第34話 魔力反転と相殺
ジュリアは僕が明るい表情を取り戻し始めると、とても嬉しそうにした。
「私ってば、ただの木だけれど、少しはロミのお役に立てるみたいね」
少しなんかじゃない、と僕は思った。
むしろ、今のジュリアに相談すれば、全ての悩み事を解決してくれるんじゃないかと、そんな気さえした。
そう考えると、つい弱音を吐きたい気持ちになった。
「もう一つ、話してもいいかな。聞いてくれるだけでいいから」
彼女は月の光のように優しい声で、答えた。
「もちろん」
僕は散らかってしまった気持ちを一つ一つ拾い上げては集めるように、ゆっくりと話した。
「オリオのことなんだけどね。茨病の話を聞いてから、彼のことを思い起こすたびに、心がギュッて縮むような気がするんだ」
「なぜ?」
理由を問われて、僕は改めて彼のことを思い返す。
二年半も目覚めないまま、こちらの世界にいるオリオ。
タイムリミットは数ヶ月以内にやってくると、ウィルは言っていた。
僕は本人の前では、決して言えない本音を口にした。
「彼はきっと、大好きな家族に会えないまま、死んでしまうよ」
ジュリアは葉擦れのように控えめな声で尋ねた。
「可能性はゼロじゃないんでしょう?」
僕は詰まっていた本音を吐き出したことで、栓が抜けたように喋った。
「希望を持つには、あまりに小さい可能性だよ。オリオと話すたびに、そして彼のいないところで彼のことをふと考えるたびに、胸が張り裂けそうになるんだ。僕にはどうしようもないことかもしれないけれど、黙って見過ごすにはあまりにも大きすぎることなんだ」
ジュリアは人差し指でトントンと頬を叩きながら、考え込んだ。
「人の寿命は神様が勝手に決めてしまって、私たちには口を挟む暇すら与えてもらえない。でもロミの悲しい顔を見るのは嫌。ああ、一体どうしたらいいかしら」
そこで彼女は指の動きを止めた。
「ちょっとだけだけれど、できることがあるかも」
「え?」
僕が驚くと、彼女は目を輝かせ、表情をほころばせた。
「そうよ、ロミ。あなたが私にいつもやってくれることを、オリオにもしてあげればいいわ」
彼女は言うが早いか、壁際の本棚に駆け寄って、とある一冊を引っ張り出した。
水色の表紙の上に白い文字が踊る、彼女が差し出したその表紙を、僕は読み上げた。
「『魔力反転と相殺』。これって魔法の参考書?」
「そう!」
とジュリアはうなずく。
僕はその本を受け取って、ぱらりとページを開いた。
本には何も書かれていない。
自由帳のように、ずっと白紙が続いている。
ジュリアに目でどういうことか問いかけると、彼女はいじけて唇をとがらせた。
「神様ったらおっちょこちょいで、私の部屋にハサミを入れ忘れた上に、置いてある本もほとんど全部が表紙だけのハリボテなの。中身は白紙ばかり」
「ええ、こんなにたくさん本があるのに?」
僕は壁際をぎっしりと埋める本たちに、驚きの目を向けた。
ジュリアは言った。
「私、まだこの中から一冊しか文字の書かれた本を見つけ出してないわ。まあでも、それは今はどうでもいいわね。私が言いたかったのは、明日、ウィルの図書館で、この本を見つけて読んで欲しいということ」
「読むとどうなるの?」
そう尋ねると、彼女は悪戯っぽく笑った。
「それは読んでみてのお楽しみ!」
そこで急に視界が眩しくなって、ハッと目を開くと、僕は夢の世界から死神の世界へと戻っていた。
早速ベッドから這い出した僕は、図書室で『魔力反転と相殺』を探した。ここへ来た最初の日に、オリオがどの棚になんの本が入っているか教えてくれていたから、見つけ出すのは簡単だった。
発見した水色の本は、それほど分厚くはなかった。
だけれど、内容がとても難しかった。
どのぐらい難しかったかというと、この本が何を伝えたいのか理解するまでに、日が昇ってから再び沈むまでの時間を使い果たしてしまうほどだった。
でも読み終えたとき、僕は満足感と希望でいっぱいだった。
あなたが私にいつもやってくれることを、オリオにもしてあげればいいわ。
ジュリアがそう言った意味が分かった気がした。
その理解が本当に合っているのか確かめたくて、僕は本を片手にウィルの部屋に突撃した。
話を聞いた彼は、驚いた顔をした。
「ほう。なるほど。確かにその方法なら、オリオの生命を少しは長らえさせることが可能かもしれん」
「本当に?」
僕の声は、まだ魔法が成功したわけではないのに、すでに喜びに溢れていた。
ウィルの声も、心なしかたかぶっていた。
「君の思いついた方法は、現世から回収した食物の萎びた魂を生前の姿に回復させる魔法と、原理は同じ。コーヒー豆の魂を蘇らせるようなものだから、理論上は実行可能だ。ただ大量の生の気配を必要とするだろうから、それをどこから賄うかが難関だな。しかし、よく思いついたね、ロミ」
「ジュリアが教えてくれたんだ」
僕は言って、魔力反転と相殺を抱きしめた。
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