第30話 コーヒー豆

空っぽになったインクやりようのコーヒーカップを持って、ジュリアの枝分かれのことを思い悩みながら歩いていると、庭をうろうろと動き回っているカラスに出会った。


そのカラスは神様がしたためた死人リストを、くちばしで器用に運んでいる。


僕はカラスに声をかけた。

「ウィルならさっき、二階の部屋にいたよ。ほら、あの窓」


僕が指さすと、カラスは丸い目を賢そうにしばたいて、パサパサとそちらへ飛びあがった。


しばらくすると、その部屋の窓が開いて、ウィルの驚く声が聞こえた。

「今日も来たのかい、勤勉な神の僕よ。ああ、なんと由々しき事態だ」




その叫びから、数分後。


黒いローブを羽織り、大きな鎌を肩にかけ、出て行こうとするウィルを見つけて、オリオは意外そうに声をかけた。


「あれ、三日連続で仕事? 珍しいね」


ウィルは心底、困った顔をした。

「ああ、今日は神もお暇を下さるだろうと信じていたのに。なんと無慈悲なことだろうか」


オリオはウィルの持っている白い紙切れを指差した。

「でも、今日の死人リストは短いみたいじゃない」


彼の指摘通り、カラスが持ってきたリストはいつもの半分ぐらいの長さだった。


しかし、ウィルは大袈裟にため息をついた。


「たしかにリストは短い。きっと私は昼時までには、仕事を終えて戻るに違いない。だがね、子供達よ、全休と半休では価値が全く違うのだ」


僕はオリオと顔を見合わせた。


「そうなんだって」

僕は記憶がなかったから、なんとなくしかその気持ちは分からなかった。


オリオも肩をすくめた。

「僕は万年、病欠という名の全休に囚われていたから。半分も仕事に出られるなんて、羨ましい限りだよ」


僕はそれを聞いて、また心が縮むような気がした。


「そうかい。では仕方がない。君たちの分まで、業に励むとしよう」

ウィルは気が進まなそうに言った。


それから彼は、ああそうだ、と付け加えた。


「まさかカラスがやってくるとは露ほどにも予想していなかったのでね、今日はお昼ごろ、客人のある予定だ。もし私が戻る前に彼が到着したら、コーヒーでも出してやってくれ」


そう言い残すと、ウィルはカラスを引き連れて行ってしまった。





「お客さんか」

僕はポツリとつぶやいた。


こちらの世界に来て最初に会ったには、危うく首を切り落とされるところだった。


首の後ろが、冷たい風に吹かれたような感覚に襲われる。


「大丈夫。今の僕にはマキからもらった、マイ武器がある。ロミに意地悪しようとする奴がいたら、五十倍返しにしてやるよ」


オリオが元気づけてくれたけれど、今度は違う意味で不安になった。


「お客さん、ティルト以外の誰かだといいな」

僕の儚い望みは、あっという間についえた。


呼び鈴が鳴ったので玄関を開けてみると、赤いジャケットに黒いツンツン髪、そして鋭い目。そこに立っていたのはまさに彼、ティルトだった。


「あ、えっと。こんにちは」


僕がなんとか挨拶すると、彼は北極のような声で答えた。

「お前。まだいたのか」


「ご、ごめんなさい」

僕は思わずぺこりと頭を下げた。




僕たちは言いつけ通り、コーヒーを淹れて彼を出迎えた。いや、僕たちの表情は出迎えるというより、むしろ迎え打つに近かったかもしれない。


そうして出された黒く湯気立つ飲み物に、ティルトは少しの間、固まった。


オリオはわざと意地悪な口調で言った。

「死神には食事って概念がないみたいだから、一応説明しておいてあげるけど、これはコーヒーという飲み物だよ。まずは砂糖やミルクを入れずに、そのままどうぞ」


しかし、ティルトは動じなかった。

「いや。コーヒーぐらいは分かる」


「え、分かるの? 大抵の死神は知らないのに」

オリオはすごく残念がった。


ティルトは意に介さず、続けた。

「久しぶりに見たから驚いただけだ。どこで手に入れたんだ?」


オリオは膨れっ面を隠そうともせず答える。

「ウィルが現世から、死にかけのコーヒー豆の魂を回収して、魔法で復活させてるんだよ」


「死にかけのコーヒー豆の魂? 無生物の魂を切るには相当な魔力が必要だぞ。復活なんて尚更だ。それを気軽にやってのけるなんて、どうなってやがる」


そう呟くティルトの声は珍しく、氷が緩んだようだった。

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