第80話 決闘

ティルトはジュリアの幹に向けて、持っていた死神の鎌を勢いよく振り抜いた。


刃が木の幹に迫る。


どういう理由かは分からないけれど。

彼はジュリアを切り倒そうとしている!


咄嗟にジュリアを守ろうと手を伸ばした。

しかし、止めに入るにはあまりにも距離が遠い。


この手は届かない。

どうしよう、ジュリアが死んでしまう!


そのとき。

刃とジュリアの間に、大きな影が割り込んだ。

一瞬、月の光が当たり、その影をエバーグリーン色に照らす。

マキだ。


彼女はジュリアに覆い被さるようにして、刃の魔の手から鉢を掠め取った。

さっきまでジュリアがいた場所を、刃が空を切って通り過ぎる。


僕は安堵のため息を漏らした。

よかった。マキがジュリアを守ってくれた。


しかし。


行く当てのなくなった刃は、その勢いのまま突き進み続ける。

そして刃の進行方向には、ジュリアを抱えたままのマキが背を向けて立っている。


空気が凍りつくような一瞬の静けさのあと。

刃は彼女の背中に、容赦無い一撃を加えた。


「うっ」


息が詰まったような呻き声とともに、彼女は膝から崩れ落ちた。

彼女の深海色のローブに、みるみる赤黒いしみが広がっていく。


「マキ!」


カランと金属音を響かせ、オリオの手から見習い用の鎌が滑り落ちた。彼はマキに駆け寄る。


「マキ、マキ! しっかりしろ!」

「あっ・・・・・・ううっ」


彼女からは言葉にならない声しか返ってこない。

歯を食いしばって、ジュリアをますます強く抱きしめるだけだ。


その背中に、冷酷な声が響く。


「その木を手放せ。俺がそいつを切り倒す」


ティルトは刃を軽く振った。その刃から赤い雫が弧を描いて飛び散る。

しかしそれでもマキは、ジュリアから離れようとしなかった。


「切り倒す? ふざけてんの? これはロミの大切な木。むざむざ殺させたりしない」


息も絶え絶えな震え声。でもその中には、強烈な意志が感じられた。

そんな勇敢な彼女に、ティルトは追い打ちをかける。


「お前は死神だ。とっくに気付いているんだろう。この世界に木の精霊なんてものは存在しない」


マキはビクッと背中をふるわせた。

その拍子に傷が開いて、ドクンと血が溢れ出す。


「知ってるよ。木の精霊なんていない。でもロミがそう信じてるんだから、守ってあげるのが、優しさってもんじゃないの?」


僕は彼女の口ぶりに、背筋がぞくりとするのを感じた。


『ロミがそう信じているから』って?

彼女は僕の知らない何かを知っているの?


ティルトは顔をしかめた。


「優しさってのは、相手が最善の道を選べるように努めることだ。たとえ当の本人が嫌がっていたとしてもな。お前のはただのだ」


その言葉にマキは鋭く息を呑んだ。

直後、意思の力だけで持ち堪えていた彼女は、ドサリと両手を床についた。


「そんな・・・・・・。そう。じゃあ私は・・・・・・無意識に花を・・・・・・摘み取ってたんだ・・・・・・」


それから急に力が抜けたように、彼女はジュリアの隣に倒れ込んだ。


「マキ!」


オリオの悲痛な絶叫がこだました。





状況の整理が全く追いつかなかった。ティルトがジュリアを切る理由も、マキとの会話の意味も、僕には分からなかった。そんな僕を置いてけぼりにして、ティルトはまた鎌を握る手に力を込める。


「もうやめてよ」


そう叫ぶ。叫んで、彼を糾弾した。


「どうして、こんなことをするんだ!」


するとティルトはつかつかと僕に歩み寄って、両肩を揺さぶるように掴んだ。


「いい加減、目を覚ませ。まだ分からないのか?」

「え?」


あまりの剣幕にたじろいだ。すると彼はジュリアを指差す。


「あの木の症状がなんだったか、言ってみろ」


突然のことにうまく頭が回らない。

ええと。ジュリアの症状は?


「脳神経異常と幻覚」


口に出した途端、さっき見た光景が目眩のように僕を襲った。


ベッドの上、僕の肉体は脳を監視する機材とともに眠っている。

僕の肉体は脳に異常をきたしている。


じゃあ、もしかして?


いやだ。

そんなこと考えたくない。


両手で耳を塞ぐ。するとその左手を、ティルトが力強く掴んだ。


「現実を受け入れろ。誰にも見えない少女なんてものは存在しない。お前が見ていた少女は、病が作り出したただの幻覚だ」


僕は頑なに首を振った。だって、そんなわけがないじゃないか。さっき彼女に会ったとき、僕は彼女に手を触れることができた。その手は温かかった!


それでもティルトはやめない。彼の声が銃声のように耳を打つ。


「お前がこれまで大事に育てていた病の木こそが、お前の命を蝕む元凶だ。お前はあの木が作り出した病のせいで、死にかけているんだ!」


もうこれ以上聞きたくなかった。

だって、ジュリアは。

ジュリアは。


「ロミ」


聞き覚えのある声がして、右手に誰かがそっと触れた。その柔らかい手の先には、少女の姿をしたジュリアが立っている。彼女は声を震わせた。


「その人の言っていることは、本当なの? もしそうだとしたら、私・・・・・・私はっ」


彼女の目に悲しみの涙がたまって、静かにこぼれ落ちる。

握った手から、彼女の震えが伝わってきた。


僕が呆然としている間にも、ティルトはジュリアの鉢を取り上げて、台の上に載せ直す。


握られていた少女の手が、不意に僕の右手を放した。


「もしロミのこと傷つけてしまうなら、私、死んだほうがマシね」


その顔に、何もかもどうでもよくなったかのような絶望が浮かび上がっていた。

彼女の中で輝いていた幸せの種が、ひとつ残らず砕け散っていく。


それが合図だったかのように、僕の体が動き出した。


悲しみと動揺が、死の気配となって全身から溢れ出した。近くの床に落ちていたオリオの鎌を掴む。本来、人間には掴めないはずのその鎌は、いとも簡単に拾い上げられた。


僕は猛然と走った。


「状況がもっともらしく見えるだけで、僕が死神の世界にきてしまった原因がジュリアだという決定的な証拠は、一つもないじゃないか。全部ただの憶測だよ!」


もし憶測が間違っていたと証明されたとき、ジュリアが切られてしまっていたら取り返しがつかない。


だから今はただ、彼の手から鎌を奪い取りたかった。

奪い取るだけで十分だった。


それなのに。


僕が振るった鎌は、ティルトの持っていた鎌を弾き飛ばした。

だけでは飽き足らず、彼の脇腹にグサリと突き刺さった。


ティルトは呆然と傷口を見下ろした。


刃の食い込んだその場所から。


血が。

激しく。

噴き出して。

流れ落ちる。


あれ、これに似た光景を、どこかで見たことが・・・・・・?

そう気付いた途端、自分の心臓にナイフで貫かれるような強烈な痛みが走った。


意識が遠のいて、記憶の中に引きずり込まれる。

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