第48話 違和感
僕はカップを持ったまま、慌ててウィルを呼びにいった。彼を連れて植物園へ戻ると、ジュリアが例の枯れ木の横にしゃがんで心配そうに覗き込んでいた。
僕以外の人が一緒にいるときに、少女の姿のジュリアが夢の外に現れたのは、今日がはじめてだった。ジュリアの方はウィルのことを見知っているけれど、ウィルはきっと彼女を見たら驚くだろう。
そう思っていたのだけれど、予想に反して、ウィルは彼女のことが目に入らないかのように、かつて雪のように美しかった木を見て「ああ」と悲しみに満ちた吐息をもらした。
「なんということだ。この木は早くも命が尽きてしまったか」
僕はウィルが毎日、この木のことを欠かさず世話していたのを知っていた。それが、こんなに悲しい姿になってしまったのだ。ジュリアのことを気に留めるための心の余裕が、彼にはなくなっているのかもしれない。
僕はあえてジュリアのことには触れなかった。
「どうして枯れてしまったのだろう」
ウィルはいたわるように、その枯れ木の痩せほそった枝を指で持ち上げた。
「病の木には時として、こういうことが起こるのだよ。弱い病は人体に入り込んでも、死の予行演習を行わせる前に白血球に退治されてしまう。もしくは人間が開発した特効薬やワクチンによって、体の中から追い出されてしまう。つまり人間の方が、その病よりも強いのだ。そういった病の木は腐敗した人間の魂から、栄養をうまく取り出して吸収できないのだよ」
「そうなんだ」
人間に敗北して枯れてしまった木。僕はその痛ましい姿に向けて、手を組んでお祈りをした。
人間たちの間で猛威を振るうにはかよわすぎたこの木にも、ジュリアのような木の精霊が住んでいたかもしれない。そう思うと、どうしようもなく悲しかった。
長めの祈りから目を上げると、ウィルの手の上に載っている枝を、ジュリアが指でちょんちょんとつついていた。
「繊細すぎたのね、あなたは」
と彼女は雪の木を労った。
ウィルはさらに続けて、病の木の特性を語った。
「病の木はこちらがどれだけ働きかけても、枯れるときにはあっさり枯れてしまう。弱い病は人間に滅ぼされてしまう。強力な病は、あまりに多くの人間を本物の死に追いやってしまうが故に神に見放される。神は自身の創作物がいちどきに消されてしまうのを好まないので、そういった病が発生した場合は該当の木を切り倒してしまうよう、死神に向けて仰せられるのだよ」
ジュリアは、かつて刃で傷を受けたその首に手を当てた。
「人間も、神様も、私たちのことを平気で殺してしまうのね」
彼女のまぶたが、恐ろしい悪夢から紫色の宝石を守るように閉じる。僕は彼女の横に膝をついた。
「ジュリア、僕は人間だけれど君の味方だよ。もし君が人間の魂から養分を吸収できないのなら、他の方法を探す。もし神様が君を気に入らないのなら、そのときは」
僕はそこで言葉を切った。
もしそうなったら、どうすればジュリアを守れるのだろう?
彼女は首に置いていた手を離すと、背中で両手を組んだ。彼女は笑っていた。
「そのときは私を切り倒してくれる約束でしょう?」
握った手のひらにジワリと汗がにじんだ。
「君の首を切るなんてできないよ」
彼女は諭した。
「あなたが切るのは、少女の首じゃなくて木の幹よ? 私の本当の姿は、ただの木なんだから」
今の僕には、それは少女を殺すのと同じことだった。
「ロミ」
黙ってこちらを見守っていたウィルが、僕の名前を呼んだ。
そちらを向くと、彼はまるで黒魔術でも見せられたかのように立ち尽くしていた。彼は幽霊に出会ったかのように震える声で僕に尋ねた。
「ロミ、さっきから一体、君は誰と話しているのだ?」
「え?」
僕はジュリアに視線を向けた。
そこに彼女はいなかった。
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