060 『手紙と写真と我家の秘密』

「えっと、その……。どうして、そんなことを……?」


 確かにうちで暮らして、家事を全て誰かに丸投げすれば叶うかもしれない。だが、本当にそんなことが目的で、その為にこれまであんなに拒否していた俺の誘いを受けたというのか?


「む、なんだお主たちまだ納得してくれぬのか。ならば仕方ない、我を形作る念の一端を味合わせてくれよう……!」


 そう言って空亡が半球に手をかざすと、頭の中に何かが入ってくるような感覚とともに、目の前が真っ暗になる。そして以前、空亡を形作る闇に捕らわれたときのように声が聞こえた。


――働きたくない。


 サビ残だった。


目の前に広がる書類を前にして、その不備や間違いを正しながら、キーボードでパソコンに打ち込んでいく。もう、どれだけ寝ていないか分からない。

窓の外を見ると、夜が明け始めていた。けれど、今も目の前には仕事が、給料に一切含まれない、そもそも上司の手違いによってできた、俺に責任の全く無い書類の山が残っている。

しかし、止められない。そして、それが終わったらまた今日の業務が始まる。眠る時間などあるわけが無い。


 給料も出ないのに働きたくない。眠たくて働きたくない。あんな上司のために働きたくない。働きたくない。働きたくない、働きたくない、働きたくない働きたくない、ないないない――、


 ――そこで意識が戻った。


 全く関係のない光景。けれど、現実としか思えない徒労感に、身体中から疲れが湧き出てくる。さっきまで俺は確かに、望まないサービス残業をさせられる社蓄だった。


「……ないわー」


 思わず声が出た。いや、確かに、働きたくないというのは邪な考えかもしれないが……。


「あー、お前らはどんなのだった……?」


 見ると、依織とレイアも俺と同じように、疲れたような微妙な顔をしている。


聞いてみると、依織は目覚ましが鳴ってもまだ少し寝ていたいOL、レイアは長期休暇が終わった朝学校に行く気になれない学生の意識を体感させられたらしい。


「……あの、お二人とも」


「……言いたいことは分かるわ」


「……あぁ、俺も同じ気持ちだ」


三人揃って、通夜のようにいたたまれない気分になってくる。


こんなのが今の空亡を構成する邪念の一端だと? こんなもので空亡はできていると……?


