ起きてテーブルに着いてください」
「んぅ? あぁ、ご飯……? あら、美味しそうね」
寝ぼけてるからか、特に文句も言わず、依織に言われるまま椅子に巻きつくようにしてテーブルに着くレイア。朝食を前にしてようやく覚醒したようだ。
「ほら、彰さんも座ってください」
「ん、あぁ」
「さぁ、冷めないうちに召し上がってくださいね」
両手だけでなく蜘蛛足までも駆使して三人分の料理をてきぱきと並べてくれる依織。レイアにもテーブルに着かせたとき以外、特に文句を言うことも無く何故か機嫌が良さそうだ。
「……ねぇ、ちょっと、どうしたの一体?」
「……いや、俺にもまったくわからん」
小声で話す俺たちをよそに、依織は鼻歌を歌いだしそうなほど上機嫌で食事を進めていく。
本当に、何があったのか?
美味しい料理なはずが、そのことが気になって、あまり味がわからなかった。
食後、レイアはすぐ部屋に戻っていった。お腹が膨れたので寝なおすそうだ。そもそも起きてきたのも腹が減ったかららしい。昨日家事をすると宣言したのはしっかり忘れている様子だ。
そんなわけで、現在居間には俺と依織だけ。二人して、彼女の入れてくれたお茶を飲み、食後の小休止といったところだ。
「彰さん、昨日の約束覚えてくれていますか?」
「約束って、なにかしたか?」
依織の言葉に首をひねる俺。その様子に苦笑しつつ、彼女が告げる。
「もう、買出しのお願いをしたじゃないですか」
「あぁ、そういえばそうだったな。時間もちょうどいいし、そろそろ買いにいってくるか」
休日だからといって、いつまでも居間でくつろいでいるわけにもいかない。家事を任せている手前、買出しぐらいはしっかりとやり遂げないと。
「それで、何を買ってくればいいんだ? メモかなんかもらえると助かるんだが」
自慢じゃないが、何が必要かなんてまったくわからない。何もなしに買いにいけば、不必要なものばかりを買ってきてしまう自身がある。……本当に、自慢にならないことであるが。
「そうですね、では二十分ほどしましたら、私の部屋に来てもらえますか?」
「あぁ、まだメモはできてなかったのか。じゃあ、その間に俺も準備しておくぜ」
そう言って、二人して居間を後にする。
それから、二十分後。出かける準備を済ませた俺は、依織の部屋の前にやってきた。
「おーい、依織」
「彰さん、お待たせしてすみません。重ねてすみませんが、ちょっと手を貸してくれませんか?」
声とともに戸が少し開かれ、そこから依織の華奢な腕が伸びてきた。よく分からないが、この手を握ればいいんだろうか?
「ん、これでいいか?」
手を掴むと、もはやおなじみとなってきた手のひらを通して何かが伝わる感覚。依織の腰から下は、これで人間のものに変わっているだろう。原理や理由は今も全く不明なのだけれど。
そう思った矢先、戸が大きく開かれ、ようやく依織が姿を表した。
「……えっと、どうでしょうか?」
おずおずと聞いてくる彼女は、普段の着物ではなく白のワンピースを着ていた。いつもは人型になっても裾で隠されている両足はワンピースの裾からしっかりと伸び、更に黒のニーソックスが装着されている。依織に他意はないのだろうが、黒ニーソとは素晴らしいチョイスだ。
「や、やっぱり、似合ってなかったでしょうか……?」
恥ずかしそうに部屋に引っ込もうとする依織の手を引き止める。
「いや、すまん、何も言えなくて。その、なんだ、依織がそんな服着るなんて予想外で、その、見惚れてたんだ……」
面と向かってどころか、手をとりながらそんなことを至近距離で言うのは、かなり照れくさいし恥ずかしい。けれど、彼女の姿に見惚れて固まったことは言い逃れの仕様が無い事実だ。
いつも和装で、どことなく時代がかった雰囲気のあった依織が、現代風のしゃれた洋服に身を包むというのはとても新鮮で、けれどそれ以上に可愛くて魅力的だった。
「よかったです、彰さんにそう言ってもらえて。もし似合ってなかったらどうしようかと……」
