016 『魔物娘でも御洒落がしたい!』

 最終的に恥も何も捨てた俺が、どちらの手も借りず犬食いすることでいがみ合いをとめ、何とか済ませた昼食後。次に入ったのは、街の中央部に位置するセレブ御用達というような雰囲気の、高級そうな女性用服飾店だった。


 レイアが強引に、そして依織も控えめながら行きたがったためである。


 人外といえども年頃の少女、やはり服には興味があるらしい。また、今は下半身が人間なのでこれまで無理だった服も着られるためか、二人とも興味津々な様子で服を選んでいる。


「まったく、万一戻ったらどうするんだよ……」


 目の前の二人を見て、そうぼやく。もし、こんなところでその姿が戻ったらどうなることか。


「何度も確かめたんだら大丈夫よ。あんたって、意外に心配性ね」


「それに、時間のほうも問題ないでしょうから、安心してください」


 俺の言葉に振り向いて、楽天的な意見を述べる二人の両手には洋服が握られていた。


そう、今俺の両手は自由になっているのだ。依織もレイアも、俺の手を離れて服選びに夢中でいる。本当に、何事も無ければいいんだが……。


「というか、この値段は……。試着するのはいいが、絶対に買えないぞ……」


 二人が試着しに行って手持ち無沙汰になり、ふと近くにあった服の値札を見ると、やたらゼロが並んでいた。俺の財布の中身を全て吐き出しても、購入するには桁が一つ足りない。


「まさか、汚したりなんかしないよな……?」


 賠償や買取なんてことになったら払えない。家に帰ればギリギリ足りるかもしれないが、その場合は今月の生活費はほぼ無くなってしまう。


「まっ、まぁ流石に、いくらなんでも、そんなことはないよ――」


「……あっ」


 そんなことは、おきないだろう。そう思った矢先、試着部屋から聞こえてきたレイアの声。


 ――まさか……!?


「おい、レイア、どうした……? まさか服に、なにかしたりはしてないよな……?」


 声の聞こえた試着室の前に行き、恐る恐る聞いてみる。すると、中からレイアが出てきた。その手に、先程試着しに持っていった服を持って。


「彰、丁度いいところにきたわね。ちょっとひっかけちゃったのよ、これ。とりあえず、新しいのを持ってきてちょうだい。あ、もし他にも良さそうなのがあったら、持ってきていいわよ」


 そう言って、レイアが渡してきたブラウスは、肩から裾にかけて、大きな伝線が奔っていた。隠したり修復できるようなレベルではないと、見ただけで分かる。


「新しいのって、おい!? ちょっと、お前、これどうするつもりだ!?」


「どうするつもりって、買えばいいだけじゃない。そんなに焦るようなことかしら?」


「買えばって、こんなの買う金持ってねぇよ!」


 俺が店員に聞こえないよう小声で叫ぶが、レイアは事の重大さが分かっていない様子だ。


 そう、彼女が伝線させたこのブラウス、さっき俺が見て驚いた服よりも更に高いのである。なんと、家に帰って生活費をまとめ、さらに俺の貯金を追加しても足りない額なのだ。


「どうしたんですか、さっきから何か騒いでいるようですけど、――あら?」


 隣の試着室から依織が現れる。彼女はレイアの持っているブラウスに目を向けると、すぐにこの状況に気づいたらしい。そして何故か、伝線した部分に指を差し向ける。


「まったく、弁償になったらどうするんですか……」


 そう呆れたように言う依織の指からは糸が伸び、伝線部分に同化していく。するとものの数秒で、先程の状態が嘘のように元通りの綺麗なブラウスに戻っていた。


「おぉ! すごい、流石は依織! ありがとう……!」


「糸の扱いは慣れていますから。お役に立てた用で、なによりです」


 少し得意げな様子で微笑む依織。本当に、彼女がいてくれてよかった!


「……礼は言わないわよ。こんなのあたしはどうってことないんだから」


「どうぞお気になさらず。私はただ、彰さんをお助けしただけですから」


 依織に助けられたのが気に喰わないのか、不服そうに言うレイア。それに対して依織も、そっぽを向いて返す。喧嘩に発展はしなそうであるが、とても険悪な雰囲気になりそうだ。


「そういえば、二人とも、良さそうな服は見つかったのか?」


 空気を変えようと話題を振ってみる。だが、言ってから気がついたが、この質問はまずい。


もし気に入ったものがあったところで、ここの服を買うような金が無いのだから……。


「そうね、あたしは……」


「私は、そうですね、やはり……」


 そんな俺の心情に気づくことなく、二人は早速試着室に戻り、着替えを始める。


 ほどなくして、まずレイアが着替えを終えて、試着室から現れた。


「ふふん、どう? あたしの美しさを存分に褒め称えなさい!」


 そんな尊大な言葉を言いながら出てきたレイアが身に纏うのは、青を基調としたワンピースタイプのドレス。いつも着ている裾の長い豪奢なドレスとは違い、シンプルで落ち着いたデザインである。少し長めの裾から覗く生脚がまたなかなかにセクシーだ。


