第五話 『刃の導く彼女の記憶……けれど、それは悪意に塗れたもので』
041 『変わった日常』
空亡の一件から、一週間。色々大変な出来事だったが、幸いにも大きな被害は無かった。
心配していた奈々も、空亡に関することはすっかり記憶から抜け落ち、両親も家で眠らされていただけで命に別状はなかったらしい。
ただ、一時的な記憶喪失ということで、検査や確認のために大事を取って入院しているらしく学校は休んでいる。問題の先送りでしかないが、想いを知ったせいでどうやって接すればいいか分からない俺としてはありがたい。
――けれど、俺の生活はあれ以来、大きく変わっていた。
「彰さん、夕食の方お待たせしました」
そう言って依織が皿に盛った料理、今日はカレーを運んできてくれる。よく煮込まれて柔らかくなった具菜やそこから伝わるスパイスの効いた香りは、いつもどおり美味しそうに見える。
「あぁ、ありがとな。今日も美味そうだな、うん」
そう、とても美味しそうだ。
ごくり、と意識を押し殺し唾を飲み込む。意を決しスプーンでよそったそれを口に入れ――、
「ぶはっ!?」
――噴出した。
カレーは、辛くも甘くもなく、ただ苦かった。それも耐えられないほどに……。
「あっ、彰さん、大丈夫ですか!?」
驚いた依織が、慌てて水を持って寄ってくる。
そんな俺達を冷めた目で見つめるレイアは、その手にカップ麺を持っていた。
「あんたも懲りないわね。いい加減、諦めなさいよ。あたしだってこいつの料理は好きだったから気持ちは分かるけど、――今はもう食べれたものじゃないわ」
「ううぅ、申し訳ありません、私、また……」
「気にするなって、悪気が無いのは分かってるから。誰だって調子が悪くいときぐらいあるさ」
「ほら、流石にそんなの食べられないでしょ。あんた達の分もあるから一緒に食べましょ」
そう言って、俺達にカップ麺を手渡すレイア。いつのまにかカップ麺にはまっていた彼女は、ご当地品や限定品などの貴重なカップ麺を金に物を言わせて買い集めているのだ。
……金に物を言わせるのはお嬢様らしいが、その対象がカップ麺とは微妙な行動である。
「あー、ありがとな、助かる」
「くっ、また、このようなものに頼るなんて……」
落ち込みながら依織もレイアからカップ麺を受け取り、ポットからお湯を入れる。
結局、今日の夕食も依織の料理は食べられず、レイアのカップ麺と依織が付け合せに用意していたサラダ(何故かドレッシングの代わりに醤油がかかっている)となったのだった。
ちなみにカップ麺は、やはり高級品ということもありとても美味かった。しかし、それがまた依織を落ち込ませる原因になるのだが。
「なんなのよ、最近のあいつは……!」
夕食後、自分の部屋に俺を連れてきたレイアは戸を閉めるなりそう叫んだ。だが、彼女がそう言いたくなるのも分かる。正直なところ俺も同じようなことは思っているのだから。
「それは俺が聞きたいぐらいだ。ほんと、どうしちまったんだ……?」
当然ながら、レイアの言うあいつとは依織のことだ。先ほどの夕食から分かるように、ここ最近依織の調子が悪いのである。
料理を作れば食えない物に、掃除をすれば逆に散らかり、洗濯さえも洗剤を入れ忘れて失敗してしまう。これまで家事全般を取り仕切っていた彼女らしからぬミスを頻発しているのだ。お陰で最近の我が家の状況は、数日前と比べて見るも無残な状態である。
「何か心当たりは無いの? あたしが帰ってきたときの夕飯は美味しかったじゃない。その辺りでなにかあったんじゃない? 嫌がらせにしても自分まで被害を食う必要は無いんだしさ」
「確かにお前が帰ってくるまで、というか空亡の一件があるまでは普通だったんだよな。あの日の夕飯は俺が帰ってくるまでに作ったらしいから、それまではおかしくなかったってことだ」
「じゃあそこから次の日まで、っていうかその辺りでなんかあいつがおかしくなるようなことはなかったの? あたしより、あんたのほうがあいつと一緒にいたでしょ?」
「うーむ、おかしくなること、か……」
依織がおかしくなる原因はなかったか。頭の中にあの日の依織の様子を思い浮かべる。
あの日の朝は、依織は普通だった。奈々の家で空亡に襲われ、そこから助けてもらって、家に逃げるときもおかしなところはない。それから俺の身体を戻す一騒ぎがあって、その後空亡についての資料が無いかを蔵の中に探しに行ったんだったか。
