現世鏡

第33話 心の住人

その日の夢で、僕はまたジュリアの部屋にいた。


「ねえ、あの赤いジャケットの男の人は美容師なの?」

ジュリアは僕の姿を見るなり、そう尋ねた。


問い詰めるように迫ってくるジュリアを押し留めながら返す。

「えっと、ティルトのこと?」


「多分その人」と彼女は頷いた。


「すごいの。彼に枝を切られたら、枝毛が消えたの。見て」

ジュリアはまたしても、毛先を僕の顔に近づける。


差し出されたつややかな毛束の中には、枝分かれしたものは一本もなかった。


僕は彼女に向けて、意識して笑顔を作った。

「本当だ。よかったね。彼は美容師さんではないけれど、木の剪定は上手みたいだ」


その笑顔がうまくできていなかったのだろうか。

ジュリアは心配そうな目をした。


「ロミ。大丈夫? 元気がないの?」


「だ、大丈夫だよ」


僕は誤魔化そうと、精一杯の力を込めて微笑した。

内心、それほど大丈夫ではなかった。


オリオが茨病の木を切ろうとしたあのとき、僕の心には一本の鋭いトゲが刺さった。


でもオリオもウィルも、そのときのことを気にしているような態度を、決して僕には見せなかった。


僕は彼らの優しさにほだされて、そのトゲが抜けたものだと思っていた。


それは勘違いだった。


死にたがりの、殺したがりかよ。

ティルトの一言で、僕は刺さっていたトゲを思い出した。


一度思い出してしまったそれは、じわじわと僕の心に深く入り込んだ。

まるで根を張るかのように。


でも、この気持ちをジュリアに打ち明けるわけにはいかない。

茨病の木を否定する言葉は、そのままジュリアのことも攻撃してしまうから。


僕がそんな決意を胸にだんまりを決め込んでいると、ジュリアは両手を腰に当てた。

「ロミってば、あの美容師が言ってたこと気にしてるのね? そうなんでしょう?」


「え、あっ」

考えていたことをピタリと言い当てられて、僕は言葉にならない返事をする羽目になった。


僕はかろうじて言い返した。

「彼は美容師さんではないよ」


ジュリアは小さくため息をついた。


「今はそんなこと、どうでもいいわ。隠したって無駄なのよ。私にはあなたが悩んでいること、全部お見通しなの。あのね、私、ロミの元気がないのは嫌。だから今すぐ元気になってちょうだい」


「そんなこと言ったって」


今の僕には、考えると気持ちが沈むことばかりが、優先的に浮かんでくるようだった。


ジュリアのこと。

彼女と一緒にいて、本当に良いのだろうか?


オリオのこと。

彼は家族に会えないまま、この世界から消えてしまうのだろうか?


茨病の木のこと。

あの木は今も、多くの人を茨で縛り付けているのだろうか?


植物園にある病の木のこと。

僕はそれらを美しいと思ってしまった。

それは例えるなら、殺人犯を褒め称えるような、邪悪なことなのだろうか?


考え出すとキリがなかった。


俯いてしまった僕に、ジュリアはそっと話しかけた。

「ロミ。あなたは神様にでもなるつもりなの?」


「え?」

僕は目をしばたいた。それから、そんなわけがないと首を振った。


「そうでしょう。なら、もっと視野を狭く持ったほうがいいわ」


「普通のアドバイスとは逆転しているみたいだけど」


僕が困惑していると、彼女はムムッと厳しい顔をした。


「普通の人なんて知らない、私はロミの話をしているのよ! ロミはずっと、オリオを通して、病で苦しむすべての人、そして将来私が苦しめるかもしれないすべての人のために心を痛めているのでしょう。そんなの無茶よ。ロミの心が破裂しちゃう」


「そうなのかな」


「そうなの! あなたはもっと、責任を放棄して自由になるべき」


「でも」


「でも、じゃないの。いいこと? 心は無限じゃないのよ。あなたの心には、限られた人しか住めないの。だから全員を守ろうなんて、考えないで。あなたが本当に大切だと思う人を、しっかり大切にして」


「本当に大切だと思う人」


僕は彼女の言葉を繰り返した。それから考えた。


真っ先に、目の前にいるジュリアを大切だと思った。

次に、オリオとウィルの顔が浮かんだ。

さらに、すみれ畑で思い出した、友情の花冠をくれた女性。

そして記憶にはないけれど、きっと現世で待ってくれているはずの家族や友達。


その先は、僕にはうまくイメージすることのできない人たちだった。


ジュリアは優しく微笑んだ。


「きっと忘れていると思うから、付け加えておくけれど、ロミの大切な人の中には、ロミ自身も入っているのよ」


「僕自身も、か」


僕はそっと胸に手を当てた。

手のひらの熱と、体の熱が、心地よく混じり合う。


もちろん、ここで挙げなかった人々のことを、忘れることはできないだろう。

きっと思い出しては苦しい気持ちになるに違いない。


でも、その苦しみで自分自身を押しつぶしてはいけない。

僕の大切な人が、そのせいで傷ついてしまうかもしれないから。


僕は胸に当てた手を、ぎゅっと握った。


「ありがとう、ジュリア。状況は何も変わっていないけれど、さっきまでよりは少し、うまく笑える気がする。君の言葉は、まるで魔法だ」


「風景は描写次第で、暗にも明にも変わるものよ」

ジュリアは文学的にそう述べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る