051 『少女を助ける為の代償』

――暗転。


気がつくと俺は元通り、蔵の地下の石部屋で依織の姿をした少女と相対していた。


「今のは……?」


「どうです、あれがあなたの祖先が私にしたこと。そして、この娘が見てきた夢です。糸で直接あなたに記憶を見てもらいましたが、少しは私の気持ちを分かっていただけたでしょうか?」


 そう問いかける彼女の微笑みは、とても冷たい。だが、それも無理はないだろう。寧ろ、こうして話してくれているだけで十分に抑えてくれているのだ。


「あぁ俺の考えが甘かった。あそこまで酷いとは、な。本当に、すまない……」


 最期の瞬間の、彼女の憎しみの強さはもはや筆舌に尽くせないほどだ。少し記憶を見ただけの俺でこうならば、実際にそれを体験した彼女の憎しみは計り知れない。


「それでも頼む……! どうか、依織を返してくれ……! 俺に出来ることならなんでもする、殺してくれたって構わないから、どうかあいつは……!」


「へぇ、何でもしてくれる。その言葉に嘘はないんですか? でしたら、ある条件を飲んでくれるのでしたら、私はあなたの言うとおりこの娘を返し、また中で眠ってもいいですよ」


「本当か! 分かった、俺は何をすればいいんだ!? どんなことでも、依織のためなら……!」


 依織を助ける為ならなんだってやる、それがたとえ自分の命を犠牲にすることでも。

 けれど、嫌らしく笑みを浮かべた彼女が出した条件は、想像もしなかったものだった。


「では、あなたと一緒にいた蛇の娘、レイアという娘を殺してください」


「えっ……?」


「なんでもしてくれるんですよね? あぁ心配しなくても私が捕らえているのですから、相手の抵抗なんて気にしないで構いませんよ。ただ、あなたの手で彼女を殺してくれさえすれば」


 簡単なことでしょう? そう暗に言うような説明。


 けれど、そんなことできるはずもない。俺の命なら、どれだけも捨てていい。だが、それにレイアを巻き込むことはできない。


「どうしてレイアなんだ……? お前が憎いのはこの家の人間だろ? だったら、俺を殺せばいいじゃないか!」


「あら、まだ分かってくれなかったんですか、私がされたことを。私は、何より大切な人を殺されたんですよ? だったらあなたにも同じ目に、大切に思ってる相手を失うことを味わってもらわないと、収まるはずがないでしょう?」


「それは……」


 確かに、彼女の言うことはある意味では正しい。あの記憶の中、彼女が一番恨んでいたのは、自分の死ではなく、夫である男を殺されたことだった。だから復讐として、俺に同じ苦しみを味あわせようという気持ちも分かる。


「で、どうするんですか? 別に私はどちらでもいいんですよ。もし断るのでしたら、私自身の手でそれを行うだけですから。もっとも、その場合はこの身体は私がもらいますし、あなたも死んでもらいますが」


 そう考えると、彼女の条件がどれだけ良いのか分かる。ただ俺が首を縦に振り、そしてレイアを犠牲にさえすれば、全て丸く収まるのだ。


 ならば、勿論、答えなんて決まっている。迷うことなく、はっきりと告げる。


「その条件は、飲めない。あいつを犠牲になんてできない」


 レイアを犠牲になんてできるはずもない。俺にとって依織は自分以上に大切な存在だが、レイアもそれと同じぐらい大切なのだ。だから、そんな要求飲めるはずがない。


「まったく、なんでもすると言ったのが聞いて呆れますね。仕方ありません、ではもう一つだけ、条件を提案しましょう。あぁ心配なさらなくても大丈夫ですよ、今度は誰も犠牲になんてならない、とても平和的なことですからね」


 そう前置き、彼女が出した条件は、確かにとても平和的なものだった。


「私をこの家においてもらえませんか?」


「はっ? どういうことだ……?」


身構えていただけに、本当に平和なその条件に拍子抜けしてしまう。本当に、こんなことで彼女は恨みを、復讐を諦めるというのだろうか。


「言葉通りの意味ですよ。私はもう復讐もやめて、普通にここで暮らさせてもらいたいと言ってるんです。勿論、これまでやっていたように家事なども行います。ですから、今までと同じようにこの家に置いてもらえませんか?」


「なんでそんなことを……?」


 言いたいことは分かったが、そんなことを彼女が望む理由が分からない。なにより、最初の条件とのギャップが激しすぎる。


「簡単なことです、気に入ったんですよここの暮らしが、そしてあなたの、彰さんのことが。それでどうでしょう、この条件は受けていただけますか?」


 彼女が復讐をやめてこの家で暮らす。そうなれば生活の方も今までと変わらないし、一見すると何の問題がないように思える。


――けれど、一つ重要なことに気がついた


「その場合、依織はどうなるんだ?」


「あら、依織は私ですよ?」


「違う。俺が言ってるのは、今日まで一緒に暮らしてきた依織のことだ」


 この彼女と依織は違う。そして、彼女がこのままうちで暮らすというのなら、これまで一緒にいた依織はどうなるのか。


「あぁ記憶を無くしていた際の、新たに生まれた妖としての人格ことでしたら安心してください。しっかりと私はその間の記憶も引き継いでいますから」


 だから何の問題もないだろう、と依織の姿をした誰かは答える。けれど、その回答は見当違いだ。記憶があるかないかなど、そんな問題ではない。


 だから、その提案に対する答えも最初と同じものとなる。


「悪いが、この条件も受け入れられない。先祖がしたことは悪いと思うし、お前の気持ちだって分かる。けど、俺は依織を助けるって決めたんだ」


そして俺にとっての依織は目の前の彼女ではなく、これまで共に過ごしてきた優しく気が利き、そして少し腹黒いあの少女だけなのだ。


「残念です。ではやはり、最初の予定通りに無理やりさせてもらいましょうか」


「悪いな、こっちも色々譲れないものがあるんだ」


 交渉は完全に決裂となった。ここからは、もはや言葉ではなく力で語る場ということだろう。


「それでは、覚悟してくださいね?」


 そして目の前の彼女は、その手からこちらに糸を飛ばしてくる。蜘蛛達が吐くよりも明らかに強力そうなそれに捕らえられれば、それだけで終わりだろう。


「だが、簡単にやられるつもりはないぜ。俺だって、絶対に依織を助けると決めてるんだ!」


 迫る糸を刀でひと薙ぎに消し去る。思ったとおり、魔力で作り出したものだったらしい。


「何故、あなたがその刀を……!? それは回収してあったはずなのに……?」


「さてな。だが、重要なのは、これが俺の手元にあるってことだ」


 多分、あの黒い蜘蛛が彼女の隠したこの刀をくすねてきてくれたのだろう。あいつが何故助けてくれるのか分からないが、本当に何から何まで感謝してもし足りない。


「くっ、けどそんなもの……!」


「んなっ!?」


 一面が白く染まる。先ほど以上に更に大量の糸が押し寄せてきたのだ。

 そんな予想外の量を、流石に消し去ることが出来ず俺はまたも繭に捕らわれてしまう。

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