017 『想定外の効果切れ』

「それで彰、さっきあんた、この蜘蛛が出てくる前に何か言おうとしていたわよね。一体何を言うつもりだったの?」


 そう言われて思い出す、二人にまず何よりも伝えなくてはいけないことがあったことを。


「そうだった。あの二人とも、折角気に入った服とか選んでもらって悪いんだが、――なっ!?」


 金が無いから買って帰るのは無理。そう今度こそ二人に告げようとするも、できなかった。


「えっ、そんな、なんで……!?」


 驚き、戸惑った依織の声。それは俺も同感だ。何故、こんなことに……?


「どうして、いきなり戻ってるのよ……!?」


 依織の言葉を引き継ぐように、レイアが驚愕の声を上げる。


 そう、依織の腰から下は先程までの人のものではなく、彼女本来の巨大な蜘蛛のものに戻っていた。大きく広がったスカートからは、八本の脚と蜘蛛の腹部が隠しきれず露になっている。


「……お客様、どうなさいましたか? ん、それは……?」


 しかも間の悪いことに、店員が俺達の声を聞きつけこちらに寄ってきた。俺とレイアの身体で辛うじて遮れているが、近寄られてしまえば依織のこの姿を隠す術は無い。


「もしかして、そういうことか……! 依織、ちょっと手を借りるぞ……!」


「えぇっ、彰さん、なにを……?」


 戸惑う依織に手を伸ばしその手を掴む。それとほぼ同時に俺達の傍に店員がやってきた。


「あの、今、なにか大きな……?」


「大きな、ってなんのことですか? ちょっと、こいつが転びかけたんで、手を掴んでとめただけですから、心配しないでください。あっ勿論、服の方も大丈夫ですから」


「えぇ、私が不注意でこけそうになってしまったのを、助けてくれたんです!」


「……そう、ですか。すいません、どうやら何か、見間違いをしてしまったようです。引き続き、お買い物をお楽しみください」


 なんとか誤魔化せたようだ。少し不思議そうな様子ながらも、店員はそう言って一礼すると俺達から離れていった。あと少し手を繋ぐのが遅かったら、多分間に合わなかっただろう。


「まったく、なんなのよ? あたしまでいきなり戻ったりしないでしょうね?」


「いや、多分お前は大丈夫だと思う。絶対、とは言い切れないが……」


 文句を言いながらも、どこか不安そうに自分の身体を見るレイア。けれど、俺の推測が正しいなら、彼女まで戻ったりすることはないはずだ。


「あの、彰さん、どういうことでしょうか。私は戻ったのに、彼女は大丈夫とは? 私もレイアさんもほとんど同じぐらい、彰さんと手を繋いでいたと思うのですが……?」


「そうよ、大丈夫って言われても理由がないと、安心なんて出来るはずないじゃない。あたしとこいつで、どう違うって言うのよ? 自分ばっかり納得してないで説明しなさい」


「多分、推測だが依織が戻ったのは俺が手を繋いだからだ」


 先程掴み、そのまま俺の手と繋がれたままの依織の手を、二人の目線に挙げる。


「どういうことよ? 逆じゃないの、それは? あんたと手を繋げば、あたし達の身体は変わるんでしょ。なのに、なんで戻った理由が手を繋いだからなのよ?」


「えっと、あの、もしかして繋ぎなおしたから、ってことでしょうか?」


「あぁ、そうだ。ここに来るまでずっと手を繋いでたんだから、時間切れで戻るのはおかしい。けど、依織を引き止めるのに俺がまた一度手を掴んだだろ? それでまた変化してる時間が上書きされたんじゃないか、って思うんだ」


 推測の域をでない考えだが、これなら突然依織だけ戻った説明がつく。それに改めて考えれば、手を繋ぎなおした間と、離して戻るまでの時間は同じぐらいだったように思える。


「なんだ、そういうこと。それなら確かにあたしは大丈夫ね。まぁけど、ある程度は試したし、ここばかり見るのもつまらないから、そろそろ会計済ませましょうか」


「あー、そのことで、さっき二人に言おうとしたんだが……」


「そういえば何か言おうとしていたわね、結局なんだったの?」


「すみません、私が遮ってしまったのですよね……」


 言おうとするたび、タイミングを見計らうように邪魔が入り、延び延びになってしまったことを、ようやく口にする。しかし、どうやって依織はともかくレイアを説得したものか……。


