057 『手を繋いでの終幕、彼女は最期に名を呼んで』

「お前が動く前に結界を動かせてよかった、こうして話す機会が出来たんだからな」


「ふん、何を話すというのだ? まさか、また我を滅ぼさず、共に生きよとでも言うつもりか?」


「あぁそのとおりだ。俺はお前を、また殺したくない。だから誓ってくれ、もう誰にも危害を加えないと。それさえ約束してくれれば、俺はお前をうちの一員として迎え入れるからさ」


 結界の中の空亡に、手を差し伸べる。けれど、彼女はその手を掴んではくれない。


「つくづく甘いな、お主は。だが前も言ったであろう、その申し出は受けられぬと」


「そう、か。なら、やっぱり、こんな結末しかないのか……」


 あの時と同じ、彼女を殺しての幕引き。


 そんな意を決して俺が空亡を、――その本体たる刀を砕こうとしたとき、


「何を勘違いしておる、まだ終わってはおらぬぞ? 今の我は以前とは違うのだからな!」


 空亡がいきなり床に刀を突き立てた。


 一体何を、と俺が口に出そうとする前、後ろから焦った声が上がる。


「彰さん、結界が……!?」


「なっ!?」


 その言葉で俺も気がついた。壁と床に広がっていた結界が、その輝きを急速に弱めていることに。空亡が刀を突いたところを中心に、まるで水が吸い上げられるかのように、その光が弱まっている。


「結界といえど、つまるところは魔力で出来たもの。ならば今の我が、それを吸うことができるのも道理であろう? 以前より弱きこの程度の結界、瞬く間に吸い尽くしてくれよう……!」


 本来なら空亡の動きを止め、弱らせる結界。けれど、そこから力を吸い上られたなら、力を弱める効果は薄まり、結界そのものもいずれは魔力切れで止まってしまう。


「だったら、それまでに片をつけるまでだ……!」


 たとえもうすぐ消え去るとしても、依織が必死に結界を保ってくれている。そして、今の俺は空亡の傍に、伸ばした足の届く範囲にいるのだから。


 迷いも躊躇いも捨て、いまだ動けぬ空亡に放った蹴り。だが、またも刀身には届かない。


「くくくっ、ここまで弱まった結界に、大人しく我が捕らわれると思ったか?」


「なにっ!?」


 俺の足が届く前、空亡がその身体を俺の前に投げ出したのだ。


そのせいで蹴られた身体は断たれるも、本体である刀は無傷。それどころか、中ほどで断たれたはずの身体が元の不定形の闇に戻り、振り抜いた足から俺の下半身に纏わりついてきた。


『いくらその脚に力があったとしても、動かせなければ何も出来まい?』


 頭に響くその声の言うとおり、こうして身体を捕らえられれば脚は伸ばせない。俺の身体のうち下半分、腰から下にかけて完全に空亡の闇に覆われているために。


闇は不定形だったそれを硬質に変化させ、完全に俺の動きを止めていた。


「っ、このっ放せ……!」


『それはできぬ相談だの。このままこの結界が消え去るまで、お主にはこうしていてもらうのだから。なに、たいした時間ではない、もはやあと十秒も持たぬであろうからのう』


 あと数秒――その見立ての示すとおり、もはや結界の中央にほとんど輝きはなく、魔力を注ぐ依織に近い端の部分も僅かに光を放っているのみ。


「すいません、彰さん……、もう……」


 焦燥しきった依織の声。それに呼応するように、僅かながらに灯っていた輝きがついに完全に消えてしまう。けれど、――すぐにまた強く輝きだした。


「なっ、くっ、これは……!? 何故、また結界が……?」


 突然輝きを増した結界に驚愕する空亡。だが、それも仕方ないだろう。完全に解けたと思った結界がこうして再び、それも最初以上に輝きを増して動き出したのだから。


「とりあえずよく分からないけど、魔力注いどけばいいのよね?」


 この場にそぐわない緊張感の無い声。それは、俺達が必死に取り戻した彼女のもの。


「あぁ頼むぜ、レイアっ……!」


 振り向くと、戸惑った様子で依織の傍に寄っているレイアがいた。その雰囲気は、空亡に乗っ取られていたときとは違い完全にいつもどおり。けれど、そのことが何よりも嬉しい。


