第二話 『まるでアニメのような日常……ただし、下を見なければ』

007 『蛙で指ちゅぱ』

 ピピピピピピピピピピピ、カチッ。


「うー、ん?」


 うるさく鳴り響く目覚ましを止めようと手を伸ばそうとするが動かない。更に、触れていないのに、何故かひとりでに目覚ましが止まった。


「……なんだ?」


 まさか金縛りにでもあったのか、と思いつつ目を開けると美少女の顔があった。


「ん、あぁ、なんだ依織か……」


 俺の手を握った依織が一緒に布団に入り、こちらに微笑んでいる。


どうやら俺の手がさっき動かなかったのは、彼女が握っていたかららしい。見えないが、布団が盛り上がってないことで、彼女の蜘蛛の身体が人間のものに変わっているのが分かる。


「おはようございます、彰さん」


「あぁ、おはよう」


「それでは朝食のほうはできていますので、準備ができましたら来てくださいね」


 そう言って布団からでると、依織はごく自然な動作で部屋から出ていった。俺は寝ぼけた頭で、その様子を見送る。


「ってなんで依織が布団の中にいるんだ!?」


 昨日しっかりと部屋を案内し、別れたはずである。一緒に布団に入るような、そんな出来事はなかったはずだ。……少なくとも、俺の記憶にはない。


「何もなかった。うん、そうに決まってる」


そんなことより、美味しい依織の料理が待っているのだから、さっさと着替えて朝食にいくべきだ。ただ、一応あとで依織に確認はしておこう。



 台所に着くと、もう既にテーブルに料理が並べられていた。


「目玉焼きにきゅうりの漬物、それに鮭の切り身か」


「あっ、彰さん。ご飯とお味噌汁ご用意しますから、待っててくださいね」


 こちらに気づいた依織が、お玉を手に取り味噌汁をよそってくれる。


その後姿は、着物の膨れ具合から、彼女の下半身が本来の蜘蛛のものに戻っているのが見て取れた。どうやら、彼女が俺の手を握っていたのはそこまで長くなかったらしい。


「はい、どうぞ」


 お盆に載せて、二組のご飯と味噌汁を依織が持ってきた。


「あぁ、ありがとう。しかし、見事なもんだな」


 よそいたてのご飯と味噌汁からは湯気が立ち上っている。少し冷めてしまっているものの、目玉焼きも半熟だし鮭も香ばしく焼けており、とても美味しそうな朝食だ。


「そう言っていただけると嬉しいです。大したものではありませんが、どうぞ召し上がってください」


「いやいや、十分だって。それじゃ、いただきます」


 依織に促されるまま手を合わせ、料理を食べ始める。


 まずは、味噌汁から。熱い椀を持ってすすると、だしのいい風味が口に広がってくる。


「うん、やっぱ美味いな、依織の料理は」


「喜んでもらってよかったです。なんだか、こうしてると新婚みたいですね」


「新婚って、流石にそれは展開早すぎだろ……」


 嬉しそうに頬を染める依織に少し辟易する。いくらなんでも最初から好感度が高すぎだ。


「まぁ、しかしそう見えなくもないか」


確かに見ようによっては可愛く甲斐甲斐しい嫁を娶った、ある意味では勝ち組とも言える新婚状態に見えるのかもしれない。勿論、テーブルの下に目を向けなければだが。


 そんな風に、軽く雑談を交えつつ食事をしていく中、ふとあることに気がついた。


「そういえば、昨日の夕食もだけど、よく料理なんかできたな。記憶喪失だっていうのに」


「それが、最初から知っているように身体が動いてくれたんです。なんだか、身体が覚えてる、といった風に。便利なことだからいいのですけれど、どうしてなんでしょう?」


「なんともおかしな話だな。けど、ありがたい限りだ。実は結構食事に関しては悩みどころだったんだが、依織がいれば安心できそうだな」


 都合のよすぎる記憶喪失だが、こういうのなら歓迎だ。ご都合主義万歳!


「お役に立てた用で何よりです。まだ色々と作れそうな料理はありますから、夕食のほうも期待してくださいね」


「レイアのやつも喜びそうだな、って、そういやあいつはどうしたんだ? まだ寝てるのか?」

 今更ながら気がついた。てっきり、あいつなら大喜びで朝食も食べると思ったのだけど。蛇だから、朝に弱いとかなのだろうか?


「……あぁ、そういえば、そんな方もいましたね」


 素っ気無い返事である。よくよく考えてみれば用意されていた食事も二人分だし、見たところレイアの分はどこにもない。そう思ったとき、


 ――バン!