「あのさ、二人とも服はとても似合ってるし、折角選んでもらったところ悪いんだが、ここの服、買えないんだ。俺の持ち合わせじゃ、一着すらも買えそうに無い……」


 レイアのドレスは勿論、一見普通に見える依織の服も、全て高級なブランド品なのである。俺の手持ちはおろか、家に帰って貯金や生活費をかき集めてさえ買えない値段なのだ。


「あっ、そうですよね……。すいません、私、選ぶのに夢中で、お金のこと全然考えていませんでした……。えぇ、はい、こんな無駄遣い、できるわけありませんよね……」


 着ている服の値札を見て、俺の言いたいことを察してくれた依織。残念そうでありながらも、一応は納得してくれたようだ。しかし、問題はもう一人である。


「なに言ってるの、気に入ったのなら買えばいいじゃない。そもそも買わないのに服を選ぶなんて、無駄でしょ? 何の為にこの店に来たと思ってるの?」


「いやだから、金が無いんだって。金が無いと、何も変えないことぐらい分かるだろ?」


「あら、お金なんか無くても、物は買えるわよ。ほら、これで」


 そう言ってレイアは胸元に手を入れると、なかから黒いカードを取り出した。


「いや、そんなものじゃ、……ってそれ、もしかして、あのブラックカードかっ!?」


 限度額なしに何でも買えるが、カード会社からの招待でしか手に入れられず、持っているだけでステータスとなるという、もはや都市伝説と言っていいほどの代物である。


「何に驚いてるのか分からないけど、これを出せばお金なんて無くてもなんでも買えるでしょ。というか、そもそもあんたの財布なんかあてにしてないわよ」


 その口ぶりからは、それで普段から買い物をしていたことが窺えるし、本物なのだろう。彼女が凄い家柄なのは分かっていたつもりだったが、こんなものを持たされる程だったとは……。


「ついでだから、あんたのぶんも払ってあげるわ。あたしだけ新しい服を着るっていうのも微妙だし、あんたもそれ着て帰りたいんでしょ。あんなに吟味して選んでたんだし」


「うっ、それは……」


 言葉に詰まる依織を無視してレイアは店員を呼ぶと、自分達の来ている服の値札を取らせ、更に追加で他に選んでいたらしい服や元から来ていた服を袋に入れさせていく。


「ほら、自分の分ぐらい持ちなさいよ。ただでさえ、片手しか使えないんだから」


 会計を済ませたレイアは、渡された二つの紙袋のうち一つを依織に押し付け、空いた手で俺の手を掴む。これで繋いだことがリセットされたので、また暫くは彼女とも手を離せないことになる。


「あの、これ、私が他に選んでいた服まで……」


「どうせ買うなら、少し増えたところで変わらないわよ。別に、恩を売るつもりなんて無いし。あんたから貰いっぱなしなのが、気に食わなかっただけだもの」


 そう言ってレイアは紙袋を掲げた。その中には先程店で買った服と共に、最初に着ていた依織の織った服が入っている。つまりは、その借りを返したということなのだろう。


「そう、ですか。けれど、お礼は言わせてもらいます。レイアさん、ありがとうございました」


 なんとも素直じゃない左右の少女達に苦笑する。なんだかんだいって、二人とも悪いやつではないのだ。普段いがみ合っているといっても、そこまで相手を嫌いなわけではないのだろう。


「ちょっと、彰、なにを笑ってるのよ!」


「えぇ彰さん、何がおかしいというのですか、教えてください?」


「いや、なんでもない、単になんとなくだ。それより、次はどこに行くんだよ?」


 ステレオで問い詰められるが、答えようも無く適当に流す。


美少女二人を伴った外出はまだ始まったばかり、次はどこで何をすることになるのやら?



