030 『空を亡くすもの』

「うーむ、まったく読めん」


 埃っぽい空気に辟易しつつ手に取った紐閉じの古書を開くが、墨で書かれたその内容は達筆すぎて現代人の俺には読めそうもない。


「頼みの綱は、やっぱり依織か」


 着替えを終えた俺は依織と共に薄暗い蔵の中にいた。勿論、空亡について資料を探すためだ。

 うちの蔵は母屋とは別に建っているので、明かりは僅かな裸電球があるだけだがそれなりに広い。なので、依織やレイアの本来の姿で入っても問題なく動くことは出来た。


とはいえ快適とは言い辛い空間なうえ探す場所も多く、なにより探す資料が古いせいで俺には読めそうも無い。更にそもそも資料があるのかすら分からないという状況だ。なかなかやる気はおきづらい。


実際、自分で言い出しておきながらレイアは蔵を見て探す気をなくしたぐらいだ。そのぶんあいつには、いまだ起きない奈々を見ていてもらうことにしたのだが。


「おーい、依織ー、そっちはどうだー?」


 棚の向こうで同じように探しているはずの依織に声をかける。しかし、一向に返事は無い。


「それっぽいのはこの数冊ぐらいしか無かったんだし、とりあえず向こうに行ってみるか」


 依織のほうで何かあったのかもしれないし、あらかた探したここを更に無駄に探すよりは一度合流した方がいいだろう。


「依織、そっちは何か見つかったか?」


「へっ、あっ、彰さん、いつのまに!?」


「いや、いつのまにって普通に歩いてきただけなんだが、どうかしたのか?」


 依織に声をかけると、なぜか予想外に驚かれた。別にそんなつもりは無く、普通にそばに来て声をかけただけなのだが。


「あぅ、すみません、なんだかぼーっとしていたみたいです。それで、ぜんぜん私のほうでは探せていませんでした……」


「依織には色々働いてもらってばかりだったからな。身体に大事が無いならいいさ。あっちはだいたい終わったし俺も手伝えるから、二人でやればこっちもすぐ終わるだろ」


 申し訳なさそうに身体だけでなく蜘蛛脚までも縮こませて謝る依織に苦笑する。いつものことだがこの娘は気にしすぎだ。もしこれがレイアなら逆切れしてきたりするだろうに。


「と、探す前にひとつ見てもらいたいものがあるんだがいいか。一応いくつかそれっぽいものを見つけたんだがこれは俺には読めそうも無いんで―――っ依織!」


「へっ、きゃっ!?」


「ぐっ……」


 地面が揺れた。そう感じると同時、俺はとっさに依織に覆いかぶさる。それに少し遅れて、棚に詰まれたものが俺の背中に落ちてきた。


「痛つつ、いきなり地震がくるとはな。大丈夫か、依織?」


 揺れが収まったところで顔を上げる。幸い落ちてきたのはあまり重いものは無かったし、当たったのも背中だったので、少し痛みはあるが俺の方は特に怪我はしていない。


「あっ、はい大丈夫です、彰さんが庇ってくださいましたから。けど、その……」


「そっか、怪我が無いならよかった。けど、どうした、やっぱりどこか痛むのか?」


 彼女に怪我が無くよかった、そう思いながらもどこか焦った様子なのが気にかかる。もしかして、実はやはり怪我をしてそれを耐えているのだろうか。



「あの、お顔が近い、です……」



 顔を真っ赤に染めながら消え入りそうな小声で告げる依織。


 とっさのことで気がつかなかったが依織を棚と俺の身体で挟むような体勢になったせいで、まるでキスでもするかのように俺達の顔は接近していた。


「すっ、すまん……」


 慌てて向かいの棚に背をつけるぐらいに飛びのく。

 意識すると一気に恥ずかしくなってきた。依織のほうも、普段は色々と色仕掛け的なことをしていたわりに、俺と同じように照れていたようだ。


「あれ、彰さんこれって」


「ん……? あぁ、それは俺が持ってきたやつだな。それがどうかしたか?」


 依織が地面を指差した方を見ると古書が落ちていた。それは俺がここに持ってきたうちの一冊、地震の際にばら撒いてしまったものだ。


「表紙に『空亡』と書いてありますけれど、探しているものじゃないでしょうか?」


「えっ、これ空亡って書いてあったのか!?」


 自分で持ってきて全く気づかなかった。というかそう書いてあると言われても、ぐにゃぐにゃと曲がりくねった筆の線にしか見えない。


「かなり達筆に書かれていますし、彰さんが読めないのも仕方ありませんよ。正直なところ私も、どうしてこれが読めるのか分からないぐらいです。料理とかと同じように、なんというか身体が覚えているという感じで」


