056 『彼女の弱点』
「なっ、お前何を……! 依織! こんな要求、呑むぐぅっ!?」
「お主は黙っておれ。今は我と、その蜘蛛の娘が話しておるのだからの」
依織を止めようとするが、空亡に口を塞がれる。口を動かし何とか手をどけようとするも、どうにもならない。手が動かせないこの状態では、それだけで俺は何も言えなくなってしまう。
「それは本当、ですか?」
「うむ、我は嘘をつかぬ。お主がそれを呑むのなら、我の存在に誓ってこの家の者には誰も危害を加えず、遠い地へ行くと約束しよう」
「……分かりました。ならばその条件、お受けします」
空亡の確約に、依織がその首を縦に振る。
俺が何も言えないうちに、その最悪の取引は成立してしまったのだ。
「そんな顔をしないでください、彰さん。私はもともと、彰さんがいなかったらどうにもならなかったんですから。それに元はといえば私が発端なんですし、最後には私にけじめを付けさせてください。彰さん達が助かるなら、私一人の命ぐらい安いものですから」
そう言って、依織は儚く微笑んだ。
そんなこと絶対に俺は認めない――そう叫びたくても塞がれた口からは、うめき声以外には何も発せない。そんな俺の様子に、とても嬉しそうな声を空亡が上げる。
「うむ、よい絶望、良い嘆きだ! お主のその表情が見たかったのだ、我は……!」
「……それで、私はどうすればいいんですか? この場で死ねというのでしたら、すぐにでも糸を出して首を刎ねますが」
「おっと、そうであったの。逸るな、お主自身に死んでもらってはいささか面白みが足らぬ。我が望んでいるのは、お主をこやつに殺めさせることなのでな。まぁこやつは素直に従わぬだろうが、その程度の抵抗ならば我が動きを操れば事足りることだ」
「そう、ですか……。彰さんに、私を……」
俺が殺す、ということに依織が少し躊躇ったように呟く。
何も出来ない俺は、それで彼女が思いとどまってくれることを祈る。けれど、そんなものは空亡の悪意の前には関係なかった。
「む、なんだ? それが嫌ならば、別にやめてもらっても構わぬぞ。その場合は、全て我の好きにさせてもらうがのう」
「いえ、構いません。それで、皆さんが助かるのでしたら。彰さん、嫌な思いをさせてしまいますが、お気になさらないでくださいね。私自身が、望んで決めたことなんですから」
望んで決めたと言われても、俺はそんなもの認めない。
何か無いか! 何か、この状況を打破できるような、起死回生の一手は……!
そう頭の中を必死になって探し回るが、なにも思い浮かばない。そして、何か言おうにも、空塞がれた口では誰にも思いは伝えられない。
「声は出ずとも、お主の思いはしっかりと伝わっておるぞ。その焦燥と無力感、そして嘆きが。存分に悩むがいい、お主にできるのはそうして考えをめぐらすことだけなのだからのう……!」
嘲笑うような空亡の囁き。けれど、そんなものは取り合わず、ひたすら考えをめぐらせる。
どうすればいい……! なんでもいい、たとえ僅かな可能性だって構わない。どんなことでも、依織を助けることが出来るのならば……!
