第72話 懇願
「ハリスに、研究資材を手放せと口添えして欲しい?」
サリアに事情を説明すると、彼女は妹に似た強気な立ち姿で僕たちを見下ろした。
「却下だよ。どうして私が、そんな面倒なことをしなければいけないんだい」
そんなこと考えるまでもないだろうと、サリアは翠色の長髪を手の甲で払う。
とりつく島もないとはこのことだ。もしこれがジュリアのためでなかったなら「そうですよね」と、ここであっさり引き下がっていたところだ。
でも今日の僕はそうしない。
『どうかロミに、もう一度会えますように。どうか、ロミが私のことを迎えにきてくれますように』
そんな彼女の望みに答えるために。
「ジュリアは僕にとって、とても大切な存在なんです。お願いします。ジュリアを返してもらえるように、説得してください。僕にできることなら、なんでもします」
我ながら図々しいと思ったけれど、ジュリアのためだと思うと尻込む気持ちは塵のように消し飛んでしまった。そして魔力も権威も何もない僕がサリアを説得するためにできることと言ったら、ただ言葉と態度で誠意を見せるぐらいのことしかなかった。
「お姉様。私からもお願い」
マキが隣で加勢してくれている。
サリアははぁとため息をつくと、居心地悪そうに足を動かした。
「全く。二人とも。そんなに頼まれたら、断りづらいじゃないか」
その言い回しに、僕たちはぴくりと反応した。
マキの表情がパアッと勢いづく。
「じゃあ、引き受けてくれるんだね。ハリスと違って話が通じる。さすがは私のお姉様!」
「何を言っているの。引き受けないよ?」
さっぱりとした物言いに、場の空気がしばらく凍ったように動かなくなった。
マキは困惑して言葉を詰まらせた。
「え、ええ? でも、断りづらいって」
「断りづらいから断るのをやめるだなんて、私はそんなに意志の弱いタイプじゃないよ。どうせ断られるんだから、無駄な懇願はやめろと言っただけ」
さすがのマキも、これには黙ってしまった。
マキもかなり気が強いけれど、サリアはそれ以上な気がする。
けれども僕は最後の抵抗を試みた。
「人間は、昏睡状態でそう長く生きられません。僕は長くても数年間しか、この世界にいることはできないと思います。たった数年の間だけ、ジュリアと一緒にいられたら僕には十分なんです。僕がいなくなったあとは、ジュリアをハリスに引き取ってもらって構いません。それでもダメですか?」
サリアは困ったように頭を掻いた。
「たしかに、死神は神と呼ばれるだけあって、人間よりは寿命が長い。数年なんて一瞬だ。しかしだからこそ、私は面倒ごとに首を突っ込みたくない」
サリアはそこで一瞬、街中で苦手な人に出会ってしまったときのような表情を見せた。
「私も他人のことは言えた義理ではないけれど、ハリスは自分の興味範囲外のことについては冷酷なぐらい気を向けない。他人の善意も苦しみも、笑顔で跳ね除けられるのが彼」
そう指摘されて、今まで見てきたハリスの数々の言動を思い出した。
雪の木が枯れたとき、落ち込んでいるウィルに『憂いはなんの利益も生まない』と言ってのけ、シュークリームを食べようと提案するオリオには、『飲食なんて無益で非効率的な行為』と言い放つ。そして僕も、ついさっきそれを体験したばかりだ。
「そんな彼に、君の感情を根拠に理不尽な命令を出すなんて、それこそ数年なんかでは修復できないくらいの遺恨を残しそうだよ」
僕の勝手な望みで、サリアを困らせるのは本意ではない。
この辺りが限界だなと思った。
「分かりました。無理なお願いを言ってしまって、ごめんなさい」
「分かってもらえて何より」
サリアは軽く息をつくと、話題を変えた。
「ところでロミ。来たときから思っていたけれど、今日は顔色が悪いね。ついに呪いの症状が出始めたのかな?」
僕の魂には強力な呪いがかけられていて、これをどうにかしないことには僕は現世に帰れない。彼女はこのことを覚えていてくれたようだ。
しかしあいにく、これまでのところ、特に呪いらしい影響はどこにも現れていない。
「ただの寝不足です」
と答えると、サリアは「ああ、そう」と肩をすくめた。
「君は仮にも死にかけているんだから、病の木よりももう少し自分を気に掛けた方がいいと思うけれど。まあ、そんなことを言っても仕方がないか。呪いの正体が分かったらまたおいで。ジュリアのことでは役に立てそうもないが、呪いはきっと解いてみせるから」
そう言い残すと、彼女は自分の生活に戻っていった。
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