「あっ」
「何か思い出したのね! ほら、さっさと言いなさい!」
「いや、原因が分かったわけじゃないんだが、蔵を探してるときに依織の様子がなんかおかしかったと思ってな。ぼーっとしてたり、刀をずっと眺めてたりさ。もしかして、それが今のことに関係するのかもしれない」
声をかけるまで蔵の中で立ち尽くしていたり、何かに魅入られたように虚ろな目で刀を見ていたことを思い出す。あのときは単に疲れてるのかと思ってそのまま流したが、あの日依織にあったおかしなことといったらそれぐらいしか思い浮かばない。
「ぼーっとしたり、刀を眺めたりねぇ。それだけじゃなんにも分かんないわよ。他には何か無いの? どんなことでもいいから、気づいたことがあるなら教えなさいよ。あいつがあんなだと、あたしが困るんだから……」
「なんだかんだ言って、おまえも依織のこと心配してくれるんだな」
「そっ、そんなこと無いわよ、勘違いしないで! 単に張り合いが無いっているか、その、そっ、それにあいつの今の料理は不味すぎるのよ! そうよ、あたしは美味しい料理が食べたいの! だから、あいつにはさっさと元に戻ってもらわないといけないのよ……!」
「あー、そうか、分かった、うん、勘違いして悪かった……」
まくし立てるレイアの言葉を、『ツンデレ乙』と思いながら適当に同意して流す。
まぁ喧嘩するほど仲が良いというやつなのかもしれない。貴族のお嬢様らしいレイアには、依織みたいに遠慮しない同世代の相手なんていなかったのかもしれないし。
「しかし、蔵でのこと意外に特に変なところは無かったんだよなぁ。強いて言うなら達筆すぎて読めそうにない古書の文字を苦も無く読んだってことぐらいか。まぁ記憶喪失っていうわりに、料理とか色々できる依織ならいつものことの気もするが」
出会ったときに記憶喪失とは言ったものの、お嬢様なせいか世間知らずなレイアとは違い、依織は特にそれを感じさせるようなことは無い。一般常識もあるし家事も出来る、戦国時代の姫のような格好ながら電化製品も難なく使っているのだから。
「あと、刀の目利きみたいなこともできてたな。俺の持っていった刀を妖刀って見抜いて、好きになれないと言ってた。妖刀って言うぐらいだから、嫌な感じがして当然なのかもしれないけどさ。あまり効かなかったが、空亡がいうには魔力を吸う効果があったみたいだし」
「刀ねぇ。というか、あんたさっきから記憶喪失のあいつが色々できるのがおかしいみたいに思ってるけど、別に普通よそんなの。それじゃあ、なんの手がかりにもならないと思うわよ」
「普通って、どういうことだ? 記憶が無いなら普通に考えたら料理も何も出来ないんじゃないのか? いや、身体が覚えてるってことはあるのかもしれないけど、むしろその場合はどうやって身に着けたかを考えれば、依織の記憶のヒントになるんじゃないのか?」
料理みたいに一般的なことじゃ無理でも、古書の解読や刀の目利きみたいな今ではあまり無いようなことなら、手がかりになりはすると思うのだが。
「そうじゃなく、あたしが言いたいのはそもそもあいつになくすような記憶は無いってことよ」
「なくすような記憶が無いって、実際依織は記憶喪失じゃないか。嘘をついてるなら別かもしれないけど、そうじゃなかったら記憶が無いなら記憶喪失だろ」
自分で言ってて少しややこしくなるが、何も覚えてないということは記憶が無い、つまりは記憶喪失ということで間違っては無いはずだ。
「確かに人間ならそうなのかもしれないけど、魔族ではそうとは限らないのよ。そうね、いい機会だし、あたしが魔族のことを教えてあげるわ。ありがたく思いなさい」
「魔族のこと? まぁ説明してくれるっていうなら助かるが」
魔族というのはレイアや依織達のような人外の種族というイメージしかない。だが、一緒に暮らしている彼女達のことなのだ、知っておいて損は無いだろう。
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今回より、最終話である五話開幕です。
お察しのとおり依織さんの話です……きっと。
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