 それから雑貨屋、靴屋、本屋、ゲーセンなどを巡り、気がつけば日の沈みかかった夕刻。


「――ですから、あなたがあそこであんな真似さえしなければ……!」


「――いいえ、元はといえばあんたが悪いんでしょ、そもそもあのときだって!」


 色々巡った帰り道、歩きながら言い争う依織とレイア。きっかけは些細でも始まれば収まるまで、かなり長く続いていく。両手が塞がってるため手は出ず、口だけなのが救いである。


「正直、間に挟まれた俺としてはたまったものじゃないがな。もはやツッコム気力も無い……」


 当然ながら、帰り道も俺達は手を繋いでいる。なので必然的に二人の言い争いは、俺を挟んでのものとなるのだ。当初は俺も諌めようとしたが、キリが無いのでもう諦めた。


「しかし、何か忘れている気がするんだよな……」


隣の声を聞き流しつつ、なんとなく思う。こうして街に出て買い物など色々してきたわけだが、何か忘れているような気がするのだ。浮かびそうで浮かばないのがもどかしい。


「忘れてるって、何をよ?」


「はい、忘れ物とかはなかったと思いますが?」


 どうやら声に出ていたらしい。言い争いを中断して、二人が俺のほうに聞いてくる。だが、何がと聞かれても具体的なことは何も答えられない。


「なんというか、そういう忘れ物みたいな感じじゃなくて、もっと根本的なことについて忘れているような気がするんだよ。それが思い出せそうで、ぎりぎり出てこないんだ」


 何かは分からないけれど、確実に何か重要なことを忘れている気がする。けれど、それが何なのかが浮かばないのだ。自分自身の記憶ながらもどかしい。


「ふぅん。けど、思い出せないようなことなら大したことじゃないんじゃないの?」


「ここは私も同じ意見です。そんな分からないことを悩むよりも、これからのことを考えてはいかがでしょう? ――例えば、私たち二人の将来のことですとか」


「おっと……」


 つい体勢を崩してしまう。依織の言葉のせい、というか言いながら彼女が繋いでいた腕に抱きつくように絡みついてきたせいで。なんとか転ばずにはすんだが、やはり少し照れる。


「ちょっと、いきなりなにするのよ! こいつが倒れたら、あたしまで巻き添えになるんだから、気をつけなさいよ!」


「あっ、おいっ!?」


 今度はレイアがその細腕のどこにあるのか分からない強い力で俺を引っ張ってくる。踏ん張ろうにも抗えず、そのまま抱きついている依織ごと引き寄せられてしまう。


「あなたこそ、何をするんですか。というか、いい加減手を離したらどうですか。もう家まで距離も無いでしょうし、わざわざ手を繋いでなくても大丈夫でしょう?」


「ちょっ!?」


「だからってあんたに指図される謂れはないわ。あたしがどうしようとあたしの勝手でしょ!」


「ぐはっ!?」


「そんなことは困ります。ねぇ彰さん言ってやってください、この自己中心的な蛇に!」


「自己中心的なのはあんたのほうよ、そうでしょ、彰っ!」


「――その前にお前らは俺を殺す気か!? いい加減に止めてくれ!」


 必死に叫ぶ。傍から見ている分には美少女二人に取り合いされて羨ましいような光景に思えるかもしれないが、実際はそんな甘いものではなく命の危険を感じた。


依織もレイアも見た目は可愛くでも人間ではないのだ。そしてその人外の力で引っ張られるのだから、堪ったものではない。正直なところ、身体が左右に引きちぎれるかと思った……。


「まったく、あなたのせいで彰さんが! 早くその手を離してください……!」


「なによ、それはあんたもでしょ! あんたが離せばいいでしょう!」


 俺の必死の叫びは、また新たな諍いの火種になるだけだった。先程の引き合いよりはマシだけれど、結局のところ言い合いの内容が変わっただけで状況はあまり変わっていない。


「……俺の身体、もつんだろうか?」


 精神的にも、肉体的にも。今日はもう終わりだし家まであと少しだからいいが、これから先二人と暮らしていく中で、どれだけ大変なことが起きるか想像するのも恐ろしい……。



――――――――――――――――


これで第二話相当部分、日常編終わりです。

ようやく次から、ヒロインにかかわる話を始められます。

あと今度から18時0時投稿でなく、18時23時投稿にします。

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