078 『所有物』

「……ふぅ」


 温かな湯に浸かりながら考えるのは、霜のこと。


 我家が擬人化して、割烹着姿の幼女になるなんて、完全に予想外だ。


「でも、今更か」


 そう、今更である。


 十六歳の誕生日を迎えて以来、俺の日常はもはや完全に非日常と化しているのだから。


 半身が蜘蛛や蛇の依織やレイアと共に暮らし、人の邪念が具現化した幼女を抱え込み、果ては母親とその故郷で幼馴染がケンタウロスだったなんて、どんな状況だ。


「考えれば考えるだけ、頭が痛くなるな」


 漫画や小説でも、ここまで酷いのは無いと思う。いくらなんでも、節操無く、そしていきなりで唐突過ぎる。僅か一月程度で、完全に人外塗れの生活である。母さんやみーくんに関しては、もともと俺自身が気づいてなかっただけ、ということもあるけれど。


 そして、そんなことを考えれば今更家が擬人化して現われるぐらい、大したことではないのかもしれない。以前に、レイアから実はこの家が半分人外になりかけてる、なんてことも言われていたのだし。そこまで唐突というわけではない。


「メイドを期待していた結果、割烹着幼女だったわけだがな」


 まぁ日本の木造家屋が元なのだから仕方の無い話である。


 それに小さな身体で料理や洗濯なんかの家事を率先して行おうとしてくれる霜はとても健気で愛らしいと思う。なにより、全く家事の出来ない身としては、本当にありがたい。


「元が家だから、一応の家主が俺ってことで、主扱いしてくれてるんだろうが」


 『主さま』なんて呼称は少し照れるし、なかなか慣れづらい気もするが、元が家で古風の雰囲気の霜の使う呼び方としては順当な気もする。


「けど、親父達が帰ってきたら、そっちが主扱いになるのは、なんか寂しいものがあるな」


 なって一時間も経っていないうえに、そもそも呼ばれるのも照れくさい主扱いだが、あっさりとそれが移ってしまうことを考えると、どうにも微妙な気分になる。



「そんなことはないのです、うちの主さまは、彰さまだけなのです!」



 なんて、言葉が唐突に響く。


「はっ?」


 振り向くと、霜がいた。


 正確には、生えていた。湯船に浸かる俺のすぐ後ろ、風呂場の壁から、うにょんと。


「ちょっ、お前、何を!?」


 霜は服を着たままだが、湯に浸かっているとはいえこっちは全裸である。流石に、幼女相手といえど、落ち着いて入られない。俺は幼女趣味ではないが、見られて喜ぶ変態ではないのだ。


「お背中を流しにと思ったのですが、どうにも主さまが大きな勘違いをしていましたので」


「……大きな勘違い?」


 少し不本意そうな様子で語る霜に首を傾げる。一体何が気に障ったのだろうか?


「はい、勘違いなのです。うちの主は、あなたさま、彰さまだけなのですから。もし、父君や母君が帰られましても、うちの主は、所有者は、主さまなのです」


「そ、そうなのか……」


 きっぱりと言い切る霜に、照れくさく、けれど嬉しく思ってしまう。


 けれど、同時に疑問が一つできる。


「でも、どうして俺なんだ? 俺言うことじゃないかもしれないけど、別に、俺じゃなくてもいいんじゃないのか? 自分で言うのもなんだが、そこまで対したやつじゃないしさ」


「いいえ、主さまでなければならないのです。だって、うちは主さまの所有物モノなんですから」


「俺の所有物?」


「はい、うちは主さまの所有物なのです!」


 先ほどと一転、小ささな身体で胸を張り誇らしげにそう宣言すると、霜はおもむろにその着物をはだけだす。


「い、一体何を……!?」


「ほら、見てくださいなのです!」


 そう言って、彼女が俺のほうへと向けるはだけた胸元、下着もつけていないそこは、けれどまっさらということはなかった。胸の間、その丁度真ん中に子供の落書きのような文字が躍っている。


 ひらがなで三文字、『あきら』と。


「俺の名前……?」


「はい、幼い頃、主さまがうちを所有物にしてくれたときの証なのです! うち、長い間家として過ごしてきたうちで、こんな風に誰かのモノとなったのは始めてで凄く嬉しかったんです!」


 言われて見れば、幼い頃、彫刻刀を買ってもらったのが嬉しくて自分の名前を家の柱に彫った覚えがある。……その後、両親に酷く叱られたけれど。


「ですから、うちの主さまは、彰さまだけなのです! うちを主さまの所有物と認めて欲しいのです! そして、名実共に、主となってほしいのです!」


「そう、か。霜の気持ちは嬉しいし、分かったよ。それじゃあ、何をすればいいんだ?」


 まさか幼い頃の粗相が、こんな風に返ってくるとは思わなかった。けれど、こう慕ってくれる霜のためだ、何が出来るかは知れないが、不甲斐ない俺でいいならば主ぐらいになってやろうとは思う。


 なんて、軽い気持ちで言った俺に返ってきたのは、想定外の言葉だった。



「ありがとうございます! では、うちを傷物に、消えない傷を付けてくださいなのです!」



「できるか……!」


 即座に叫んだ俺の言葉が、狭い浴室に響き渡る。


 こんな幼女相手にそんなことできるはずもない。俺はロリコンではないのだから。

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