第25話 襲撃
「オリオ! 何してるの」
僕は思わず叫んで、彼の元に駆け寄った。
「ロミ」
オリオは驚いたように、僕を見つめた。彼が振ろうとした鎌の刃は、黒いギザギザの葉っぱを掠めるように止まった。
僕がオリオの注意をそらさなければ、今頃その葉は、木の枝ごと地面に落ちていたに違いなかった。
「どうして?」
僕がようやくそれだけ言った。
オリオの鎌を持つ手が、一瞬だけ震えた。
しかし彼はこう言った。
「どうか止めないでくれ。ここの木を全て切り倒そうってわけではないんだ。でも、この木だけは、どうしても切り倒さないといけない」
すごく穏やかで、でも決意に満ちた声だった。
彼は再び鎌を引いた。
鎌の刃が、今度こそはと、木の枝に狙いをつけた。
次こそ、枝が切り落とされてしまう。
僕は思わず、オリオの目の前にわっと飛び出し、両腕を広げて立ちはだかった。
「切っちゃだめだよ。落ち着いて。お願い、その鎌を置いて」
オリオと目があうと、彼の瞳は怒っているようにも泣いているようにも見えた。
僕はしばらく、黒い木の前を動かずにじっとしていた。
オリオは僕が邪魔で木をきれなくなったためか、鎌の刃を下に向けて、ゆっくりと植物園の中央に後退した。オリオの背中が、ジュリアの載っている作業台に当たった。
「ごめん、ロミ」
彼はささやいた。次の瞬間、彼がとった行動に僕は息を呑んだ。
オリオは鎌の刃を、ジュリアの幹に当てた。
「そこをどいて。さもないと、ジュリアを切り倒す」
僕はその落ち着いた声色に戸惑った。
彼は決して激情に流されているわけではなかった。
自分が何を言っているのか、僕がどれだけジュリアを大事に思っているか、わかった上で、彼はジュリアを人質に取っていた。
一体何が、彼をそうまでさせるのか分からなかった。
「ひどいよ、オリオ」
僕は泣きたい気持ちになりながら、両腕を下ろして黒い棘の木の前から離れた。
オリオはもう一度、鎌を持ってその木の前に立った。それから彼は容赦なく、鎌を振るった。刃が葉っぱを散らし、小枝を切り裂いた。
僕は彼の顔に光っているのが、汗だけではないことに気がついた。
オリオは静かに泣いていた。
彼は今度は鎌を、その木の幹に思い切り打ちつけた。木が大きく揺れて、また何枚か葉が落ちた。
彼は何度もそれを繰り返した。そのたびに木は大きく揺れた。
しかし何度繰り返しても、木の幹には傷一つつかなかった。
振った刃が木の幹に跳ね返されて、ついにオリオの手から鎌が滑り落ちた。
彼は膝をついて泣き崩れた。
「どうして切れないんだ! お前は、そんなにまでして僕を苦しめたいのか。お前さえいなくなれば、最期に一瞬だけでも家族に会えるかもしれない。そんなささやかな望みも、僕には不釣り合いだって言うのか」
嗚咽をもらしてうずくまったオリオのそばに、僕は駆け寄った。
両肩にそっと手をのせると、彼は僕にもたれかかるようにして、泣き続けた。
僕はオリオを、作業台の前に置いていある椅子に座らせた。
僕は彼の隣で、ただ待っていた。
しばらくすると彼の呼吸が落ち着いてきた。
彼は手の甲で赤い目を拭って、言った。
「ロミ、あの忌々しい黒い木は、茨病という病気の木だよ」
「いばら病?」
「そう。この病気に冒されると、腕とか足とか、内臓とか、とにかく身体中の至る所に、茨形のアザがたくさんできる。アザができた箇所はね、死体のように動かなくなってしまうんだ」
「怖い病気だね」
「本当に、恐ろしい病気だ。意識はしっかりしているのに、体はまるで茨で縛り上げられたように、痺れて動かなくなっていく。僕はね、もう長いこと茨病で入院していたんだ。セントウィリアム病院っていうところで治療を受けていたけれど、病気の進行はおさまらず、今はこの通り死にかけ」
彼の言葉に、僕はハッとなった。
オリオは昔を思い出すように遠くを見つめた。
「僕、死神の世界に来たばかりのとき、この植物園の木を全部切ろうとしたんだ。失敗したけど」
「知ってるよ」
「ああ、そう、知ってたんだ。そのときは僕、現世から病気が全部なくなってしまえばいいって思ったんだ。茨病の木なんてものが存在しなければ、僕は現世でも外を自由に走り回れた。点滴じゃなくて食べ物から栄養を取れただろうし、学校にだって行けただろう。友達と一緒に、自分で本屋さんに行って本を買うこともできたかもしれない。家族にもあんなに苦労かけなかっただろう。そう思ってたんだ」
彼はもう一度、涙を拭って、話を続けた。
「それから二年半経って、僕の考えは変わったよ。何度かウィルに、本物の悪霊を見せてもらったことがあるんだけど、あれは酷かったね。ああ、思い出しただけで気分が悪い。僕も悪霊として永遠に現世を彷徨うよりは、今の方がまだマシだって思うよ。
でもさ、死神の鎌が持てるようになって、いよいよ自分が死んでしまうんだと思うと、どうしても最期に一度だけ、家族の顔が見たくなったんだ。
お父さん、お母さんと、最期に少しでいいから話したかった・・・・・・。
今さら茨病が消滅したところで、僕の体は動くようにはならないかもしれないけれど、ただ少しの間だけ、ありもしない希望に縋っていたかったんだ」
彼は深々とため息をついた。
「ごめんね。そんなことのために、君の大切なジュリアを傷つけようとして。それから、僕を止めてくれてありがとう」
そこまで言って、オリオは驚いたように顔を上げた。
「ちょっと、ロミ。なんで泣いてるの」
「だ、だって」
僕はその先を続けられなかった。ただ目が熱くなって、涙が止まらなかった。
「もう、泣きたいのはこっちだよ」
オリオは少し笑いながら、また流れだした涙を拭った。
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