「そうなのか。けど、理由はどうであれ依織が読めるならありがたい限りだ。どんなことが書いてあるのか、早速読んでくれ。勿論、読める範囲で構わないから」


「はい、分かりました。では、読ませていただきますね」


 電球の明かりの元、依織は古書を開きその内容を読み上げる――、


「都の空に黒き太陽昇り、明けぬ夜訪れる。


 空より、黒衣の童来る。

 童、黒き太陽の使者を名乗り、災厄を振りまく。


 其を、空を亡くすもの、空亡と名付ける。


 都を治めし領主、空亡を討伐せんと兵を向けるも敵わず。

 尋常の武具で傷つけることできぬと知り、触れを出し神秘を求める。


 その触れを聞き、神断ちのけんなるものを持ちし飛脚の男きたる。

 されど神すら断つとする飛脚のけん、空亡を傷付けはすれど滅ぼすこと敵わず。


 弱り果てた領主へ都付きの術者、新たに専用の術式を編み、封ずることを提言する。

 その案を受けた領主の命より、三度空亡と相対す。


 この為に編まれし結界とそれを行う幾人もの術師、さらに空亡を押しとめる千を超える兵。

そして術師と兵の援護により、ついに飛脚のけん空亡を断ちきらん。


 中より二つに分かれた空亡の身、ぞれぞれを分けて封ずることとする。


意志宿りし上部は、結界を巡らせしその地に社を建て、神体として祀り封ず。

力宿りし下部は、万一空亡が蘇りしときへと備え、飛脚の身体の中へと封ず。


 さらに術者は空亡の半身と類稀なる力を子孫へ引き継ぐよう、飛脚に呪詛をかける。

かくして空亡は封じられ、災厄は祓われた。


 術者と飛脚はその功より、領主より名と褒美を与えられた。



 術者は神の上部を封じしことより上神という意味を秘めし浮神の名を授かる。

 浮神は空亡が目覚めることないよう、社の傍に神社を与えられそこを守り続けるとする。


 飛脚は神の下部を宿せしことから下神という意味を秘めし霜神の名を授かる。

 霜神は再びの脅威に備え、都の一角に家を与えられそこに住まうこととなる。


 このことは喧伝すべきでないという達しより、この書に記すのみにとどめておかん」


「と、これで終わりです。これ以降は何も書いてありません」


 読み終えた依織が顔を上げ、古書を閉じる。


「あぁそれだけあれば十分だ。霜神の初代、つまり俺の先祖が飛脚で空亡と戦ったというのは驚いたがそれなら逆に好都合だな。うまくやれば、あいつをどうにかできるかもしれない」


 彼女が読み上げてくれた内容は俺達が期待したとおり、空亡についてのものだった。ここに書いてあることが事実なら、また空亡を封印することができるかもしれない。


「はい、そうですね。そのためには、この『神断ちのけん』というものを見つける必要がありそうです。やはり『けん』と言うのですから刃物なのでしょうか……?」


「流石に『けん』って言ってるなら普通に『剣』って考えるのが普通だと思うが。やっぱり、それもこの蔵にあるってことなのか?」


時代を感じされるものが所狭しと詰まれたこの蔵なら、そういったいわく付きの道具ぐらいはあってもおかしくない。そもそも元の持ち主が俺の先祖なのだから、うちにある可能性が一番高いだろう。


「んじゃ、また探すか。今度はその武器っぽいものを。おっ、さっそく発見」


 辺りを見回しところ、丁度俺の足元に鞘に納まった一振りの刀が落ちていた。ここにあるということは、先ほどの地震で俺の背中を打ちつけた物の一つということだろう。


「しかし運が悪かったら、鞘が外れて落ちてきたのかもしれないんだよな……」


 改めて考えるとぞっとする。鞘のままだったから痛いだけですんだが、下手をしたら背中につきたてられていたのかもしれないのだから。


「それで、これはどう思う? それともやっぱり、刀は依織も専門外か?」


「あっ、はい、では見させてもらいます」


 当然ながら俺は刃物なんか完全に素人なので、鑑定は依織任せとなる。


 俺から刀を受け取った依織は、鞘を引き抜いた刀を目元に掲げ、その刃を凝視している。


「………………………………」


 どうやら、かなり集中している様子だ。声をかけても邪魔になるだけだろうし、彼女がこの刀を見ている間に他を探すとしよう。


 元々俺が探していた場所で、古書を見つけるまでに何本か刀や包丁といった刃物の類を見た記憶がある。とりあえず、それを依織のところに持っていくことにする。

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