第73話 花冠

僕とマキは館を出て、庭園の帰り道を門に向かってとぼとぼと歩いた。マキは姉とお揃いの翠色の髪を、耳にかける仕草をした。


「ごめん。結局、私、力になれなかったね」

「そんなことないよ。一緒に来てくれて、嬉しかった」


そう答えて、地面を見つめた。


ハリスもサリアも話は聞いてくれた。

けれど、聞いてくれただけだった。


不意に、今まで死神たちが人間に対して使った言葉が頭の中で溢れかえる。


『ただでさえ人間は数が増え続けており、効率のいい魂の回収が喫緊の課題となっているのだ』


『人間とはただの魂の回収対象だよ。いちいち丁寧に接していたら、回収どころじゃなくなってしまう』


『人類が本当にキスで生き返れば、どれだけいいか。私はもう二度と、人間の魂を回収するなどという仕事に行かなくて良くなるよ』


思わず口から言葉がこぼれ落ちた。


「死神にとっての人間って、なんなんだろう」


マキはそれを聞いて、はたと立ち止まった。彼女の気配が隣から消えたので、僕も足を止める。彼女は小道を彩る花壇に咲いた、赤と白の花々に視線を落とした。


「ロミは花が好き?」


「えっと。うん。好きだよ」

「そう。私も」


彼女は花壇脇にしゃがみ込んで、一本の白い花に手を添えた。


「昔、庭の花を摘み集めて、花冠を作ったの。赤、白、黄色、庭じゅう駆け回っていろいろな花を集めた。それから、茎同士を結び合わせて輪っかにして、頭に乗せた。完成したときは嬉しくて、花冠をかぶったまま急いで鏡の前まで走っていった。お姉様にも自慢しに行ったら、綺麗だねって褒めてくれた」


いつも強気で頼もしい彼女にも、そんなふうに過ごした日々があったのか。


「微笑ましいエピソードだね」


そう返すと、彼女は白い花をもてあそんでいた手に力を込めた。プツンと音がして、その花はいとも簡単に摘み取られた。彼女はその花を、僕に差し出した。


「ありがとう」


戸惑いながらもそれを受け取る。彼女は花壇を見つめ続けた。その視線の先では、花が折り取られた箇所に、不自然な空白ができていた。


「幼い私は、こうしていくつもの花を手折った。時には自分の髪飾りに、時には誰かへのプレゼントとして。でもね、ロミ。花は折り取られると、死ぬ」


ぎくりとして、手の中の花を見た。白い可憐な花。この花は地面から引きちぎられてしまった。どれだけ美しくても、あとは朽ちて土に還るだけ。


いわばこれは、花の死体。


「花冠っていうのはね、無数の花の死骸の集まりなの。私は死体をより合わせて、無理な方向に捻じ曲げて、結び合わせることを楽しんだ。花からすれば、どれだけ猟奇的で残虐かしれない。でも誰一人、お姉様でさえ、その事実に気が付かなかった。折られた花の苦しみなんて、誰も考えもしなかったの。折った花は死んでしまうなんてこと、簡単に分かるはずなのにね」


彼女は立ち上がって、僕に正面から向き直った。


「死神にとって、人間は花のようなものだと思う」


白い花を胸の前で持ったまま、僕はまばたきした。マキはその花を通して僕を見た。


「私たちは花を世話するように、手間暇かけて魂を回収する。もし人間と関わる機会があれば、それなりに親切に接する。ハリスもお姉様もそう。二人とも、ロミのことをあからさまに蔑んだりはしない。でも、ハリスは平気で君の大切な木を奪うことができるし、お姉様はやってみもせずに、はなから君の懇願を却下する」


僕は手渡された白い花を、指先でクルクルと回した。

今、僕の手の中にあるのは無惨にも体を切断された死体だ。


なのにどうして、僕はこんなに平然としているのだろう。

きっとこの死体が人間のものだったら、今ごろ泣き叫んでいたに違いないのに。


『死神ってやつはいくら優しく見えても、根本的な作りが人間と違うらしい』

ティルトの言葉が、突き刺さるように心に根を張っていく。


人間はいくら花を美しいと思っても、本当の意味で花に共感することはできない。元々、そのように創られていないのだ。第一、花の一輪一輪にまで感情移入していたら、生きづらくて仕方がない。


