第5話 図書室

キッチンからリビングへ、リビングから廊下へ、そして廊下から二階へ続く階段へと僕たちは移動した。その道中でトイレや洗面台、バスルームの場所を教えてもらった。


そして今、僕たちは階段を上り切った先の廊下に立っている。


廊下は左右に向かって伸びていて、僕たちはまず右側に進んだ。廊下の壁には小さな窓がいくつかあって、反対側の壁には扉が三つ並んでいる。オリオは歩きながら一つ一つの扉を指差した。


「手前から、ウィルの部屋、僕の部屋。一番奥は空き部屋だから、今日からロミが使うといいよ」

オリオはそう言って、空き部屋の扉を開けた。中はきれいに掃除されていて、ベッドや机、椅子、クローゼットなどがあった。


「ありがとう。こんな素敵な部屋が空いてるなんて、僕は運がいいね」


僕の感想に、オリオは苦笑した。

「確かにラッキーだ。今この瞬間も、生死の境を彷徨ってるってことを除けばね」


僕たちが次に向かったのは、階段から廊下を左に進んだ方向にある部屋だった。右側には扉が三つ並んでいたのに、こちら側は一つだけだ。


「ここが最後にして最高の部屋。僕の一番お気に入りの場所だよ。開けてごらん」


オリオは僕に、扉の前を譲った。僕はひんやりした丸いドアノブに手をかけた。


カチャリと音をたててドアが開く。


「わあ、すごい」

僕は部屋の中を見て、思わず声を上げた。


中はとても広かった。


そしてその広い壁面を埋め尽くすように、床から天井まで届く高さの本棚が立ち並んでいた。加えて、部屋の中にもいくつもの本棚が立っていて、何本もの通路を作っている。部屋の奥の窓には紺色のカーテンが閉まっていて、その薄暗さが部屋の静けさを際立てていた。


「ようこそ。ローレンス邸で最大の面積を誇る部屋、図書室へ」

オリオは芝居がかった調子で、僕を図書室の中に入るように促した。


部屋に入ると、僕は手近な本棚から順に中身をのぞいていった。これだけたくさんの棚が置いてあるのに、そのどれにも本が隙間なく並んでいた。


「一体、何冊あるんだろう」

僕がつぶやくと、オリオは肩をすくめた。

「さあね。でもきっと、一生かかっても読みきれないくらいだよ」


それから彼は僕を、図書室の端から端まで案内してくれた。


「この壁ぎわは魔導書とかの類の棚で、そっちが哲学書の棚。あっちには心理学の本がある。他にも学術書はたくさん置いてあるけど、全体の冊数に照らせば三分の一といったところかな。残りは全部、小説だよ。部屋の真ん中あたりにミステリー小説があって、その隣の棚がファンタジー系、次がSF系、壁際の棚には古典文学がぎっしりだ。他にも、あらゆるジャンルが揃ってる」


オリオは次から次へと迷いなく本の配置を教えてくれた。話している彼の目がキラキラしていたから、僕はふふっと笑った。


「ねえ、おすすめの本はある?」

僕は彼に訊いた。


すると彼は、うーんと天井を見てしばらくのあいだ考えた。

「迷うなぁ。僕自身が好きな本はたくさんあるけど、ロミもその本が好きだとは限らないし。そうだねぇ。ダメ元で聞くけど、今まで読んだ好きな本とか思い出せたりしない?」


今度は僕が考える番だった。

目を閉じて、記憶が浮かび上がってくるのを待ってみる。


でも、過去のことを思い出そうとしても、まるで脳のスイッチが切れてしまったみたいに、真っ暗な世界が大きく広がるだけだった。


この暗闇に向き合い続けたら、僕は二度と明るい世界に戻って来られない。

そんな気持ちが湧き上がってきて、誰もいないはずの部屋で誰かの気配を感じたような、そんな寒さが背筋を伝った。


僕は慌てて目を開けた。


「ごめん、思い出せなかった。そもそも本を読むのが好きだったかどうかも、今は分からないや」


見上げるとオリオの優しいまなざしと目があった。


彼は言った。

「いいよ。謝らないで。いつかそのうち思い出すだろうから、そのときまた教えてよ。よし。今日は差し当たり、僕の独断と偏見で君におすすめの本を教えてあげよう」


彼は僕を壁際にある大きな棚の前に案内した。彼は下から三段目を手で示した。


「ここに、シェイクスピアの作品が固めて置いてある」


僕もその名前は知識として頭の中に残っていたから、少し嬉しい気持ちになった。

「シェイクスピアって、『ロミオとジュリエット』とかの人だよね? 」


「そうそう。シェイクスピアなら、普段本を読まない人でも知っているような有名タイトルもたくさんあるし、作品ごとの長さもそんなに長くないから、とっつきやすいんじゃない?」


「ありがとう、今度読んでみる」


僕はそれから、ふと気になったことを尋ねた。

「ここは死神の世界なのに、現世の本も置いてあるんだね」


オリオは頷いた。


「うん。ウィルも本が大好きでね。仕事で現世に行った帰りに、こっそり本屋さんに入り込んで、廃棄寸前の死にかけの本の魂を切り取って持って帰ってきてるんだってさ」


「へえ、本にも死にかけっていう概念があるんだね」

僕は感心した。


「らしいね」とオリオは笑った。


「たくさん現世のものを見れば、そのうち何かがトリガーになって、ロミの記憶が全部戻ってくるかもしれないよ」

彼の言葉に、僕は少し勇気づけられた。

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