「というか、あんた達なにやってるのよ? そもそも、なんであたしこんなとこにいるの? あと、依織のやつは元に戻ったのよね、これ?」


「はい、その節はご迷惑をお掛けしました。ですがすいません、その辺りは後にしてくださいレイアさん。今はかなり切羽詰っていますので。一緒にこの結界の維持の方、お願いします」


「まぁいいわ。けど、ちゃんと後で説明しなさいよ。勿論、このあたしが魔力を出してあげることに感謝しながらね」


 後ろで依織がレイアと協力し、結界を維持してくれている。これでもう、結界がすぐに消えてしまうことは無いだろう。


『なるほど、あの蛇の娘か。確かに、あの娘の魔力はかなり大きいものであったし、吸い尽くすのは少し手間である。だが、所詮そんなもの僅かな延命でしかないと分かっておるのか?』


「分かってるさ、そんなことは。だが結界があるうちはお前も動けない、そのうちにこいつをどうにかする方法を考えればいいだけだ」


 空亡の言うとおり、レイアのお陰で結界は戻ったが、その魔力が吸われていることに変わりは無い。そして、いずれはレイアの魔力も尽き空亡は開放されてしまうだろう。


 だが、その前に身体を固めるこの闇をどうにかできれば、勝機はある……!


『どうするつもりだ? 言っておくが我の身はお主の脚でもなければ砕くことは出来ぬぞ。そして、その脚を封ずる闇も容易に解けるものではない。今のお主らが何をしたところで、我の身に傷をつけることはおろか、その闇から出ることさえ叶わぬであろうよ』


「そんなこと、やってみないとわからないだろう!」


 さっきだってそうだ。依織もレイアも助ける方法なんて何も無いという状況だったのに、今彼女達は二人一緒に後ろで俺を助けてくれている。諦めなければ、何か手はあるはずだ……!


『そんなものがあるわけ無かろう。先ほどのことは、あの身体ことを把握できておらなかったゆえ、今この身のことならば何よりも我は分かっておるのだからの』


「そんなこと俺には関係ない……! このっ、こんなもの……!」


 俺の脚ならばこれを壊せるはず。けれど、完全に固められたなかでは僅かに動かすことも出来ず、空亡の言うとおり傷一つつけることは出来ない。


「そうだ、だったら……!」


壊せないならば、壊さなければいい。そう思い至り、両手で闇を押さえつけ身体を引き抜こうとする。けれど、胴が引きちぎれるほどの負荷がかかるだけで、全く抜ける気配はない。


『くくくっ、言ったであろう、出ることは叶わぬと? ならば当然、身体を引き抜くことも無理に決まっておろう。しかしこうしてみれば、ここで結界が戻ったのも面白きことよ。好機を得ながらもなにもできず、無力を嘆くさまをもう一度味わうことが出来たのだからのう……!』


 結界に捕らわれながらも勝ち誇ったように笑う空亡。だが、実際に試してみて、その言葉通り、この闇から俺が抜け出すのは難しい、ほとんど不可能と思い知らされてしまった。


「なら、抜け出さずにどうにかすれば……」


『抜け出さずに何がをすると? その脚が使えぬなら、お主は所詮ただの人間でしか無かろう? いや、ただの人間というのは違うか、人の身体を作り出す手があるのだったか。まぁそんなものがあったところで、何が出来るという話だがのう』


 悔しいが、そのとおりである。繋いだ相手の身体を人のものにする能力があっても、今は何の役にも立たない。そもそも手の届く範囲に誰もいないのだから。


「いや、まて……」


 相手がいなくても、手を繋ぐことはできる。そしてもしかしたら、これでこの闇から脚を出すことができるかもしれない。


失敗すれば無駄死に。だが成功すれば、壊しも抜け出もせずに、この身体を捕らえる闇から開放されるかもしれない。


『ほう、ようやく衰えてきたか』


 その言葉で結界に目を向けると、最初に比べてその輝きが弱まっているのが分かった。見ると、後ろではレイアが少し疲れたような顔をしている。このままでは彼女も依織のように、魔力を切らしてしまうだろう。