それと同じ。

死神には人間の気持ちは伝わらない。

本当の意味で分かりあうことは、決してない。

彼女の言っているのは、そういうことだろうか。


マキは気遣わしげに、まぶたを動かした。


「今日は話し合いが決裂した。けれどそれは、ロミのせいじゃない。だからあまり、自分を責めないで」


不思議と心が落ち着いてくるのを感じた。いや落ち着くというよりは、心を構成するネジの一つが、回りすぎて捩じ切れてしまったような。そんな穏やかさ。


僕はもらった花を、埋葬するかのように、そっと花壇の空白に横たえた。


「死神にとって、人間は花のようなもの。そうか。よかった!」

「よかった、って・・・・・・ロミ、大丈夫?」


マキはぎょっとしたように一歩退いた。


もちろん大丈夫だ。と自分では思った。


見渡せば、この庭園には数えきれないほどの花が咲き乱れている。敷地中ありとあらゆる場所を美しい花が彩っている。どれひとつとして、萎れたり立ち枯れたりはしていない。


人間は、花が萎れているのに気づいたら水をやる。

そのとき萎れた花がどんな苦痛を感じたかなんて、いちいち想像したりはしないけれど、その苦痛をあえて放置もしない。


死神と人間も、きっと同じ。たとえ本当の意味で相手の気持ちが分からなくても、お互いに寄り添うことはできるはず。実際ウィルやマキは、そうしてくれている。


ジュリアを失ったことがどれだけ辛いか。きっと口で説明しただけでは伝わらなかったのだ。しかしこの苦しみに気づいてさえもらえれば状況は変わる。僕はそう確信した。


だって人間と花は、そうやって共存しているのだから。

この美しい庭園のように。


僕は急に、吹っ切れた笑みを浮かべた。


「マキ。できるだけ早く、準備が整い次第、僕は研究所にジュリアを奪還しに行くよ。よければ一緒に来てくれる?」


マキは突然の変わりように、呆気に取られて聞き返した。


「どういう風の吹き回し?・・・・・・もし自暴自棄でそう言ってるなら、やめときなよ」


「自暴自棄なんかじゃないよ。今の話を聞いて思ったんだ。分かり合えない相手とも、共存はできるはずだって」


彼女は目を丸くして呟く。


「そっか。花冠の話、君はそう捉えたんだ」


彼女は表情を緩めた。


「ロミはどこまでも信じる気持ちを捨てないね。オーケー。奪還作戦なんて、上等じゃん。もちろん、私も参戦するよ」


マキの青いローブが風にはためいた。背後で散った赤色と白色の花びらが、大空へと舞い上がる。二つの色が、爽やかな水色の空に鮮やかに照り映える。


「本当に一緒に来てくれるの?」

「うん。だって、ジュリアのためにできることは何でも手伝うって、約束したから」

「そっか。ありがとう!」


今の僕は、ジュリアのためならなんでもできる気がした。






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作者コメント:


ロミが思い浮かべた『今まで死神たちが人間に対して使った言葉』シリーズがどこに書いてあったか気になってしまう読者様へ。


そもそも相当な話数があるこのお話を、ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。このページにPVがついているという事実だけで感動です。


上述のシリーズですが、それぞれ以下の話で登場しています。


ただでさえ人間は数が増え続けており、効率のいい魂の回収が喫緊の課題となっているのだ。→ 第71話 究極の病の木


人間とはただの魂の回収対象だよ。いちいち丁寧に接していたら、回収どころじゃなくなってしまう。→ 第45話 遁走


人類が本当にキスで生き返れば、どれだけいいか。私はもう二度と、人間の魂を回収するなどという味気ない仕事に行かなくて良くなるよ。→ 第37話 茨



ちなみに、上記シリーズではないですが、ロミが思い出したティルト君のセリフは第61話 罰にあります。



随分長い期間にわたって、いろいろなところにセリフをばら撒いてしまいました。

今回のエピソードも、自分の中では思い描いた内容を、きちんと伝わる形にできているか正直心配です・・・・・・力量不足を痛感する日々ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。

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