029 『取られた下半身と人魚の秘薬』
「とりあえず、俺もよく分かってないんだが」
家についた俺はそう前置いてレイアと依織に説明を始める。
「まず最初に、こいつ――奈々っていって俺の幼馴染なんだが、こいつがいきなり学校を休んで、電話もメールも反応の無い音信不通になったんだ」
「はい、とても心配していましたね。私もそのことは聞いておりました」
一緒に暮らしていた依織にはそのあたりのことは相談していたので、うなずいてくれる。
始まりは、奈々の欠席からだった。何度連絡しても返答は無く、実際彼女の家に出向いても人の気配もなかったのだ。
「けど、それが今日の下校中に、いきなり奈々の方から電話が来たんだ。それが奈々の家、さっきいた神社なんだが、そこに来いって内容でな。どういうことか聞こうとこっちから連絡しても全く繋がらなくて、結局そのまま行ったわけだ」
そして、奈々の神社についた俺を待っていたのは予想外の展開だった。
「で、神社に着いたら確かに奈々が待っていたんだが、なんだか様子がおかしくてな。しかも、いきなり奈々の持ってた変な半球から上半身だけの空亡とか名乗る幼女が出てきて、俺の身体を分割して下半身を持っていったんだ。なんか黒い靄みたいのが覆ってるせいか、血は流れないし痛みとかも無いんだけどさ」
「なにそれ……? いや、意味わかんないんだけど……?」
レイアが戸惑いの声を漏らすが仕方ない。正直、話している俺の方も現実だとは思えない内容である。けれど、俺は実際にこうして下半身を奪われているのだから仕方ない。
「その後、空亡が社に消えたら、今度は奈々がいきなり変なことを言い出してきて、そのまま家に連れ込まれそうになったところでレイアがやってきた、ってことだ。こうやって話してなんだが、本当にわけがわからないな……」
ざっと話してはみたが、意味不明である。
俺が巻き込まれた状況的なことは話せても、何故こんなことになったのか、そしてこの一連の出来事は何なのかは全く分からない。
「そういえば依織はなんか空亡を見てたような口ぶりだったが、もしかして知っているのか、あいつのこと?」
「いえ、私が着いたとき、丁度その空亡とやらが去っていくところだったんです。なので一瞬見ただけで正体も分かりません。ただ、それでもアレが尋常で無い存在だとだけは分かりました。見た目は幼子のようでしたが、アレは私やレイアさんのような妖ではなく、厄災を撒き散らすような大妖、下手をすれば神仏級の化け物ですよ……」
「そんなに凄いものなのか……」
妖についてはよく分からないが、大仰な依織の口ぶりから察するに、相当のものだとだけは分かる。だが、そんなものに何故奈々は憑かれ、そして俺は襲われたのだろうか……?
「ふぅん、そんなに凄いやつがいたのね。うちのママとどっちが強いのかしら?」
「いや、確かにお前の母親が凄いのは分かるが、そこまでは無いんじゃないか……?」
実際に空亡を見た俺達が深刻そうに話す中、レイアはどこかズレた感想を抱いていた。まぁ空亡を見てないのだし、彼女らしいといえば彼女らしいが。
「しかし、本当に今のままでは情報が少なすぎますね。色々知っていそうなこの方も、残念ながら目覚めてくれませんし。彰さん、他に何か覚えていることはありませんか?」
奈々を見つめながら言う依織に、眠らせたのはお前だろう? と少々ツッコミを入れたくなりながらも、空亡の話していたことを思い出す。
「そういえば空亡はうちのことを知ってるみたいだったな。俺を霜神の末裔と呼んでたし、身体を持っていったときも何か力を取り出すようなことを言ってた気もする。うちならば伝承が残ってるだろうとか言っていたし、蔵かどこかに空亡について記したものがあるかもしれない」
その口ぶりから察すると、うちの先祖となにか関係があるのかもしれない。そういえば昔親父から、うちと奈々の家系は古くからこの辺りに住んでいたと聞いたこともある。
ただし、情報があるとは限らない、単なる俺の思い違いという可能性も高いが。
「では、空亡について後で調べてみましょう。残る問題は彰さんの身体の方ですがそれは……」
「あぁ、どうしたもんか。そもそも、下半身をとられるってどういう状況だって話だよな」
言いながら自分の腰から下を見る。黒い靄がかかったそこから先は、あるべきものが綺麗になくなっていた。今の俺は、居間のソファにおいてもらって、ようやく座った姿勢の依織とレイアの目線に合わせている状況なのである。痛みが無いことだけがせめてもの救いだ。
「持っていった空亡は返せと言って大人しく返してくれるような相手じゃないだろうし、だからといって力づくでというのも無理そうだよな……」
「はい、流石にアレを正面からどうにかするのは、私にも出来そうにありません。かといって、そのようになった身体を癒す術や秘薬なども心当たりはないですし。お役に立てず、申し訳ありません……」
そんな風に俺と依織が途方にくれる中、まるで予想もしてなかった言葉がかけられた。
「いや、薬ならあるわよ?」
「はっ?」
「えっ?」
予想外のその言葉に驚き、その声の主であるレイアに目を向ける俺と依織。
当のレイアは何か液体の入った小さな薬瓶のラベルを眺めている。
「そっ、それは本当なのですか? 嘘とか、冗談ではなくて……?」
「確証は出来ないけど、多分大丈夫だと思うわよ。ほら、ここに『人間にも効く』ってあるし」
そう言ってレイアがビンを渡す。そのまま俺は、受け取ったそのラベルを読み上げる。