「迷ったところで、どうにもならないんだ。なら、やるしかないよな……」


 たとえ一か八か、万に一つの賭けだとしても、そこに逆転の目があるのだ。後ろでレイアと依織が持ちこらえてくれているのだから、俺だけが身体を張らないわけにはいかない。


「依織、今から俺が頼むことを、何も言わずやってくれ……!」


『むっ、何をするつもりだ?』


 俺の行動に空亡がいぶかしむ声を上げるが、無視して依織にそれを伝える。本来なら彼女は絶対にやってはくれないであろう、その頼みごとを。


「俺の身体を、胴から真っ二つに切ってくれ!」


「いっ、一体何を言い出すんですか……!? そんなことできるはずがありません……!」


「そうよ、あんたなに考えてるの! 自殺でもしたいわけ……!?」


『何を考えておるのだ? そのように死なれては、興醒めというものではないぞ……!』


 当然ながら、受け入れてくれるはずも無い。後ろの二人、そして空亡からさえも、拒否と戸惑い、そして怒りの声がかけられる。


だが、この状況を打破するには、絶対に必要なのだ。そして空亡も聞いている以上、詳しい説明をすることは出来ない。


「死ぬつもりなんか無い! これが俺達の勝てる、この状況でたった一つの手なんだ!」


「そんな、そんなこと……」


「そうよ、理由も聞かずに、そんなことできるわけないじゃない…!」


 けれど、そんな二人に怯まず畳み掛けるように言葉をかける。


「俺は絶対に死なない、これからもお前達も一緒に暮らしていく! だから頼む、お前の糸で俺の身体を断ち切ってくれ……! 今は俺を信じてくれ、依織、レイア……!」


「っ、分かりました、嘘だったら、許しませんからね……!」


「ちょっと依織、あんた本気で……! あぁもう、分かったわよ、あたしも信じてやるわ……!」


 結界を維持するのとは別の手で、依織が糸を投げかける。それは寸分たがわず、俺の腰に巻きつき――、


「いきますっ!」


 一息の元、俺の身体を断ち切った。


「がふっ!?」


繋がりを失った上半身は、固められたままの下半身から倒れこむ。


血や内臓、大切なものが、身体から零れ落ちていく。そして、これまで感じたことのない、凄まじい痛みが広がる。今振り向けば、きっと自分の身体の断面が拝めることだろう。


「っあああああ……!」


けれど、消え去りそうな意識を繋ぎとめ、俺は手を繋ぐ。


 ――自らの、右手と左手を。


その瞬間、何かが伝わるおかしな感触が身体を駆け巡る。


『お主、まさか……!』


 驚愕の声を空亡が上げるがもう遅い。防ぐのならば俺の身体が分かれる前、あの闇を伸ばして依織の糸を防ぎでもすればよかったのだ。


「どうやら、賭けには勝ったらしい」


 上半身だけで床に落ちたはずだった俺は、両手を繋いだまま二本の脚で立ちあがる。自分の身体に効果があるかは完全に賭けだったが、上手くいってくれたようだ。


『くくくっ、自らの身体を断ち切り、新たに生み出すとはの……! 我の闇から出るために、そんな真似をするとは思いもよらなかったぞ……!』


「それじゃあ空亡、悪いがこれで終わりにさせてもらうぜ」


 新しく生み出した身体でも、神断ちの力が宿ったままなのは一週間前に体験済みだ。

彼女自身が唯一その身を砕けると言った足を、床に刺さったままに微動だにしない刀へ今度こそ振り下ろす。


『本当に、お主は面白いの。その名、心にしかと刻んでおくぞ、――彰よ!』


 刀が粉々に砕け散る寸前、空亡は始めて俺の名を呼んだ。

その声は、何故かとても嬉しそうなものだった。


「っはぁ……」


 これでようやく、ようやく――全てが終わった。


 大きな安堵、そして再び殺すことになってしまった空亡への罪悪感を胸に、床に大の字で倒れこむ。本当に、もう一歩も動けないぐらいに、疲れた……。


「彰さん、お疲れ様です


「あたしも疲れたわ。結局、何だったのよ、これ……?」


 依織とレイアが近づいてくるのを聞きながら、疲れのままに俺は目を閉じようとし、


「ごばっ!?」


 ――血を噴出した。


「ちょっ、彰さん……!? どうして、いきなり……!?」


「こいつ手を離したのよ! なら繋げば元通りになるはず……!」


 依織とレイアの焦った声。


見ると、身体の腰から先が消え去り、おびただしい量の血を撒き散らしている。


そしてその光景を最後に、俺はそのまま意識を薄れさせていくのだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――



すいません、手違いで公開の順番間違えていたようです


今度こそ5話終了です。

これにて、あとはエピローグとなる最終話のみとなります。

どうか最後までお付き合いくださいませ。

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