 と、勢いよく廊下の戸が開け放たれ、レイアが現れた。


「ちょっ、おい大丈夫か!?」


 驚いて俺が駆け寄るのも仕方ないだろう。レイアは身体中に何かの糸が絡まり服も乱れ、外傷は見えないものの、まるで何か大作業を終えたかのようにボロボロの姿をしていたのだから。その輝くような金髪も今は結うどころか寝癖のまま、糸や埃をかぶっている。


「えぇ、大丈夫よ、怪我はないわ……」


 確かに、その言葉通り汚れなどはあるものの、目立った外傷らしきものは見当たらない。


「しかし、どうしてそんなことになってるんだ? 朝っぱらから何があったんだよ?」


「どうしてもこうしても、そこの害虫のせいよ……!」


 ビシッと依織を指差し、激怒した様子でレイアが叫ぶ。


 しかし、当の依織は我門せずといった風に、平然としている。それどころか、


「なんですか、朝から騒々しい。私と彰さんの朝のひと時を邪魔しないでください。爬虫類は冬眠でもしておとなしくしているのがお似合いだと思いますよ」


 こんなふうに不機嫌そうな様子で毒を吐く始末だ。

「あんたのせいでしょうが! 人が寝てる間に扉に糸を張って閉じ込めるとか、一体なにを考えてんのよ!」


「私がやったという証拠はどこにあるのですか? そんなものないでしょう? ほら、貴方の分の朝食も用意してありますから、さっさと食べて部屋に戻ってください」


 そう言うと、依織は何か紙袋をレイアに向けて放り投げた。


「なによその言い草は……! まったく……!」


そう言いつつも、反射的に袋を受け止める。依織の料理に関してはレイアも文句はないのだろう。しかし、一応レイアの分も朝食を用意してあったとは、まったく気づかなかった。


「いやぁぁっつ!?」


 大きな声を上げて、突然レイアが袋を投げ捨てた。


更に、そのまま俺の後ろに隠れ、怯えた様子で床に転がる袋を凝視している


「いや、突然どうしたんだよ?」


「だっ、だって、あれ……!」


 震える声で、レイアが指し示した先には床に転がる袋。そこから『ゲコゲコ』と鳴き声をあげながら、数匹のカエルが現れる。


「ひいぃっ……!?」


「……苦手なのか、カエル?」


「そっ、そんなことあるわけないじゃない! 伝統あるルムガンド家の娘たるあたしが、カエルなん、――きゃぁ!?」


 意地を張ろうとするも、跳ねたカエルに怯えて可愛らしい悲鳴を上げるレイア。


後ろに隠れるのは構わないし、抱きつかれるのはむしろご褒美だが、尾でしがみつくのは流石にちょっと苦しいのでやめて欲しい。


「ちょっと、なに彰さんにひっついてるんですか!」


 依織は依織で、俺に抱きつくレイアの様子を見て声を張り上げる。


 正直、このままじゃ収拾がつきそうにない。


「はぁ、ったく……」


 しがみつくレイアをなんとか外して床のカエルを捕まえると、窓から外に逃がしてやる。まったく、朝っぱらからなんでこんなことをしないといけないんだか。


「ほら、もう大丈夫だぞ、……ん?」


 そう言って怯えていたレイアの傍に寄ったところで気づく。蛙から逃げたときにどこかに引っ掛けてしまったのだろう、その右手の小指から赤い血が流れ出ていた。


「おい、大丈夫か。って、あー、こりゃ、このままじゃなかなか血が止まりそうにないな。仕方ない、悪いがちょっと我慢しろよ……」


言って、血の流れる彼女の小指を口に含む。口の中に鉄のような血の味が広がっていく。


「えっ、あんた一体何を、――っひゃぅっ……!?」


くすぐったさからか艶かしい声をレイアが上げるのもあいまって、ただの止血の為の行為であるはずなのに、その細く柔らかな彼女の指を舐めるというのが、なんというか背徳的な変態行為のように思えてしまう。


「っと、止まった、みたいだな……」


 予想外なレイアの反応に若干照れながら彼女の指から口を離すと、しっかりとそこから流れていた血は止まっていた。ただ、若干涙目になりながら睨みつけてくるレイアの視線が怖い。


「いっ、いきなり、私の子指を咥えるなんて……!」


「えーと、その、すまん、血を止めることばっかに気がいってて……。」


「っ、この変態っ……!」


「ですよねー!」


 流石に、改めて考えてみれば今回は我ながら自業自得だと自分でも思う。

 こうして、もはや恒例となりつつある尾の一撃で俺は意識を手放すのだった。

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