「では、そろそろ幕引きとするか。蜘蛛の娘よ、こちらへ来るがいい。ただし、ゆっくりとな。その方が、より盛り上がるというものであるからの」
「……分かりました」
空亡の要望どおり依織がゆっくりと、けれど確実に一歩一歩その蜘蛛の脚を動かし近づいてくる。そして俺の傍まで着いてしまったとき、俺は彼女を殺させられるのだろう。
「さぁ刻限はもう間近であるぞ、なにか良い案は浮かんだかの? もっとも、今の我に隙など無いのだから、何を考えたところで無駄であろうよ」
いや、少なくとも隙はある、それもとても大きな隙が。
わざわざ依織をゆっくりと来させ時間を与えるような、その油断は空亡の最大の隙、弱点といえるはずだ。一週間前だって、その油断で時間稼ぎが出来たから勝てたのだ。
けれど空亡は刀となって、そしてレイアの身体を乗っ取り再び俺達の前に現れ――、
「………………!?」
声にならぬ声を上げる。
気がついたのだ。当たり前の、けれどこれまで考え続けた起死回生に繋がる重要なことに。
――今の空亡は、レイアの身体を乗っ取っている。
偶然か、それとも追い詰められた故か、まるで奇跡のように頭の中で閃きが展開する。
そうレイアなのだ。たとえ空亡に油断以外の弱点は無くてもレイアには、その身体にはあるのだ! それもこの状況だからこそ付け入ることの出来る『弱点』が……!
「どうした、そのように目を輝かせて? もはや絶望で気でも狂ったかの? それはあと少し、あの娘が辿り着くまで待つがいい。大切な者をその手で殺める、その嘆きこそを我は見たいのだ、から――むっ、ぇ?」
戸惑いと共に、空亡の声が尻すぼみに小さくなる。更に俺を捕らえていた尾も、そしてその手からも力が抜けていく。
「ぁ、な……!? これは、ちか、ら、が……!?」
「なっ、なにが、起きてるんですか……!?」
驚愕の声を上げる空亡と依織。
彼女達は、これを引き起こしたであろう俺に目を向けるが何も答えられない。知らないのではなく、ただ話すことができないせいで。拘束は解けているのに、俺は声を出せないのだ。
それはこの口に咥えた、今も歯に挟んだままのそれのせいで。
「どっ、どうして、そんなことを? その、手を噛んで……?」
こちらを見る依織の戸惑った声の言うとおり、俺の口には空亡に乗っ取られたレイアの手が、正確にはその手に繋がったうちの小指が咥えられていた。
そしてその間、子指を噛まれたままの空亡は、まるで感電でもしたかのように小刻みにその身体を震わしながら固まっている。
「ひゃううううううううんんっ……!?」
まるでらしくない嬌声をあげて空亡が倒れこむ。硬く手に握られていたはずの刀は、放り出されて床を転がっていく。そこでようやく、俺は小指から口を離す。
「なっ、何をしたんですか、一体……?」
「説明は後だ、依織、結界の準備は出来てるか!? できてるなら、すぐに使ってくれ、あの刀に向けて……!」
「えっ、あっ、はい、分かりました……!」
説明する時間すら惜しんで、依織に結界を起動させる。
床や壁に張り巡らされた結界が起動し、それが効果を発揮する寸前、床に転がっていた刀から大量の闇があふれ出し、そこから黒髪黒衣の半身のない童女――空亡が現れる。
「よしっ、間に合った……!」
「今のは一体……? っ!? これは、小さくはあるが、あの結界か……!」
身体を生み出せても、彼女はもう結界の中。そこから逃れることは出来ない。
「さっきのはお前が乗っ取ったレイアの弱点だ。あいつは小指を噛まれると力が抜けて、仕舞いには気絶してしまうんだとさ。そしてどうやら気絶すれば、流石に魔力も止まったらしいな」
レイアの見合いの際、帰りの車で話の礼にと彼女の母親から聞いたレイアの弱点。
彼女達の家系では、噛まれてしまうと力を失う弱点があり、レイアのそれは小指だと教えてもらったのだ。そのときは話半分でしか聞いていなかったし、後がどうなるかも分からないので試す気にもならず、忘れかけていたことである。
それをあの土壇場で思い出せたのは奇跡に近いだろう。
「そんなものが……!? だが、この結界は、こんなもの、いつのまに……?」
「これは最初に依織を下がらせたときに準備させてたんだよ」
この結界は依織を後ろに下がらせたときに頼んでおいたのだ。一週間前のように、結界を張るための術式を部屋に巡らせておくよう。空亡と戦う上で結界は何より必要なものなのだから。
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