048 『蜘蛛の糸』

「あー、その、すまん……」


 だが、いきなりあんなことされたら仕方ないだろう、男なら誰だってそうなるはずだ。レイアみたいな美少女に、いきなり抱きつかれ、そのうえ頬にとはいえあんなことをされたら――、


「ちょっと彰、なんでこんなのがいるのよ!? あたし達に糸を吐いてきたヤツじゃない!?」


 先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、緊迫の声を上げるレイア。助けられた俺とは違い、初見なのだから蜘蛛は全て同じと思っても仕方ないだろう。


「いや、こいつは多分大丈夫だ、色が違うだろ。それに俺はこいつに助けられたんだしな」


 唇の感触を思い出してトリップしかけた思考を戻し、レイアにこの蜘蛛は敵ではないと説明する。俺自身よく分かってないのだが助けてくれたことを考えるに、この黒い蜘蛛は他のやつらとは違って味方のようなのだ。


「えっ、確かに色が違うけど。うーん、分かった、とりあえずあんたがそういうなら信じるわ。というか、なんかこれに似たもの見たことあるような気がするわね……」


「気のせいじゃないか? いや、俺もそう言われればなんか見覚えあるような気もするけど、多分白いやつをみたからだろ。それより、これからどうするかだ」


「まぁそうね。あんなやつでも、しっかり元に戻さないと寝覚めは悪いもの。それに、やられっぱなしは趣味じゃないわ。思い切り頭でも叩いて、無理やりにでも正気にしてあげましょ」


 俺の言葉にレイアも頷いてくれる。俺も彼女も、依織を助けたいという気持ちは同じだ。


「そういえばレイア、お前は何が出来る? 魔術とかで何か役に立ちそうなものはないか?」


 これまで聞く機会がなかったが、魔術が使えるレイアなら何かこの状況にあったことが出来るかもしれない。そんな期待を込めて問いかけるが、返ってきたのは簡潔な言葉。


「炎を出せるわ」


「あぁ、前に見せてもらったしそれは知ってる。それ以外には何かないか?」


「ものを燃やせるわ」


 いや、それは同じことではないのだろうか? 確かに、炎を出すのとものを燃やすのは違うのかもしれないが、ニュアンス的には同じように思える。


「それじゃあ、他には?」


「焼き尽くせるわ」


 物騒だな……。というか、それも同じ気がするのだが。


そして、なんというか、オチが見えた気がした。だが、まだ決まったわけではないと、恐る恐る推測を問いかけてみる。


「もしかして、燃やしたり焼いたりする以外は苦手だったりするのか……?」


「何よ、なんか文句でもあるの!? 仕方ないじゃない、魔術なんて普通は自分にあった一つをひたすら磨くものなんだから……!」


「あー、すまん、別に他意はないんだ……」


 怒るレイアをなだめつつ、彼女の魔術があまり当てにできないことに少し落胆する。流石に蜘蛛は倒せたけど、家まで一緒に燃えましたなんてことになったら笑えない。


「それじゃあ、やっぱりこれが頼りか」


「あれ、それって蔵で依織に渡した刀じゃない。なんであんたが持ってるの?」


「さっきあの蜘蛛が渡してくれたんだ。俺達が閉じ込められた繭も簡単に消せたし、魔力を吸うらしいこの刀はかなり役立つと思う」


 ただ、これが依織のおかしくなった原因の一つであることを考えると複雑だ。だが、今はそんなことで迷ってなんかいられない。依織を救う為なら、使えるものは何でも利用するべきだ。


「なるほどね。やけに頑丈だと思ったけど、魔力が込められてたからだったの。そういえば、依織のやつもよく魔力を糸に込めて色々やってたわね」


「だからこそ、それに対してこの刀は武器になるってことだ。あの白い蜘蛛達だって、多分依織の作ったものだろうから、こいつは効くだろうしな。流石にいっきにきた場合はキツイが」


 数匹なら大丈夫だろうが、蔵から出たときのように無数にこられたら刀一本ではどうしようもない。その場合は、火事が怖いが最悪レイアの炎を借りることになるかもしれない。


「まぁ大丈夫でしょ。このままここにいても始まらないし、とりあえず出ましょう」


「あっ、おい待て、そんな迂闊に動くなって……!」


「だからあんたは心配しすぎだって。ほら、大群どころか一匹もいないわよ。っていうか、なによこの糸? 蜘蛛だからってわざわざこんなもの仕掛けないでよ、うっとうしい……」


