032 『提案』

「どうなってんだ、これは……」


 浮神神社の入り口である階段についた俺は、上を見て思わずつぶやいてしまう。


 ――空が黒い。


 暗い、では無く黒いのだ。雲はおろか、夜に輝く星や月ですら見えない。浮神神社を中心とした一帯だけ、まるで黒の絵の具をぶちまけたかのように空に黒い何かが広がっている。


「絶対なんかあるよな。だが、やっぱり奈々が居るとしたらここか……」


 そんな予感通り、階段を上りきった先、浮神神社の境内に奈々はいた。


「ふむ、戻ってきたか。やはり、呼び寄せたのは正解だったの」


 ――俺を見て、満足げにうなずく空亡のすぐ傍に。


「空亡……!」


 空の様子や、突然の奈々の行動から予感はあった。空亡がここにいるだろう、と。

 けれど、予想はしていても、こうして実際に目にするとやはり恐ろしく感じてしまう。この年端もいかない童女のような存在に、俺は身体を真っ二つにされたのだから。


「しかし、どういうことだ? 何故、お主の身体が戻っておる? 我が封印を解こうとしておった半身に宿る力は消え、それがお主のもとに繋がっておるとはの」


「半身に宿った力? そんなのは知らないが、身体のほうは薬を飲んで治したんだ」


「ほぅ、薬で? 人の半身を戻す薬とはまた珍妙なものよのう……!」


 薬で治った、という俺の返答に面白そうに笑う空亡。

俺自身、実際に治った今でさえ信じられないが、レイアの薬を飲んで治ったことは事実なのだから、それ以外に言いようは無い。


「俺としては身体も戻ったことだし、そこまでお前を恨んだりしてるわけじゃない。お前のほうも、長いあいだ封印とかされてたんだから、鬱憤とかたまってたんだろうしな」


「面白いことを言う。確かに封印は心地よくはなかったが、それがどうしたというのだ?」


「あぁ、そこでひとつお前に提案があるんだ」


 怖くはある。けれど、こうして会話ができている以上話せない相手ではない、つまり交渉する余地はあるかもしれない。そう自分に言い聞かせて、俺は空亡に言い放つ。


「なぁ、お前うちに来る気は無いか?」


「……は?」


 流石の空亡もこの提案は予想外だったらしく、ぽかんと口を開けて首を傾げる。

 確かにこれでは意味不明ととられても仕方ない。けれど俺にとって一世一代の大交渉なのだ。


「言葉が足らなかったな。ようは一緒に暮らさないか、って誘ってるんだ。うちに来てくれれば美味い料理は食えるし、部屋だって余ってる。親父からの仕送りもあるから快適だし、それにレイアや依織もいるから退屈なんてない生活は約束するぜ?」


「ほほう、なかなかよい誘いよの。して、我は代わりに何をすればいいのだ? そのような申し出、勿論なにか我にも制約を求めるのだろう?」


「察しがよくて助かる。だが、そんなに対したことを要求するつもりは無い。俺がお前に頼むのはたった一つ、人に害を与えないで欲しい、それだけだ。勿論、そこの奈々を元に戻してもらうことも含めてだが」


 そう、俺の要求はこれだけだ。つまるところ、楽しく自由な暮らしを約束するから災厄を振りまいたりすること無く、人と共に大人しく暮らしてくれと頼んでいるのである。


 ご先祖様達が何度も挑み準備を整えてようやく封印した存在を、切り札もあいまいな俺が簡単に倒せるとは思えない。だからこそ彼女と交渉することを決めたのだ。


「くくくっ、なるほど封印ではなく懐柔することで我を鎮めようとするのか。やはり面白いの、お主その考えは。そのようなことを言ってきたものは、これまで一人もおらぬぞ」


「なら……!」


 俺の意図を理解し楽しそうに笑う空亡に、期待が高まる。これなら争うことも無く、全てを収めることができるかもしれない。


「うむ、その申し出、とても魅力的なものだ。なにより、そのような考えを持つお主のこと、我は気に入った!」


 そう前置き、にこやかに空亡は告げる。


「だが、断ろう」


 ――否定の言葉を。


「我は人の邪念から産み落とされた存在なのだ。苦しみ、嫉み、恨み、憎しみ、今とは比べられぬほど嘆きが満ちておった時代に生まれた、の」


「それがどうした。生まれがそうだからって、お前がそれに従う必要なんてないだろう?」


「否、必要不要という問題ではない。この我が存在する意味は、この世に災いを、嘆きを振り撒くことなのだからの。故に、お主の申し出を受けることは、我が我である限りできぬのだ」


 まるで当たり前のことを話すよう言い切ると、空亡は続けて俺に問いかける。


「さて、それでお主はどうする? 別に、お主やこの娘程度なら生かすのは構わぬぞ? 勿論、我のなすことに口出しせぬのが条件ではあるがのう」


「そんなこと、飲めるはずが無いだろ……!」


 たとえ自分や奈々が助かっても、それ以外の大勢の人を犠牲になんてできるはずが無い。


「ならば、どうするというのだ? よもや、お主が我を止められるとでも言うのか?」


「確かに難しいだろうな。だが、何もせずに諦めるってのは主義に反するんだよ……!」


 無理だから諦める、他の人間のことなんか知ったことではない。


 そんな風に思えるほど、俺は物分りがよくはないのだ。何もせずに諦めるぐらいなら、僅かな奇跡を信じて立ち向かうほうが俺の性にあっている。


「よかろう、ならば少し遊んでやろう。なに安心するといい、お主のことは気に入っておるし我の半身を取り出さねばならぬから殺しはせんさ。ただ、我に歯向かったのだ、満足な身体でおれるとは思わぬことだ……!」


 空亡の気配が切り変わる。先ほどまで話していた友好的な雰囲気は一切無く、災いを振りまくという伝承に相応しい、粘つくような禍々しいものに。

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