049 『彼女の基』
「助、かった……」
窮地の脱出と共に、身体の力が抜け危うく倒れこみそうになる。
上へ引き上げられた俺は天井にぶつかることもなく、いつの間にかずらされていた天板の向こう、天井裏の空間に入っていた。
穴は天板を戻して塞がれ、蜘蛛達が下から上がってくる気配もない。ようやく人心地つけたというわけだ。勿論、状況は何一つとして好転していない、寧ろまたレイアが捕まってしまった分悪化しているというべき状態なのだが。
「それにしても、またお前に助けられたな……」
俺の前にいたのは蜘蛛。ただし白ではなく黒色の、繭から助けてくれたあの蜘蛛だ。いつの間にか天井裏に上っていたこの蜘蛛に、間一髪のところで俺は救われたのである。
「ん、どうした? 着いていけばいいのか?」
蜘蛛は俺の肩に前足を引っ掛けると、まるでこっちに来いというように服を引く。
俺になにか案があるわけでもない、ここはそのとおりに動いてみるべきか。ここまで助けてくれているのだから、この蜘蛛が今更罠にはめるようなことをするとは思えない。
「あっ待て、こっちは立てないんだからもっとゆっくりしてくれ……!」
狭い天井裏に苦労しながらも、なんとか蜘蛛の後を追う。
しばらく進んで蜘蛛は立ち止まると、器用に天板を脚で外して人が通れるほどの穴を作りそこへ飛び込んだ。そして穴の先から、早く降りてこいというようにこちらを見ている。
「飛び降りろってことだよな。まぁこのぐらいの高さなら大丈夫か、っと」
こうして降り立ったのは家の中でも、俺にとって一番なじみのある場所。つまりは、俺の部屋だった。幸い、白い蜘蛛達はまだ依織の部屋の方にいるのかこの辺りに気配はない。
「なんで俺の部屋にわざわざ……? って、何してんだ?」
見ると、蜘蛛が押入れを空けて中の布団を外へ放り出していた。更に蜘蛛は剥き出しとなった底板へ脚をかけると、天井裏のときと同じようにそれを器用に持ち上げる。
「これは……」
こうして開かれた押入れの床下、そこには石で作られた階段あった。その雰囲気は蔵で落ちた部屋と同じ、十中八九これはあそこに続いているんだろう。
「ん?」
蜘蛛はそんな俺に早く進めというように、肩を叩くとその脚で押入れの先を示す。今までのように先導するつもりはないようだ。
「一人で行けっていうことか」
その問いかけに首肯すると、蜘蛛は刀を俺に差し出す。それは出会ったときにも渡されたあの魔力を吸う刀。
それで気がついたが、いつの間にか俺の手元から刀が消えていた。どうやらこいつが預かってくれていたらしい。つくづく面倒見のいい蜘蛛である。
「お前が持っていてくれたのか、ありがとうな」
礼を言って刀を受け取ると、俺は目の前に広がる石段に思いを馳せる。
この先には依織が、――依織の姿をした何か、がいるはずだ。
彼女を助けるにはこの先になにが待ち構えていようと進むしかない。ならば、俺の取るべき行動は決まっている。
「それじゃあ、色々とありがとうな。行って、それで必ず依織を助けてくる」
蜘蛛に別れと感謝を告げ俺は石段へ降り立った。なにがあろうと依織を救うと、心に誓って。
道中の糸を刀で消し去りながら進んでいくと広い場所に出た。揺らめく蝋燭の明かりの灯るそこは、予想したとおり蔵の下にあった石造りの部屋だった。
そして、そこで待ち構えていたのも、やはり想像通りの存在。
「あら、そちらからいらっしゃるとは、手間が省けて助かりました」
姿も声も、口調までも依織と同じ。けれど何かが決定的に違う、半人半蜘蛛の少女。
「……お前は、誰だ?」
やはり彼女は依織ではない、そう断言できる。
蔵のときと違い落ち着いているようだが、寧ろそのせいでより違和感があるのだ。
「ふふふっ、私は私ですよ。ですが、やはり分かってしまうものなのですね」
「何を言ってるんだ?」
依織の姿をした誰かは、問いかけに答えず笑う。一応話はできるようだが、何を考えているのかまるで分からない……。
「お気になさらず、こちらの話ですので。それで、なんの御用でしょうか?」
「教えてくれ、あんたは何者なんだ? 依織とどんな関係で、あいつを一体どうしたんだ?」
依織の身体を持つ彼女が何者なのか、そして依織は一体どうなってしまったのか。
「さぁ、何だと思います?」
「そんなこと言われても、分かるわけがないだろ」
聞き返されても答えられるはずがない。
一応、今分かっている事柄を整理すると、彼女はここで殺された人物で、記憶を取り戻した依織と言うことになるのかもしれない。だが、俺にはどうしても目の前の存在が俺と共に過ごしてきた依織であるとは思えないのだ。
「えぇ、それで合っていますよ。私はここであなたの先祖に殺された蜘蛛、そしてこの依織という娘の記憶であり、彼女とは違う存在なんですから」
まるで俺の思考を読み取ったかのように語る、依織の姿をした誰か。
けれど、そう言われても意味が分からない。彼女は依織の記憶であるのに、別人だとは。
「どういうことだ……?」
「あなたが依織と呼ぶこの娘、彼女には本来記憶なんてないんですよ。生まれたときからもつ知識はあっても、積み重ねた経験なんてものはないのですから。けれど、この娘は記憶を持っていた、ここまで言えば分かりませんか?」
「つまり、依織が自分のものだと思っていた記憶は、あんたのものってことか」
それならばレイアが発生で生まれた依織に記憶なんてないと言っていたことにも説明がつく。そして今の彼女はその記憶を取り戻したせいで、乗っ取られてしまったということか。
「乗っ取られた、なんていうのは心外ですね。元はといえば彼女の基に成ったのは私なんですよ。誕生するかどうかもあやふやだった彼女は、この場所に残っていた私の想いが混ざることで生まれたのですから」
「元になった、ね。なら、あんたは何がしたいっていうんだ? 俺としては、さっさとその身体を依織に返して欲しいところなんだが」
聞きながらも警戒を強める。俺は『乗っ取られた』なんて口にした覚えはない。さっきもそうだが、やはりこいつは俺の頭の中をどうにかして読み取っているのだ。
いや、思考を読まれているのなら、こう考えていることすらも読まれていることなのか……?
「えぇ、そうですよ。あなたが今考えていることも手に取るように分かっています。それで、私が何をしたいかでしたね。実のところ、どうするかはまだ考えているところなんですよ。最初は、あなたにも同じ目に遭ってもらおうかと思ったのですが」
「あんたがやられたことを考えるなら、復讐は当然だ。だから、同じことを俺にしてくれてもいい、けど俺はどうなってもいい。そのかわり、頼む――」
どうか依織はどうか助けてくれ、と言おうとしたところで、目の前の少女の表情が変わる。冷たい、憎しみのこもったものに。
「同じことを、してもいい? あなたに、何が分かると言うんですか……? 私が何をされたか、どんな目にあったか。あぁそうだ、まずは折角ですしあなたにも見てもらいましょうか」
「なにを――!?」
不穏な気配に身構えた瞬間、俺の意識は暗転する。
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