第98話 挨拶
「短い間だったけど、楽しかった。ありがとう」
オリオはそう言って、右手をぎこちなく差し出した。
その手をぎゅっと握り返して、僕はありったけの感謝の気持ちを声に乗せるつもりで答える。
「こちらこそ、今までありがとう」
僕たちは、ワタリガラス大公に言われた通り、順々に別れの挨拶をしているところだ。
でもこれでお別れなんて、何だか信じられない気持ちだった。もう会えないと言いながら、明日にはまた街角でばったり会うんじゃないか。ありえないって分かっているけれど、どうしてもそんなふうに思わずにはいられない。
握手した手を離すタイミングを失って、僕たちはしばらく見つめ合った。いくら最後のお別れとはいえ、無言で見つめ合っているとさすがに気まずくなってくる。
オリオは取り繕うように、伝えるべき言葉を絞り出した。
「えーっと、えっと。あ、そうだ。ロミが入院しているのは、僕と同じ病院だったよね。もしも君さえよければさ、現世の病室に遊びにきてよ。たしか932号室だったはず」
「932号室だね。分かった、必ず会いに行くよ」
忘れないようにもう一度、僕は数字を繰り返す。
オリオは申し訳なさそうに、首をすくめた。
「あんまり期待しないでね。現世の僕は知ってのとおり、ものも言えない植物人間だ。来てくれたって、話し相手にもなってあげられないからさ」
僕はキッパリと首を振った。
「それでも行くよ。たとえ話ができなくても、オリオは大切な友達だから」
すると彼は鼻を赤くして、僕を強く抱きしめた。
できるなら、いつまでも彼と一緒にいたい。そんな気持ちに襲われて、思わず涙ぐみそうになった。けれどもそれは、叶わない願いだ。帰還許可証が届いたからには、僕は現世に帰らなくちゃいけない。
しばらくすると、僕たちはお互いに一歩離れた。
「ロミ。どうか元気で」
「オリオもね」
「うん」
意を決して彼に手を振ると、今度はウィルに向きなおった。
青い瞳が優しく光って、温かく包み込むような穏やかな声が流れ出す。
「思い返せば君には日々、驚かされてばかりだったよ。人間であるにも関わらず、病の木を美しいと称賛し、死神相手でも病相手でも分け隔てなく慈愛の心を注ぎ込む。しかしそのわりには、研究所への侵入などという大胆なことすらやってのけた」
「最後のは本当にごめんなさい」
気まずくなって謝ると、ウィルは「過ぎたことだ」と手を振った。
「ロミに会えないと、寂しくなりそうだ」
「うん、僕もだよ」
「そうかい。死神相手にそんなことを言ってくれる人間は、君ぐらいのものだよ」
彼はふふっと声を立てた。
僕もつられてクスッと笑う。
そこへ。
バサリバサリと騒がしく、外から一羽のカラスが舞い込んできた。カラスはまっすぐ僕の元へと飛んでくると、近くの椅子にストンと着地した。彼はカァと一声、鳴いてみせる。
僕には一目で、彼が誰だか分かった。
彼はこの世界にやってきてから何度も見た、お馴染みのカラス。
オリオの耳飾りを奪い去り、ティルトの鎌すら奪い取った、あの盗賊カラスに他ならなかった。
予想外の再会に、僕の声は思わず弾んだ。
「君もお見送りに来てくれたの?」
カァ。
カラスは返事をして鳴いた。しかし何と言ったかは分からない。
「あっ」
と僕は思い出した。
死神の世界に住むカラスは、言葉を理解しているものの、話すための声帯は持ちあわせていない。彼の言葉を聞き取るために、大急ぎで魔法をかけた。するとカラスは口を開いた。
「届けものだぜ。ほら受け取れ」
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作者コメント:
『ロミは僕と同じ病院に入院しているんだったよね』→ 第35話 街並み
もう、どうして私はこう、いろんなところに情報をばら撒いてしまったんでしょうか。自分で書いてでもいない限り、覚えられるわけないですよね。
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