第86話 二者択一

マキは髪で顔を覆うようにうつむいて、それきり黙ってしまった。その様子は怪我が痛むというよりは、何かに落ち込んでいるようだった。マキがそんな風に萎れているのは初めてだ。


なにか相談に乗れることがないか 聞いてみようかとも考えたけれど、思いとどまった。彼女の性格からして、聞いてほしいことがあるなら、とっくに自分から話しているだろう。オリオも何も聞かず、ただ静かにベッド脇の壁にもたれかかっている。


そんな波一つたたない池のような空気に、サリアが小石を投げ込んだ。


「ロミの呪いの正体はジュリアであるという情報を掴んでから、私の方でも過去にあった魔法性疾患の事例について調べてみたんだけどね。どうやら私は、君に謝らなくてはいけないらしい」


彼女は読んでいた書面をいつの間にか膝の上に回収して、僕と話すことだけに神経を使っていた。


「私は魔法性疾患には詳しい方だと自負している。しかしながら、ジュリアの特性はその科学性疾患の側面とも強く結びついているようで、既存の祝福ではどれが有効なのか予測がつかなかった。かといって、効きそうな祝福を手当たり次第に授けるわけにもいかない。正直、お手上げだよ」


祝福は病院でもらう薬と同じようなものだ。当てずっぽうに使うのは良くない。それでも気落ちせずにはいられなかった。彼女で祝福を見つけられないのなら、きっと誰にも見つけられないだろう。そんな予感が黒い絵の具のように心の中に広がっていく。


しかしそんな僕に向けて、サリアは「まだ話は終わっていないよ」と人差し指を立てた。そして彼女が出した提案に、僕は言葉を失った。


「呪いの正体が判明し次第、祝福で治療してあげると宣言していたのに、これでは君に示しがつかない。だからお詫びとでも言おうか。君がもし望むなら、私からハリスに『ジュリアを切り倒せ』と命令を出してあげよう。私は彼より歴の長い十二死神だ。私からの命令であれば、彼も嫌だとは言えないよ」


口の中が急激に乾いてくるのを感じた。


僕の大切なジュリア。


会えるだけで心が弾むし、苦しい気持ちになったときには手を差し伸べてくれる。

でもただの幻覚かもしれない。


彼女の命と自分の命、どちらが大切か?

今、その答えを出すことを求められている。


さっきまで僕を悩ませていた問題が、再び襲いかかってきたのだ。そう簡単に答えを出せるはずがなかった。逃げ道を探して、僕は尋ねた。


「ジュリアを切らずに現世に帰れる方法は、本当に無いんでしょうか?」


サリアは瞬きひとつしないうちに答えた。


「無いね。いや。正確には、今から対ジュリアの特効祝福を開発するという方法もある。しかし一般的に呪いを作るよりも、対応する祝福を作る方が難しい。十年ぐらいはかかるのが普通だし、祝福が見つからないことだってざらにある。現実的じゃない」


逃げ道は一瞬にして塞がれた。

僕は塞がれてしまった隙間をこじ開けようと、最後の抵抗を試みる。


「十年ぐらいなら、待てると思います」


するとサリアは、僕が忘れていた釘を丁寧にハンマーで打ちつけた。


「十年どころか、一年だって長すぎるぐらいだよ。そもそも人間の魂がグリモーナに迷い込んだということは、その人間の命は風前の灯ということ。君もオリオも比較的に長期滞在しているけれど、君たちは本来なら、もし明日、死人リストに名前が載っても、なんらおかしくない状況なんだよ。そのことを肝に銘じて、よくお考えよ」


逃げ道を探して迷走していた心はとうとう、袋小路に追い詰められた。


一歩進んだ先には、自分自身の死が待っているかもしれない。

でも死から遠ざかる道は、ジュリアを失わずには通れない。


ロミかジュリア。

二人に一人。


さあ選べと、サリアが僕の答えを待っている。


『ロミ』


僕の名前を呼ぶジュリアの声が、頭の中でこだました。

その声に何度安らぎ、何度救われたのだろう。

それなのに、自分が現世に帰るために、彼女の命を断ち切るだなんて。


たとえ彼女が幻覚だったとしても、もう僕には彼女を幻覚だと思うことができなくなっていた。


今、サリアに向かって頷いてしまえば、僕は現世に帰れるのかもしれない。

でもその代わり、この記憶は一生、呪いのように残り続ける。

一人の少女を殺した記憶として。


そんな重荷を背負って生きたら、きっと押しつぶされてしまう。


冷や汗が伝う。荒ぶる呼吸を、目を固くつぶって押し殺す。

僕は諦めに似た気持ちで、最後の答えを弾き出した。


「ジュリアのことを傷つけるなら、僕のほうこそ死んだほうがまだマシだ」


オリオが息を呑む鋭い音が聞こえた。


サリアは僕に尋ねる。

「それが君の答えかい?」


僕はバクバクと打つ心臓を押さえつけるように、両手を胸に当てた。

「はい」


サリアは呆れたように、深くため息をついた。


「そうか。なら、私にできることはもう何もないよ」


分かっている。僕は救いの糸を投げ捨ててしまった。

ここからはただ、死を待つのみ。


ジュリアを守りたい心と、本能に刻み込まれた恐怖が入り乱れて、体の中を掻き乱した。その恐怖で気が変わってしまう前に、早く命が尽きればいいと思った。


空気はまた静寂に包まれる。






そのとき。

窓の外から凜とした声が響いた。


「ロミ少年。ここにいたか。探したぞ」


そこにはワタリガラス大公の姿があった。サリアが窓を開けると、大公はぴょんぴょんと器用に窓枠に飛び乗った。


そして彼は全員が見守る中、神託を告げる預言者のように厳かに告げた。


「朗報だ。ロミ少年に帰還許可証が発行された。急なことだが、明日、君には現世に帰ってもらうことになる。早急に支度を始めてくれ」

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