 彼女の言うとおり、廊下には大群はおろか一匹の蜘蛛の姿はない。ただ、所々に細い糸が張りめぐらされていたらしく、絡まったレイアが面倒くさそうにそれを掃っている。


「まったく、いきなりなことをするからだろ。まぁ何も無かったから良かったけどさ」


「だからって、動かないと何の解決にもならないでしょ、って、あ――」


 声を漏らすレイアの視線の先には一匹の白い蜘蛛。廊下を曲がってきたらしい。


「丁度いいわ、まずは肩慣らしといくわよ。さっきの借りもあるしね。あぁ、わざわざ魔術なんて使わないから心配しなくてもいいわ。こんなやつ一匹、あたしの尾だけで十分だもの」


「だから、そう油断するなって……」


 蜘蛛に向かって行く彼女に軽く呆れながらも、流石に大丈夫だろうとは思う。先ほど捕まったのは大群にいきなり襲われたことが大きいし、正面の一匹だけなら彼女の尾で一撃だろう。


「それに万一何かされても、俺がこの刀で助ければいい話だしな」


 しかし、そんな風に楽観的に考えたのが間違いだった。


 カツカツ、という硬い音が響く。依織が歩く音に似ながらもひとつひとつは小さな、けれどそれが幾つも合わさったような大きな音が、曲がり角の向こうから。


「へっ……?」


 レイアが固まるのも無理はない。一匹だけ、そう思っていた最初の蜘蛛から少し遅れて、大量の白い蜘蛛が現れたのだから。


 攻撃しようと近づいていた彼女は、相手にとっては良い的でしかなかった。蜘蛛達は、立ち止まってしまったレイアに一斉に糸を吹きかける。


「なっ、これ……!? まちなさいよ、この、もうっ、こうなったら……!」


 次の瞬間、レイアを飲み込もうとしていた糸が一気に燃え上がった。更に炎は彼女に近づこうとしていた蜘蛛にまで火の手を伸ばす。


「おぉっ!」


 火事は怖いがこの場面では四の五の言ってられない。それよりもあの大群をこのまま焼き尽くしてくれる方が重要だ。この蜘蛛達を何とかできれば消火もできるし、依織の元に行くのも一気に楽になるはずなのだから。


――けれど、やはりそう上手くはいかない。


「ひゃっ、いきなりこっちまで、ちょっ、そんな、えっ……!?」


「レイアっ……!」


蜘蛛達は自分達の身体が燃えるのも気にせず近寄り糸を放つ。レイアが魔術で糸や蜘蛛を燃やすも多勢に無勢、あっという間に彼女はそのまま燃やしきれなかった糸に飲まれ白い繭へ捕らわれてしまう。意識がなくなったからか、蜘蛛達を燃やしていた彼女の炎も消えてしまった。


「助けたと思った矢先にこれか……!」


 だが、また助けに行くわけにもいかない。レイアを捕らえた蜘蛛達は、今度は俺のほうへ向かってきているのだ。このまま俺が彼女の元に行っても、同じように繭にされるだけだろう。


「こうなったら、一度外にでるしか……」


 そう思い、廊下から庭に出ようと外を見ると、いつの間にかそこにも大量の白い蜘蛛がいた。更に、蜘蛛達が来たのと逆方向の廊下からも、蜘蛛が押し寄せてくる。


「これじゃあ、どうしろっていうんだ……!」


 最初にいた部屋に引き戻って、扉を閉めて背中で抑える。だが、こんなことをしても単なる引き戸ではほとんど意味はないだろう。


 何処からも押し寄せる大勢の蜘蛛達。そして、今の俺にはこの蜘蛛に対抗する手段もなく、逃げ場も全て封じられている。唯一蜘蛛達がいないこの部屋も、やつらが来ようと思えばすぐにでも破られてしまう。まさしく、絶体絶命といえる状況だ。


「くそっ、せめて蜘蛛っていうなら、救いの糸ぐらい垂らしてくれよ……!」


 『蜘蛛の糸』の話に出てくる地獄からの救いの糸。そんなか細い可能性でもいいからこの危機を脱する手段はないのか……? ありもしない神頼みでもしたい気分になってくる。


「くそっ、もう無理か……! こうなったら、やれる限りやってやろうじゃないか……!」


 もはや戦いは避けられないと、俺は戸から離れると向き直り刀を構える。

けれど、それと同時に俺の胴体に糸がぐるりと巻きついた。


「なっ、これはどこから……!?」


 まさか伏兵がいたのかと思い身体を見ると、それは黒かった。戸の先に迫る蜘蛛達とは真逆の色をしたその糸は、蜘蛛達が部屋に押し入る寸前で俺の身体を上へと引っ張りあげた。

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