「人魚の、秘薬……?」
『人魚の秘薬』、そう商品名が記された薬瓶の裏には、その効能が記されていた。
『人間の世界で暮らしたい、人間と共に生きたい、そんな思いをお持ちの半人系の魔族の方は是非お試しください。この『人魚の秘薬』を使えばなんと人間の身体が手に入るのです。
使い方は簡単、身体の腰から下を切落としこの薬を飲むだけ。しばらくすると断面から人間の下半身が生えてきます。肌や性別も服用した方に合わせ出来上がりますのでご安心ください。
また下半身が悪くなった人間の腰から下を切り落とし飲用させることで、正常な状態に戻すといった使用も出来ます。拷問などで壊してしまった際にも、是非ご利用ください。
※ 本薬品は人魚、ラミア、ケンタウロス、など上半身が人型の魔族の方用の薬品です。
※ 使用される場合は身体を切り落とす際の失血や痛みで死亡しないよう気をつけてください。特に、人間に使用される場合は彼らが魔族と違い脆いことを考慮するようお願いします。』
「マジであんのかよ、こんなもん……」
「はい、みたいですね……」
唖然とするが、考えてみればそれもこういうものがあっても仕方ないのかもしれない。
レイアや依織みたいに人間じゃない存在が実際に暮らしているのなら、こういった人間社会に溶け込むための薬があるのも不思議ではない、寧ろあって当然というべきなのかもしれない。
「世界は広いってことか。それじゃ、ありがたく飲ませてもらうぜ。んぐ――って、苦ッ」
少々怖くはあるが、折角レイアがくれたのだ。なにより、このまま上半身だけでいるのはごめんなので一気に薬を煽る。口の中に苦味が広がるが、何とか飲みきることが出来た。
「けどレイア、どうしてこんなもの持ってたんだ? 人の身体なら、俺と手を繋げばいつでもできるだろ。わざわざこんな身体を切り落としたりするような薬、いらないだろ?」
良くも悪くもプライドが高いレイア。自分の身体、その尾を誇っているような彼女が、人の身体のためにそれを切り落とすとは思えない。
「そんなどうでもいいじゃない、偶然よ、偶然。別に、あんたと暮らしてくなら人の身体が必要だと思ったりなんかしてないんだから……!」
「なんという」
「あざといですねぇ」
気持ちいいほどにテンプレートなツンデレ台詞。
しかし、それがとても嬉しく感じる。彼女がそこまで思っていてくれたなんて。
「何よ、なんか文句あんの! そんなこと言うなら……!」
「いや、ちょっと嬉しくてな。お前がそんな風に思ってくれたっていうのがさ」
「なっ、それはっ、あの、なんていうか、そうだけど……。もう、というかあんた、あたしの気持ちに気づいてるなら、その、ちゃんと……!」
俺の言葉に、何故か照れたように顔を赤く染めて俯くレイア。だが、バシン、バシンと床を叩くのは勘弁して欲しい。
「しかしちょっと意外だったな。そんなにうちでの暮らしを気に入ってくれてたとはさ。たった数日だったけど、そんな薬まで用意して戻ってきてくれるぐらい思っていてくれたなんて」
「……は?」
「ん、違うのか? お前はうちが気に入っ――ぐぇっ!?」
突然の圧迫感に呻く俺。先ほどまで床を叩いていたはずのレイアの尾が、上半身だけの俺の身体に巻きつき締め付けているのだ。
「ふっ、ふふっ。えぇ、とっても気に入ったのよ、あたし。ただし、――あんたのこの締め付け具合がねぇ!」
「なっ、何故いきなり怒ってるんですかね、レイアさん……? その、放してもらえると助かるんだが……? あっ、ちょっ、依織も見てないで助けて……!?」
「流石に自業自得です。いえ、さっきのはありがたいのですが、鈍感すぎて困っているのは私も同じですからね……」
頼みの綱の依織にも白眼を向けられ、原因も分からないままじっくり絞られ続ける俺。
その締め付けから開放されたのは数分後。しかし、それは彼女の気が晴れたからではない。
「うわっ、どうなってんのよ、それ……」
俺に巻きつけた尾を解いたレイアが気持ち悪そうに言う。その目はソファに落ちた俺の腰から下に向けられていた。
「ですが効果は確かだった、ということみたいですね」
驚きながらもどこか冷静な様子で呟く依織も、見ているのは空亡に奪われなくなってしまった俺の下半身だ。
「うーむ、しかしこれは変な感じだな」
空亡に下半身を切り取られ、その切断面である腰は黒い靄で覆われていた。けれど、奇妙なことに靄で覆れた断面から足の先が生えてきているのだ。爪先から足首、手品のように少しずつ足が伸びてきている。
当事者の俺は足の感覚も戻ってきているせいで、見ている以上に変な気分になってしまう。
こうして、十分ほどの時間をかけて俺の身体は元通りとなり、二本の脚で立ち上がることができるようになったのである。
「おおぉ! 戻った、俺の身体が、元に……!」
しばらくぶりの両足の感覚に、歓喜の声を揚げる俺。しかし、自分の身体が戻ったことばかりに気をとられていた俺は、大切ものがないことを忘れていた。
「治ったなら、さっさと下を着なさいよ!」
「それより服を着てきてください!」
――出来たばかりの身体に、当然服なんてついているはずも無い。
下半身全裸で立ち上がっていた俺は、両手で眼を覆う少女達に怒鳴られて、自分の部屋へと走る羽目になるのだった。俺だって、やりたくてやったわけじゃないというのに……。
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