第81話 ナイフ
蘇ってきたのは、少し前に思い出した記憶の続きだった。
新しい魔法が完成したと、すみれの花冠をくれたあの人は言った。
そして、
『じゃあロミ。まずはその棺桶に横になってみてくれる?』
彼女にそう頼まれて、僕は棺桶の中にいる。
漆黒に塗り固められた棺には、ピンクがかった紫色の花が敷き詰められていた。ジュリアの花に似たその甘酸っぱい香りが、鼻から入ってきて脳まで支配しようとする。
そして、その香りに混ざる鉄のような臭い。
僕は恐る恐る首を曲げて、自分の胸のあたりに視線を落とした。
心臓に、一本のナイフが深々と突き刺さっている。
銀色に光るナイフを染め上げようとするように、真っ赤な血が激しく噴き出して流れ落ちた。
息ができなくなるほどの痛みが、体を刺し貫いた。
声が出ないほどの苦しみに、悶えて動き回るほどに、血液が体から失われていく。
僕はうつろな目を向けた。
棺桶の前に返り血を浴びて立っている、ブロンド髪のあの人に。
彼女は『昔、大切な人を失った』と話してくれた、あのときと同じ切ない目で語った。
「ごめんね。ロミ。私は彼の代わりのあなたじゃなくて、本物の『彼』と一緒にいたくなったの」
本物の『彼』。
彼女の『昔失った大切な人』のことだと、すぐに察しがついた。
彼の代わりのあなた、という表現が頭の中でこだまのように繰り返す。
僕は彼女にとって、その『大切な人』の代替品だったようだ。
薄れていく意識の中、痛みを押し殺して微笑んだ。
正直、誰の代わりであろうと、構わなかった。
むしろ彼女が、僕なんかを『大切な人』の代わりとして、愛していてくれたのだという事実の方が重要だった。僕なんかを愛してくれる人がいたこと、それだけが重要だった。
そして僕を愛してくれた彼女に、あんな切ない表情をさせてしまって、自分はなんて情けない奴なのだろうと思った。
「僕の方こそ、ごめんね。あなたの大切な人の代わりに、なりきれなかった」
正直な気持ちを伝えると、彼女は肩を震わせた。
そのゆったりした柔らかな声が、落ち着きを失う。
「違うわ。ロミといる間、私はずっと幸せだった。でも。それでも私は『彼』を、取り返さなければいけないの」
「そうなんだね」
相槌を打つ。細かい理由なんて気にならないから、世間話をするような穏やかな声が出た。彼女は声のトーンを上げた。
「ロミを棺に寝かせて刺し貫いたのは、とある魔法のための儀式なの。あなたの魂を肉体から取り出して、永遠に現世に閉じ込める魔法よ。しかも、ただ魂を取り出すだけじゃない。ロミの肉体は生かしたまま、魂だけを抽出するの」
だんだん彼女の声が遠くに感じてくる。しかし彼女はまだ、言いたいことを全て吐き出しきれていない顔をしている。僕は気力を振り絞って会話を続けた。
「僕の魂をずっと現世に留めておいて、どうするの?」
返ってきた声は真剣そのものだ。
「お墓に、私の『大切だった人』の遺体を保管しているの。そこにあなたの魂を入れるわ。『彼』の失われた魂の代わりに」
頭の中で、彼女の短い説明をゆっくりと咀嚼した。
僕の魂が紐づいているのは、僕自身の肉体だ。
肉体が死んだら、魂はあの世に連れ去られてしまう。
しかし逆に言えば、僕の肉体が生きているなら、その魂も死んだとは見做されないのではないか。そう考えた彼女は、魂だけを抜き取って肉体は生かしておくための魔法を、僕に使った。
そうすれば僕の魂は現世にとどまり続ける。
うまく魂を『彼』の死体に入れ込むことができれば、その肉体を動かす原動力となるだろう。
僕の魂を使って『彼』が生き返るのだ。
それでも僕はまだ腑に落ちなくて、切れ切れの呼吸のまま指摘した。
「そのやり方だと・・・・・・『大切な人』の肉体はもう一度動き出すかもしれないけれど、中身は僕のままになっちゃうよ」
すると彼女は少し寂しそうな顔をした。
「そうね。だからこの魔法は、あなたの魂にとある幻覚を見せるのよ」
「どんな幻覚?」
「・・・・・・私のことを、恋人だと思い込む幻覚」
それを聞いて僕はようやく、彼女のやりたいことがわかってきた。
つまり、僕の魂は作り替えられるのだ。
彼女の大切な『
僕は穏やかに笑った。
「それが、あなたが作った新しい魔法なんだね」
ようやく、彼女が作っていた新しい魔法のことを教えてもらえたのだ。
仕組みは半分も理解できていないのだろうけれど、概要が分かっただけで今は満足だ。
しかしそんな僕とは反対に、彼女はついに泣き叫び始めた。
「どうしてそんな顔をするの? 新しい魔法? とんでもない! 私があなたにかけたのは、呪いよ! 私はあなたの魂を不当に奪い取ろうとしているの。それだけでは飽き足らず、抜け殻になった肉体を、脳の神経を無理やり動かして生きながらえさせ続けようとしているの。こんなに残酷なことをされて、なぜそんなに穏やかでいられるの。もっと私を罵って、恨んでよ。ねえ!」
罵るなんて。恨むなんて。
彼女に言われるまで思いつきもしなかったから、僕はふっと短く息をもらした。
「そんなに怒らないで。僕のことはもういいよ。あなたが僕の魂を使って幸せになれるなら、もう、それでいい」
目を閉じる。
きっと次に気がついたときには、僕は魂だけの存在になっているだろう。
そのときは今度こそ、彼女の『大切な人』になりきれるだろうか。
そうであって欲しいと、本気で願った。
痛みすら感じないほど薄れた意識の中で、ただそれだけを願っていた。
しかし、完全に意識を失ってしまう寸前。
暖かい魔法が傷口にふれた。
再び薄目を開けると、ぼやけた視界の真ん中に、頬を濡らした彼女がいた。
「ごめんなさい。こんな呪われた方法で彼を取り返しても、意味なんてなかった。こんなにも優しいロミを傷つけて、自分勝手な願いを叶えるだなんて、間違っていた。ごめんなさい。許してなんて言わない。だからせめてお願い、目を覚まして!」
彼女の使う魔法で、胸の傷口が少しずつ塞がっていく。
しかしそれに反して、視界はどんどん暗くなり、意識はどんどん遠のいていった。
彼女はこの呪いを完成させたばかりだと言っていた。
きっと呪いを解く方法は、まだ作っていないに違いない。
僕はそのまま、暗闇の中に沈んだ。
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作者コメント:
『第46話 裏切り』 の最後あたりとかを読んでいただくと、ロミが無意識のうちにこの出来事を意識していたことが伺えます。
作中通してずっと、やたら心臓に関する心情描写表現が多かったのもそのせいかもですね。
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