第2話 死神

「ロミ。森で立ち話では趣に合わないだろう。とにかく私の家においで」

ウィルがそう言ってくれたので、僕は二人に連れられて森を歩き始めた。


目の前にあった川を、橋を渡って越える。橋の上から振り向くと、さっきの美しい幼木が風に吹かれてひらひらと葉を振っている。


だから僕も手を振り返した。




森を抜けると、眩しい太陽と広い草原が僕たちを出迎えた。


草原はさらさらと風になびきながらずっと向こうまで続いていて、ところどころに建物が見える。左手には大きな森が遠くまで壁を作り、右側には丘が見えた。


まるで、絵画の中に入ったみたいだ。

僕はその美しい景色を、全身で感じた。


目の前には一本の道が伸びている。ウィルの家はその道を十分ほど進んだところにあった。ミルクココアみたいな色のレンガでできた家で、庭には小さな草や、きれいな花がたくさん育っている。


一階のリビングのソファに案内してもらったあとは、オリオが温かいハーブティーを人数分入れてきてくれた。一口飲むと、体が温まって気持ちが心地よく緩んだ。


「さて、ロミ」


ウィルはそう切り出しながらカップをテーブルに置き、こちらに向かって、少し身を乗り出した。


「君はこの家に到着するまでの道中、一度たりとも、『ここはどこなのか?』という至極当然の質問を私たちに投げかけることはなかったね。なぜだい?」


「え?」


僕は予想もしなかった質問に、言葉を詰まらせた。


たしかに、森からこの家までの十分間、僕はずっと自分がどこにいるのか、なぜここにいるのかも分からないまま、ただウィルたちの後ろを連れられているだけだった。


しかし、困ったことに『ここはどこなのか?』という質問をしなかった特別な理由はなかった。ただ、あまりに興味津々といった感じでウィルが僕を見つめているので、何か理由を答えなければいけない気持ちが湧き上がってくる。


僕はまごつきながら言った。


「多分それは、その。森も、草原も、この家も、ここに来るまでに見たものは全部、暖かくて明るかったから。そう、ここがどこだかは分からないけど、少なくとも危ない場所ではないな、って思ったからだよ」


「なるほど」


ウィルは僕の言葉を吟味するように頷いた。そして続けた。


「では君は、今この瞬間、自分に害をなす存在でなければ、その正体が何であっても構わないというのかね? 例えば、今しがた私たちが歩いてきた風景は、君のいうとおり、のどかで穏やかなものだった。しかしそれは見かけだけで、本当は君がここにいること自体がとんでもない凶兆かもしれない。そういったことは、勘定に入れない主義なのかな」


「えーと。うーん、どうだろう」


僕はまたまた返事に困った。正直にいうと、尋ねられた内容を理解するだけで、頭がこんがらがりそうだった。


僕はしばらく、黙り込んだ。ウィルはその間、辛抱強く僕を見守っていた。カチャリと、オリオがカップを持ち上げた音が響く。


オリオが再びカップを置いたとき、僕はもう一度口を開いた。


「多分、そうだよ。勘定に入れない主義だ。だって、今この瞬間、僕自身に害がないのなら、他に問題があるとは思えないから」


この返事を聞くと、ウィルはふっと満足げに笑った。


「そうかい。それは結構なことだね。ロミ、今話してくれたその気持ちを、最後まで忘れてはいけないよ」


僕は言われた意味がわからず、きょとんとした顔になった。

しかし、何も返事をしないわけにもいかないので、とにかく「わかった」と頷いた。


ウィルも頷き返して、また口を開く。


「では次の質問を」

「ウィル、ちょっとストップ」


言いかけたウィルを、オリオが見かねたようにさえぎった。


「優先順位が逆だよ。今大事なのは『ここがどこか』をロミが質問しなかったことじゃなくて、『ここがどこか』をロミに説明することでしょ」


そう言われてウィルは、ポンと手を打った。


「ああ、全くその通りだね! 私としたことが、ついうっかりしていた。よくぞ指摘してくれた」


「しっかりしてよ、もう」


オリオは賞賛を軽く受け流すと、僕にチラリと目配せしてくれた。

この機会を逃すまいと、僕は尋ねる。


「ウィル、ここはどこなの? どうして僕はここにいるの?」


彼は物語を朗読するような、穏やかな声で言った。


「本当は君がここにいること自体がとんでもない凶兆かもしれない、私は先ほどそう伝えたね。落ち着いて聞いてほしい。そして今から私がいうことを、どうか疑わないでほしい。ここはね、ロミ。死の気配に満ちた土地、グリモーナ。死神の住む世界だ」


「死神の世界」


僕はオウムのように繰り返した。現実味のない言葉に心が追いつかないまま、話は先へ進んでいく。


「そう。そして私はグリモーナに住む死神の一人、ウィル・ローレンスという」


「ウィル・ローレンスさん」


「そうだよ、以後お見知り置きを。さて君は今、生きた人間でありながら死神の世界に漂着した。正確には、君は今、魂だけの存在となって、この世界にやってきている。つまり君という存在は、グリモーナと現世の狭間に囚われてしまっているのだよ」


ウィルはここで説明を区切った。

正直にいうと、僕はこれまで結局ウィルが何を言っていたのか、全然分からなかった。


オリオは僕が返事をしないのを見かねて、親切にもウィルが話したことをまとめてくれた。


「つまり、今この瞬間、君は生死の境目にいるということだよ」


僕はそれを、さらに単純にまとめた。


「つまり、僕、死にかけってこと?」

「そういうこと」


オリオは頷く。

信じられない思いで、天井を見上げた。


「ここは死神の世界で。僕は今、死にかけてて。魂だけの存在になって、死神の世界にやってきた。それに記憶もなくなってるから、なぜ死にかけなのかすら思い出せない・・・・・・ということ?」


「私の話を信じるかい?」


ウィルは尋ねた。相手の反応を楽しんでいるかのような瞳が、僕を捉えた。


僕は少しの間、悩んだ。


窓の外で、カラスの羽が一枚、ひらりひらりと左右に揺れながら舞い落ちている。羽は風に吹かれてあちこち動き回ったけれど、最後には地面にふわりと着地した。


僕はウィルの瞳をまっすぐに見つめ返した。


「信じるよ。ウィルの話は風変わりだったけど、矛盾はなかった。それに、ウィルが疑わないでほしいって言ったから、疑わないよ」

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