第71話 究極の病の木

「それはできないよ」


ハリスはあっさりと首を振った。


あまりにも悪意のない言い方だったので、少しの間、頼み事がにべもなく却下されたことに気がつかないほどだった。隣に立つマキが槍のような目つきに変わっているを見て、ようやく僕は我に返った。


「なぜ、返してもらえないんですか?」


尋ねると、彼は手のひらを胸に当てた。


「それはね、ロミ。ボクがいつの日か『究極の病の木』を育てる男だからだよ。そしてボクは、ジュリアこそが究極の病の木なのではないかと考えている」


突然の話題の飛躍に、僕はまた戸惑いを隠せなかった。


究極の病の木。

たしか、初めて会ったときも彼はそう言っていた。


でも、そもそも究極の病とは、一体何のことなのだろう。助けを求めてマキに視線を送ってみると、彼女も反応しあぐねている。しばらくして、彼女は冷たい表情を崩さずに尋ねた。


「その究極の病っていうのは、具体的にどんな病なの?」


ハリスは少し声のトーンを落とした。


「ああ、これは失礼。説明を忘れていたね」


そして彼は、高らかに宣言する。


「ボクにとっての究極の病とは、最も効率の良い病だ」


まだ話の展開をつかめないでいると、彼はせきを切ったように、それについて語った。


「原則として、病というのは科学性疾患と魔法性疾患に完全に分かれている。言わずもがな、科学性疾患とは人間の肉体に対して作用する病で、魔法性疾患とは人間の魂に対して作用する病だ。しかし考えてもみたまえ。こんな分かれ方をしていたら、人間たちは一回の罹患によって肉体と魂のいずれか一方のみしか、死への耐性をつけることができない。これでは非常に効率が悪い! ただでさえ人間は数が増え続けており、効率のいい魂の回収が喫緊の課題となっているのだ。こんな非効率を野放しにしておくのは、あまりに勿体無い。そこでボクは考えた。科学性疾患と魔法性疾患を併せ持った病を作れば、一度で人間の肉体と魂、両方を鍛えてやることができるとね。ボクは長年、そんな病を作り出す方法について研究してきた。しかしこれが、なかなかうまくいかない。今まで何度も人工的に科学・魔法ハイブリッドの病木を作ろうとしたけれど、そのたびに病木は成長せずに枯れてしまった。ところがロミ、君の育てたジュリアはどうか! あの木は脳を停止に追い込む神経性の科学性疾患の特徴と、幻覚を見せることで人の魂を狂わせる魔法性疾患の特徴、この二つを併せ持っている! そう。ジュリアこそ、ボクが長年追い求めてきた病木だったのだよ。ジュリアこそ、人手不足に悩む死神界の切り札なのだ。分かるかい、ロミ?」


ハリスの口から言葉が激流のように溢れてきて、僕を圧倒した。


彼の言っていることを完全に理解できたかどうかは、怪しいところだった。しかしハリスはこちらが黙っているのを肯定ととらえたようで、にっこりと笑った。


「分かってくれたようだね。ジュリアはボクにとって、長年探し求めてきた理想なんだよ。だから返すわけにはいかない」


彼の目には一点の曇りもない。


実際その赤い瞳には、目の前にいる僕は映っていなかった。

ただ彼の瞳の中にあるのは、効率よく魂の回収を進めることだけ。

それが彼にとっての未来。


ハリスは意地悪でジュリアを取り上げようとしているわけではない。

彼は彼なりに、自分の願いを追いかけている。


僕はジュリアを取り返したい。

でもそれは、僕個人の勝手な希望だ。

なら、どうして彼を止められるだろうか。


強気だった心が削られていく。

勝気が魂から抜けていく。


しかし諦めかけた僕の背中を、マキがパシッと叩いた。

『緊張したって構わない。でも、あいつに屈するのだけはナシ。いい?』


僕は消えかけた気力を奮い起こして、ハリスに訴えた。


「ジュリアがあなたにとって、どれだけ大切な存在かは分かりました。でも僕にとっても、ジュリアは大切な存在なんです。僕はこの見知らぬ世界に辿り着いてから、何度も彼女に勇気づけられてきました。その彼女が自分の手の届かない遠い場所で、ただの分析対象に成り下がって生きていくことを、僕はどうしても受け入れられないんです」


ハリスは右手をあごに当てた。


「と言われてもね。個人の感情は、理性の前では無力だよ」

「そんな」


さらに食い下がろうとする僕を、ハリスは身振りで止めた。


「君がこの先どんな主張を展開しようが、ボクは心変わりしない。よってこれ以上の対話は時間を浪費するだけだ。それに、そもそも君はジュリアの所在に対して何か主張できる権利を持っていると思っていたようだけれど、それは誤解だよ。この世界では、十二死神は強い力を持っている。そしてそのうちの一人たるこのボクがジュリアを欲しいと言ったのだ。その瞬間から、ジュリアはすでにボクのものだ。人間である君の立場をわきまえたまえ! では、これで失礼するよ」


ハリスは一息に言ってしまうと、僕とマキの間をすり抜け、館の外へと歩き出す。


そのとき、ここまで隣で見守ってくれていたマキが動いた。


「ちょっと待ってよ」


彼女の声に、ハリスは足を止めて振り返った。

マキは彼を睨みつけた。


「私は、あなたの考えには全く賛同できない。神が十二死神に強い権限を与えたのは、自分より弱い人たち、つまり他の死神たちや人間たちを助け導くためでしょう。その権限を使って、弱き者から大切なものを取り上げるのは、間違っている」


マキの声が玄関ホールに凛と響く。

しかし、ハリスの考えは変わらない。


「ボクが思うに、十二死神は精神論や美徳のために存在している制度ではないよ。そもそも、強き存在が弱き存在を助けることばかりに磨耗していたら、その集団は遅々として進歩しないだろうね」


これ以上話すべきことはないとハリスは背中をむける。マキは吐き捨てるように言った。


「利益ばかりで心がない。あんたじゃ話にならない!」




バタンと扉が閉まって、玄関ホールには僕たち二人だけが取り残された。結局、ジュリアを返してもらうことはできなかった。これからどうしたらいいのだろう。


落胆し、途方に暮れる僕の腕を、マキの手が掴んだ。


「行くよ、ロミ」

彼女は力強く、僕を廊下の奥へと引っ張り始める。


「え、行くってどこに?」

引きずられるがまま尋ねると、マキは振り返る間も惜しんで、次の一歩を踏み出した。

「お姉様のところ。目には目を、歯には歯を、十二死神には十二死神を、ってね」


僕はその一言で、彼女が何を考えているか理解した。


僕がなんと訴えかけようと、ハリスはジュリアを手放す気にはなりそうもない。であれば、僕以外の、もっと効果的にハリスを説得できる人物に頼むしかない。幸いマキの姉であるサリアは、ハリスと同じ十二死神の一人だ。サリアが命令書を取り下げるように口添えしてくれれば、ハリスも簡単には無視できないだろう。


僕は引っ張られるがままの体を立て直した。

そして力の抜けてしまった足を踏ん張り直して、彼女の背中を追いかけた。

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