第78話 脳監視

追っ手の立てる物音がしなくなってからも、僕たちは少しの間、この部屋にとどまった。去っていった死神たちが引き返してくる可能性があったし、何より階段を駆け上がり続けた足がそろそろ悲鳴をあげていた。


僕は床に座り込んで両足を投げ出し、両腕を後ろに突っぱって上半身を支えた。荒い息遣いが少しずつおさまっていく。しばらくそうしていると、壁にかかった現世鏡に映り込んでいる自分と目が合った。その藍色の瞳も、この暗さでは真っ黒に見える。


そのままぼんやりしているうちに、鏡の映像が水面のように波打ち始めた。追っ手が来ている恐怖を忘れて、鏡面の波に釘付けになる。波がおさまると、現世鏡は僕の肉体が眠る病室の様子を映し出した。


現世も夜中のようだった。室内は薄暗く、白いシーツが青白い光を反射している。ベッドでは相変わらず、自分自身が体を横たえている。


しかし前に見たときから、その姿は様変わりしていた。


頭にはバイクのヘルメットのような大型の機械が取り付けられていた。そのつるりとした表面からは、複雑に絡み合った配線がいくつも伸びている。そのうちの一本がベッド脇に置かれた液晶画面に繋がっていた。小型のテレビほどの大きさの画面には、何かの波形が表示されている。


お医者様が言っていたことを思い出した。


『胸の傷自体はもう、ほとんど治癒しています。息子さんの意識が回復しない状態が続く場合は、別の原因がある可能性を考えて、追加で精密検査を行った方が良いかもしれません』


精密検査を行った結果、あの不思議な機械が追加されたということだろうか。頭に取り付けられているから、これはきっと脳の動きを監視するためのものだろう。僕は首を捻った。脳波を監視しているわりには、画面上の波はほとんど動いていないように見える。


どうしてかその動かない波に、雷雨の訪れを告げる風のような冷たい印象を受けた。





後ろで誰かが体を動かす気配がしたので振り返ってみると、ティルトがいた。彼は鏡に映った脳を監視する無骨な機械に、冷水のような声を浴びせた。


「やっぱりそうか」


何が「やっぱり」なんだろう?

気になったけれど、尋ねる間もなくマキが立ち上がった。


「しばらく待ったけど、追っ手が引き返してくる気配はないね。最上階、行くなら今のうちだよ」





再び真っ暗な階段に出た。案内役のマキに続いて、最上階に足を踏み入れる。


「ここだよ」


彼女が立ち止まったのは、白い両開きの扉の前だった。僕はその無機質な扉にぞくっとした。夢の中で見た扉にそっくりだったのだ。ジュリアが「私は大丈夫だから」と僕の前で気丈に振る舞い、そして独りで泣いていたのは、あの内側だ。


マキが扉に顔を近づける。その隙間からは、光は一切もれてこない。中はきっと完全な暗闇だ。


「ラッキーだね、ハリスは帰ったあとみたいだよ」


マキがこっちを振り返って報告した。僕は彼女の力強い瞳に向けて、頷き返した。


『どうかロミに、もう一度会えますように。どうか、ロミが私のことを迎えにきてくれますように』


ジュリア。

随分待たせてしまって、ごめんね。

だけど、僕はちゃんと迎えにきたよ。


白く冷たい、監獄の扉に手をかける。

扉は押すと簡単に開いた。





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作者コメント:

読み返さないと気が済まない派の同志の方々へ。


医者による精密検査打診のくだりは『第36話 包帯と傷』、

わりと最近のエピソードですが、ジュリアの願い事は『第68話 独り言』です。


ちなみにこの読み返し用コーナー、需要あるんですかね・・・・・・?

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