「くくくっ、どうやら我の念にあてられてもはや声も出ぬようだの……!」


「あー、もう、それでいいや、うん……」


「えぇ、私も。こんな方を、警戒していたなんて……」


「なんかもう、馬鹿らしくなってきたわ、あたし……」


 沈んだ俺達の様子をどう解釈したか、空亡は上機嫌であるが、もはや何も言う気になれない。


「というわけで、これからよろしく頼むぞ、我の働かない生活の為に!」


「あぁ、分かった。こちらこそ、よろしく……」


 まぁその内容は残念すぎるものだったが、空亡が無害な存在になってくれたことは喜ばしいことだ。流石に色々複雑な気分になるのは止められないが。


「って、おっ……! 始まったか……!」


 沈みかけていた気分が、一気に浮き上がる。

 ふと自分の身体に目を向けて、その断面から足の先が伸びてきたこと気がついたのだ。


「ほほぅ、あのような薬で、本当に身体が生えてくるとはのう。本当に珍妙な光景よな」


「まぁその気持ちは分かるぜ。俺達も、前のときはこれにかなり驚いたからな」


 興味深そうに、ゆっくりと伸びていく俺の足を眺める空亡に苦笑する。


 あの残念なセリフを聞いた後だと、わざわざ警戒しようという気にもならず、ごく自然に接することができた。こうして彼女と平和的に打ち解けられたことは、素直に嬉しい。


「けど、これ結構かかるのよね。確か前は、ここから何分か、かかってなかった?」


「そうですね。あの時は彰さんの身体が心配で、時間はあまり気にしていませんでしたが」


 空亡と違い、二度目の為か手持ち無沙汰な二人の前に、封筒を取り出す。


「なら、その間に手紙でも読むか? 実は薬と一緒に、どっかに行ってる親父達から、連絡が届いてたんだ。何かしてれば、数分なんてすぐすぎるだろ」


 何もしないで待つのは長く感じても、することがあれば短いものだ。俺としても、このまま待つのは少し暇なので、親父達から届いたその封筒の中身を取り出す。


「おっ、写真があるな。何処で取ったのかは分からないが、写ってるのは親父と母さんか」


 封筒に入っていたのは、二通の手紙と一枚の写真だった。

そしてまずは写真を見ると、空亡も含めた三人が後ろからそれを覗き込んでくる。


「彰さんのご両親が写っているのですか、私にも見せてください」


「あっ、あたしも見るわよ。あんたの親って、そういえば見たことなかったわね」


「うむ、折角だから、我も見よう」


 そこに写っていたのは、馬の背の上で眼鏡をかけた少し冴えない男性が、俺を産んだ一児の母と思えないほど若々しい栗色の髪をした女性に抱きついている。この二人が、俺の両親であり、結婚してかなり立つはずの今も、熱々な夫婦である。


「ん、というかこれ、合成写真、か……?」


よくよく見ると写真がおかしいことに気がつく。

親父の方は特に何も無いのだが、その乗っている馬、そして抱きつかれた母さんがおかしい。馬の頭があるはずの部分には母さんの身体があり、逆に母さんの脚は何処にも見当たらない。


「へぇ彰のママって、ケンタウロスだったんだ。だから、あたし達にもすぐ慣れたのね」


「ですが意外です。彰さんは完全に人の姿ですし、ご両親共に人間だと思っていたのですが」


 俺のように写真を疑うことも無く、二人はあまり母さんが半人半馬と思っているようだ。

けれど、そんなはずは無い。これまで一緒に暮らしてきた母さんの身体は、馬のものではなくごく普通の人間の脚があったのだから。


「そのように悩まずとも、その辺りのことも手紙に書いてあるのではないのか? わざわざ一緒に送ってきたというのならば、それについても記してあるはずであろう」


「まぁそれもそうだよな。それじゃあ、手紙の方を読むか」


 空亡の言うとおり、何を考えてあんな写真を入れてきたのか書いてあるかもしれない。そもそも、わざわざ手紙で何を伝えようというのだろうか?


 そんな風に思いながらも、手紙を開きその内容に目を通す。それは俺だけでなく、この場の全員に宛てたものだった。


『彰、そして共にいるだろう女性へ。


 多分もう色々なことに遭っているだろうから知っていると思うが、この世界には妖怪や魔族というような人間じゃない存在がいる。そして、うちの家系は代々そういう人ならざる女性と結ばれてきたんだ。


その理由までは僕も知らないのだけれど、霜神家の長男は手と脚に受け継がれる力というものがあるらしくて、それを子孫に伝える為に人外の相手と結ばれる必要があるらしい。


勿論、そんなこと関係なく僕は母さんを愛してるけどね。


それで、送った写真を見てもらえば分かると思うけど、母さんも実は人じゃなくて半人半馬のケンタウロスなんだ。ずっと彰に人の身体しか見せてなかったから驚いただろうけど、これもうちの家系の力の一つなんだよ。


手を繋いだ相手の身体を人間に変える力にはもう気づいてるだろうけど、実はその相手と子供を作ると、相手の身体はもう手を繋げなくても自由に人の姿に変われるようになるんだ。


その代わり、もう手足の力はお腹の子に移るから無くなるんだけれど。


まぁ何が言いたいかというと、彰もその相手の娘も、もしも好きになったなら種族の差なんか気にする必要は無いってことだ。


父より』


「おいおい、まじかよ……?」


 本来なら、到底信じられない内容だが、実際レイアや依織と知り合って、さらにはそもそもうちが力を受け継ぐ原因になったであろう空亡とも出会った今、否定する方が難しい。

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