「おぁ、確かに綺麗だ。なんか、いつもより大人びて、まるで貴族の令嬢って雰囲気だ。いつもみたいなやつもいいが、意外にお前ってこういった落ち着いた服も似合うんだな」


 普段のドレスとは違い装飾が少ないから、より素材が惹き立つというのだろうか。シンプルなデザインのおかげで、それを纏うレイアの魅力がいっそう強調されている。


「まるで貴族って、あたしは正真正銘の貴族なんだけど。でもまぁ、あんたに細かい評価は求めてないし、あたしの美しさを理解しただけでよしとしてあげるわ。感謝しなさいよ?」


 傲岸不遜に言い放つレイア。けれどそんな言葉も、今の彼女の雰囲気にとても似合っていた。どんな物言いでも許されてしまう、そんな雰囲気というか華が彼女にある。


「はは、それはありがたいことだな。それより、試着が終わったなら、とりあえず着替えてきたらどうだ? そのままってわけにもいかないし、またさっきみたいになったら大変だ」


「あら、どうして? 確かに、少し肌寒いかもしれないけれど、このぐらいならあたしは平気よ。折角選んだ服なんだもの、このまま着ていってもいいでしょう」


 まるで当たり前のことのように言うレイア。確かに、今は九月であるがまだ結構暖かいので、そこまで寒くはないし着ていっても問題はないのかもしれない。……購入できるのならば。


「いや、気に入ったところ、悪いんだが、その……」


 金が無いから、買って帰るのは無理。そう言おうとしたのを遮るように、もう一つの試着室の扉が開いた。勿論、中から出てくるのは依織である。


「あの、どうでしょうか、これ……?」


 おずおずと、レイアとは対照的に少し自信なさ気に聞いてくる依織。


 けれど、確かにそんな風に彼女が気にするのも仕方ないのかもしれない。レイアとは違い、依織の服装は普段とは、そして先程までの服装ともかなり違うものだったから。


「えっと、やっぱり、似合いませんか……? 私には、こんな服は……? あの、すいません、すぐにもとの服に着替えて――あっ……」


 言葉を遮られ、そしてそれ以上にある理由で固まっていた俺の様子を、勘違いして依織が試着室に引っ込もうとする依織の腕を掴む。それを着替えるなんてとんでもない!


「いや、似合ってなくなんか無い。なんか、言葉で上手くいえないけど、すごく、いいと思う。なんというか、その、固まったのは、見蕩れてたんだ、お前に……」


 依織が着てきたのはレイアのようなドレスとは違い、ごく普通の服装だった。


 白黒チェック模様の少し短めのスカートに、白のゆったりとしたブラウス、更にその上に灰色のカーディガンを羽織った依織。


 店が店だけに質は良さそうであるものの、ある意味無難、地味と言っていいような服装である。けれど、それを美少女である依織が身に纏うと地味な感じは一切なく、落ち着いた雰囲気が彼女の魅力をいっそう引き出している。


「その、なんか、女の子とデートみたいなことしてるんだな、って感じがしてさ……」


 そう、これが俺の見蕩れて固まった一番の理由である。更に二番目の理由として、出かけのときから履いていた黒ニーソが、絶妙な空間を生み出していることもあったりする。


レイアのドレスも確かに綺麗だし、依織の格好と甲乙つけがたいほどに魅力的だ。けれどドレスという服装は庶民の俺には馴染みが無く、依織が着てきた普通の女の子が切るような格好はとても身近で現実的なものとして感じられたのだ。しかも、絶対領域が神がかってるという。


「そんな風に褒めてもらえるなんて、嬉しいです。あと、デートみたいじゃなくて、デートって、思ってもらえたら、私としてはもっと嬉しいです……」


 なんて、頬を染めながら恥ずかしそうに、けれど喜ばしげに言ってくる依織。そのせいで更に意識してしまい、俺の顔も同じぐらい熱くなり真っ赤に染まっていくのが分かる。


「ちょっと、いつまで手を繋いでんのよ! それに、なんかあたしの時と反応が違いすぎて気に食わないわ!」


 ――不機嫌を隠そうともしないレイアの声。


「あっ、あぁ、すまん。ちょっと、な……!」


「うぅ、折角いい雰囲気でしたのに……。少しぐらい、空気を読んでくださいよ……」


 慌てて手を離し謝る俺と、恨みがましく呻く依織。レイアの一言で、俺と依織の間にあった甘酸っぱい雰囲気は完全に霧散していた。なんだか、俺まで残念な気持ちになってしまう。

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