065 『記憶にない幼馴染』
気がつくと、俺は見覚えのないテントのような空間で、絨毯の上に寝かされていた。
「おぉ、起きたか彰!」
そして目を開けると、そのすぐ傍で褐色美人が満面の笑みを浮かべていた。
……ただし、その腰から下は馬である、が。
「あぁ、うん、そういえばそんなこと書いてあったな……」
遠い目をして、親父から送られた手紙のことを思い出す。
人外女性との縁が出来やすくなる、という冗談みたいな内容があったことを。
「んで、あんたはいったい誰なんだ? 俺の名前を知ってるみたいだけど、生憎こっちには覚えは無いんだが」
長身ポニテの褐色美人なんてあったこともない。こんな濃い相手、もし一度会っていたなら忘れることは無いはずである。
「なんだと、もしかして、オレのこと覚えてないのか!?」
驚愕の表情で聞いてくる少女。
だが、そもそも俺には半人半馬のケンタウロスなんて知り合いは――、
「いや、いるのか」
他の種族なら縁は無い。だが、唯一、ケンタウロスという種族にだけは俺は深いかかわりがあるといえる。たとえ先日まで知らなかったとしても、俺にその血は流れているのだから。
「もしかして、母さんの関係か?」
手紙と共に送られてきた写真。そこに写る母さんの姿は、目の前の少女と同じ半人半馬のケンタウロスのものであった。
「確かに、彰の母様はオレの伯母さんではあるな。けど、そもそもオレと彰は初対面じゃないぞ」
「いや、そう言われてもな。あー、というか名前のほう教えてくれないか。もしかしたら、それで思い出すかもしれないし」
「むぅ、それはそうかもしれない。会えたのが嬉しくて、名乗っても無かったもんな。オレはミーティア=セントール、ケイロンの一族の長の娘で、彰の従姉妹だ!」
どうだ、これで思い出しただろ? と期待するように胸を張って名乗る褐色美人、改めミーティア。けれど彼女には悪いが、その名前に俺は聞き覚えが無かった。
「すまん、えーと、ミーティアだったか、どうも思い出せそうに無い……」
「そんな、彰はオレとのことを忘れてしまったのか! 彰がオレのとこに来たのは短い間だったけど一緒に色々遊んだだろ! 自信満々の彰をオレが駆けっこで負かせたときの約束も忘れたのかよ!」
「……駆けっこで、負けた?」
そこが耳にひっかかる。
確かに、俺は一度だけ駆けっこで負けたことがある。それは小学校に上がるまでもない幼い頃の話。細かいこと記憶はおぼろげだが、その悔しさだけは覚えている。
「あぁ、最初は自信満々だったくせに、一回負けたら維持になって何度も挑んできただろ、彰は! 結局最後の賭けのときも勝てなくて、オレの言うことを一つ聞くって約束しただろ!」
そう、そんな記憶はある。ものすごく悔しくて、何度も挑んで、勝つ為に子供なりに鍛えたり、戦術を考えたりもした。
そして、最後、そう確かあれは帰るときのことだ。それまでの特訓から勝てると踏んだ俺は、確かに賭けをした。勝った相手の言うことを一つ聞く、という内容の。
「まさかお前、みーくん、か……?」
「やっと思い出したのか! まったく、彰は色々遅すぎるぞ!」
そういいながらも嬉しそうに俺に抱きつくミーティア。
だが、俺はみーくんのことを忘れた覚えは無かった。ただ、目の前の彼女とつながらなかったのだ。俺がみーくんと呼んで、幼い頃に遊んだ相手は今の彼女とは全然違ったから。
「まさか、みーくんが女だったとは……」
そう、俺の記憶にあるその友人の姿は、髪を短く切りそろえた少年だった。女が『オレ』なんて一人称を使ったり、走り回ったりするなんて思っても無かったのだから。
それが、こんな長身の褐色美人になって、十年以上のときを超えていきなり尋ねてくるなんて、誰が想像できようか。それに、幼い頃の記憶だからか、隠されていたかはしらないが、その下半身が馬のものだったなんて俺の記憶にはない。
けれど、確かに、快活に笑う目の前の少女と、記憶の中の少年の笑顔は、どこか似ていた。
「む、まさか彰、オレを男だと思っていたのか? ほら、オレは正真正銘、女だぞ? もうオレ達も子供じゃないんだ、今からじっくり教えてやるぜ」
しゅるり、という衣擦れの音。みーくんはその衣装の帯を解いて、そしてそのまま上を脱ぎ捨てようとする。
けれど、そこで静止が入った。――蜘蛛の脚と、蛇の尾によって。
「そこまでよ、そこのあんた! 彰を放しさい!」
「えぇ、これ以上の狼藉はさせません! いきなり彰さんを連れ去るなんて!」
レイアと依織、我家の居候二人が、テントの中に凄い形相で入り、俺とみーくんを引き剥がしたのだ。奈々のときも思ったが本当に、こういうときだけは流れるように見事な連携である。
「ふむ、これはなかなか、想像以上に面白そうなことになっておるの」
その後ろには、性質の悪い喜悦を隠さない半球幼女、空亡までもが浮かんでいた。
全くもって、色々とわからないことだらけである。けれど、悲しいことに、今の俺には天井を見上げて途方にくれることしか出来ないのだった。
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