012 『魔交界』

「ふぅ、さっぱりした……。あっ、レイア、ようやく見終わったのか」


「ん、あぁ、お風呂に入ってたのね」


 風呂からでると、レイアが居間で食事をしていた。こっちを少し見ると、また料理に集中し始める。よっぽど腹が減っていたのだろう。


「多分、お前が用意してやったんだろ、ありがとな」


 レイアに聞こえないよう、ソファのほうにいる依織に声をかける。

 料理はしっかり温められていたし、そもそも食器がどこにあるか分かっていないだろうレイアが食事を用意できるはずがない。ならば依織がそれをやってくれたと考えるのが自然である。


「そこまで手間ではありませんし、下手に動いてお皿を割られても大変ですから」


 少し毒はあったものの、さほど気にしている風でもなく依織は上機嫌な様子だ。


「というか、なにやってるんだ?」


 なにやら手元を動かしている依織。だが、覗き込もうとすると着物の裾で隠されてしまった。


「ふふっ、秘密ですよ。ですが、明日になればお教えしますので」


「そっか。それじゃあ、明日を待っておくか」


 気になりはするが、無理に問い詰めようとは思わない。明日になれば教えてくれるというなら、それに従うまでだ。


「とりあえず、風呂空いたから、レイアが飯食ってるうちに入っといたらどうだ」


「そうですね。調度きりのいいところでしたし、そうさせてもらいます」


 そう言って自分の部屋へ着替えを取りに行く途中、依織が振り向く。


「気が向きましたらいつでも覗いてくださいね。彰さんなら、私はいつでも歓迎ですから」


 そんな魅力的な、もとい悪魔的な誘いを残し、彼女は居間から出ていった。



「ふぅ、美味しかった。あいつは気に食わないけど、料理だけは認めてあげてもいいわね」


 料理を食べ終えたレイアが、ソファに長い尾を投げ出して占領する。自然、もともとソファに座っていた俺は押しのけられ、端に移動させられてしまう。


「お前なぁ、なんでそんな上から目線なんだよ……」


「上から目線って当然でしょ。だってあたしのほうがあいつよりも優れてるんだから」


 自信満々に言い放つレイアだがとてもそうは思えない。この自信はどこからきているんだか。


「少なくとも、俺にはお前より依織のほうがしっかりしているように思えるがな」


「なんですって、一体あたしのどこがあいつに劣ってるっていうのよ!」


「じゃあ、お前が今日やったことと、依織がやったことを考えてみるといい」


 いくらなんでも調子に乗りすぎなので指摘してやる。彼女は一日なにをしてきたというのか。


「私がやったこと……? えーと、テレビを見て……」


「ちなみに依織は掃除や洗濯の家事全般、おまけにお前が認めた料理も作ってくれたわけだが」


「ぐっ、それは……」


 自分のやっていたこと、というか何もしていなかったことにようやく思い至ったらしい。言い返せずに言葉に詰まるレイア。そこに更に追い討ちをかけるようだが、言葉を重ねる。


「お前がどれだけえらい立場だったのかは知らないが、少なくともうちの中ではみんな対等だ。そこで優劣をつけるとしたら、行動だろう?」


そして、家のためにしっかり働いてくれた依織と、ただテレビを見ていただけのレイアでは、どちらが優れているかなんて比べるまでも無い。


「分かったわよ、やってやろうじゃない! あたしだって、それぐらいきっとできるわよ! あいつに出来て、あたしにできないはずないんだから!」


「いままで、家事とかしたことなかったのか?」


「仕方ないじゃない、そんなのは使用人の仕事なんだから」


「あぁやっぱり、お嬢様だったのか」


 当たり前のように言い放つレイア。立ち振る舞いはさておき、その態度や世間知らずからうすうす感じていたことだが、やはり相当の家柄らしい。


「そうよ、あたしは名門ルムガンド家の娘なんだから。本来はあんたが軽々しく口を利いていい身分じゃないのよ。それを許しているあたしの寛大さに感謝しなさい」


「ルムガンドってのは家の名前か? なら、やっぱり外国から来たのか」


 外国から来たのなら、世間知らずなところや日本人離れした容姿も納得だ。まぁ腰から下の部分に関して忘れれば、だが。


「そうよ、ルムガンド家といったら魔交界でも有名な貴族なんだから」


「魔交界? 貴族ってのは分かったが、魔交界ってのはなんだ?」


「魔交界っていうのは、魔族の貴族における社交界のことよ。そこで一目おかれるっていうのは本当にすごいことなんだから」


「はぁー、そんな世界もあるのか」


 なるほど、魔族の社交界だから魔交界か。内容さえ知れば、分かりやすいネーミングだ。


「うち意外に有名なところだと、吸血鬼[ドラクル]のヴラド家や、人狼[ウェアウルフ]のルーガル家、日本だと妖狐の玉藻家なんかがあるわね」


「へぇ、よく分からないが、有名な名前ってことはなんとなく理解できたぞ」


 漫画やゲームでよく耳にする名前である。そんなところに使われるほど有名、もしくはそれらの大本になっているということなのだろう。


「まぁ吸血鬼だからといって絶対にヴラド家というわけじゃなくて、同じ魔族でも色々と家はあるんだけどね。そして、ルムガンド家はラミア族のなかでも筆頭の貴族というわけよ」


 恐れ入ったか、とでもいうように胸をそらして誇らしげに言うレイア。


豊かな双丘がいっそう強調されて眼福ではあるが、そのまま凝視するわけにもいかないし目のやり場に困る。このままでいるのも辛いので目をそらしつつ、話題を変える。


「けど、なんでそんなお前が日本にいるんだ? しかも、追われてたみたいだし」


「それは……」


「あー、言いたくないならいわなくていいさ。ただなんとなく聞いただけだしな」


「そう、……ありがと」


「だから、気にするなって」


 珍しくしおらしいレイアに戸惑うが、それほどまでに言いたくない事なんだろう。なかなか彼女の抱えている事情は難しそうだ。


そしてどちらともなくお互いに無言となり、なんだか微妙な雰囲気が漂ってくる。


――それを破ったのは不機嫌そうな声。


「……何を話してるんですか、そんなところで?」


 いつの間にか、依織が風呂から出てきていた。どこか拗ねたような声音には、短い言葉ながら色々含まれているように感じられる。


「いや、なんでもない。単にちょっと世間話的な、な」


 つい言い訳じみたことを言ってしまう。別に何も悪いことはしてないのだが、依織のプレッシャーに押されてしまったのだ。浮気現場を見られた男というのは、こんな心境なのだろうか?


「あっそうだレイア、依織も出たみたいだし、お前もそろそろ風呂は入ったらどうだ?」


「そうね、そうさせてもらおうかしら」


 俺の思いは彼女にも伝わってくれたらしく、ソファを占領していた尾を引き伸ばしてレイアは居間を出て行く。けれど、その言葉は少し柔らかく、どこか打ち解けられたような気もする。


「むぅ、私がいない間に一体何が……? 納得いきません……」


 不満げに声を漏らす依織だが、流石にそれに答える気にはなれなかった。

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