「いや、依織は元が良いんだから大抵の服は似合うだろ。勿論、今の服もよく似合ってるぞ」
「そんな、私なんて。けど、彰さんにそう言ってもらえるのは、すごく嬉しいです」
「本気でそう思ってるんだけどな。それにしても、その服どうしたんだ? うちにそんな服は無かったと思うが」
女物の服なら母さんのものぐらいしかうちにはない。けれど、今依織が来ているワンピースは一度も見たことが無いし、そもそも母さんが着るようなものではない。いくら若々しいといっても、高校生ほどの見た目の依織に似合うような服は親に着て欲しくない。
「あぁ、これは織ったんです」
「織った?」
「えぇ、昨日の空いた時間を利用しまして。テレビなんかを参考に、こうやって」
そう言いながら依織はふさがっていない手から、まるで魔法のようにしゅるしゅると糸を生み出して糸玉を作る。見た目は完全に人間の彼女でも、やはりただの人とは違うということか。
「はぁー、何も無いとこから糸を作り出すなんて、流石は女郎蜘蛛って感じだな。というか、昨日何か手を動かしてやってたと思ったのは、それか」
「はい、やっぱり完成してから、彰さんには見てもらいたくて。もう少しして寒くなる頃には、マフラーか何か彰さんにもお作りいたしますね。まだ、少し気が早いかもしれませんが」
「まぁ、たしかにお前のその腕前ならそうかもな」
今の季節は、夏も過ぎさりようやく涼しくなってきた九月の後半。普通なら作り始めるのに丁度いい時期かもしれないが、ワンピースやソックスを一日足らずで編み上げる技量の依織には、気が早いことなのかもしれない。
「けど、なんだってそんな服を用意したんだ? 似合ってるとは思うし、俺としても目の保養になるからいいんだけど」
「分かっていただけませんか? ほら、私の姿を見てください、どう見ても人の姿ですよね?」
「俺と手を繋いでいる間は、身体が人間に変わるみたいだしな。けど、それがどうしたんだ?」
俺の力で身体を人にし、普段の着物でなく洋服を着た依織の姿はどこからどう見ても、今時の可愛い美少女といった具合だ。彼女の正体が女郎蜘蛛だなんて、まず誰も想像しないだろう。
「ですから、これなら私も買い物にご一緒できると思いまして」
「あぁ、そういうことか。確かに、その格好なら出歩くのも問題ないな」
依織やレイアがもともと着ていた豪奢な着物やウェディング風ドレスでは、買い物などに行くには悪目立ちしすぎる。けれど、そういう格好でないと身体が隠せず、外を出歩くことも出来ないと思っていたから、彼女が買い物に一緒に来るなんて想像していなかった。
「もしご迷惑でしたら諦めます。ですがよろしければ、お買い物にご同行させてください」
「いや、別に一緒でかまわないさ。そもそも、こっちからお願いしたいぐらいだ」
手を繋いでいないといけないが、そうすれば料理を担当してもらう依織自身が買い物に参加してもらえるのだ。手を繋ぐのが恥ずかしいとか、そういう感情を抜きにすれば、何一つ問題はない、寧ろ彼女が来てくれたほうがありがたい。
「靴は確かまだ使ってない予備のがいくつかあったから、それを履くといい。ただ、少しサイズが合わないかもしれないけど、そこは悪いが我慢してくれ」
流石に彼女が人の靴を持っているはずはない。そもそも記憶喪失なのだから、私物もほとんどないはずだ。とりあえず今回は、買い置きしてある俺の予備のスニーカーでいいだろう。
「あっ、靴のこと完全に忘れてました。本当に、何から何まで、ありがとうございます!」
嬉しそうに声を上げて、喜ぶ依織。そもそも、ここまでしっかり準備をしてきた彼女の同行を咎めるのは、俺にはできなかっただろう。
そういった事情で俺は依織とともに、その手を繋いでスーパーへ買い出しに向かうのだった。
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