第76話 バルコニー 〜リベンジ編〜
開いた扉から、建物内に足を踏み入れた。暗い廊下を案内役のマキが先陣を切って突き進んでいく。その姿があまりにも颯爽としているので、彼女は侵入者というよりむしろ研究所の関係者に見えるくらいだった。
すぐ後ろに続いて、オリオと僕はささやきあった。
「あそこまで堂々とされると、ビクビクしてた自分が馬鹿みたいだよ」
「ふふっ。そうだね」
ティルトは僕たちの後ろから、ときおり周囲に鋭い目を光らせながらついてきている。
「なるべく音を立てるな。夜間の研究所には巡回の警備員がいるはずだ」
彼の低く唸るような警告に、空気が一気に引き締まった。それからは誰も口をきかずに、中央の尖塔をを登る階段を目指した。
順調な道のりに異変が起こったのは、目指す階段の直前、中央玄関ホールまでやってきたときだ。
パサリ。
闇の中、どこかで何かが羽ばたくような音がした。
ほんの小さな音だけれど、この場にいる全員がそれを聞いた。
マキが止まれと無言で合図する。
ホールの中心で立ち止まって、周囲に目を凝らした。
歩いてきたばかりの廊下。
閉ざされたエントランス扉。
一階の別のエリアに続く廊下。
そして中央塔へ続く階段。
四つの方向を順々に確認したけれど、気になるものは特にない。
気のせいだったのだろうか?
そう思った矢先、足元に気配を感じた。
サッと下に視線を走らせる。
そこには音もなくこちらを見上げる、一対の目があった。
「ひっ」
短い悲鳴を口を塞いで押し込めた。何ごとかと、みんなの視線が下に注がれる。ティルトがギョッとして一歩下がった。
「くっ、巡回警備員。見つかったか」
ええ、警備員?
この子が?
僕は声を出さずに驚いた。
なぜならそこに佇んでいたのは、一羽のカラスだったからだ。
しかし考えてみればグリモーナでは、郵便配達からジュリアの強制連行まで、多種多様な業務をカラスが担っている。警備員をやっていてもおかしくはない。むしろ夜間警備に関しては、夜目が効くぶん有利かもしれない。
僕たちに気づかれたことを悟ったカラスは、胸を張るように上体を起こした。
くちばしが大きく開く。
四人の侵入者たちに、緊張が駆け巡った。
このカラス、鳴いて誰かを呼ぼうとしている!
もし彼の鳴き声で死神たちが集まってきたら、あっという間に僕たちは研究所外に追い出されてしまうに違いない。
このままじゃ、まずい。
僕はとっさにしゃがみこんだ。それからカラスの目の前に、素早く人差し指を差し出す。突然の行動に驚いたカラスが、くちばしを開けたままその指を見つめた。
その隙に僕は想像する。
指先で光の粒がパチパチと弾けて躍っているところを。
すると直後、指先からポップコーンのように光の粒が溢れ出した。
現世でもグリモーナでも、カラスはキラキラ光るものが好きだ。このカラスも例外ではなかった。彼は興味深そうに光をくちばしでつついている。
十分、注意を引いたところで、僕は指をサッと振った。流れ落ちていた光の粒が、廊下の奥や玄関扉の方へと弾みながら散らばっていく。釣られたカラスは体の向きをひるがえした。飛んでいく光の粒を追いかけようと、彼は羽を広げる。
そのままどこかへ飛んでいって、僕たちのことはどうか忘れて!
僕は心の中で祈った。
しかし、このカラスは職務に忠実だった。すんでのところで羽をおさめると、こちらにクルリと向き直った。まだ指先から溢れっぱなしの光の粒に、彼はニンマリと目を細めた。
そんな単純な手に引っかかると思ったか?
そう言われているのだと、直感的に察した。
キラキラで注意を引く作戦は失敗だ。
焦りがブワッと吹き出して全身を満たす。
どうしよう、このままじゃ万事休すだ。
そのとき、このカラスを止めるもう一つの方法が電撃のようにひらめいた。
僕はたじろいだ。思いついたのはかなり乱暴なやり方だった。実践したら、この子を傷つけてしまうかもしれない。
しかし僕はすぐに思い直した。
ここでやらなければ、僕はジュリアに会えないまま研究所を追い出されてしまう。
独りで泣いていた彼女を、放っておくわけにはいかない。
そう思った途端、体が勝手に動いていた。
指先に全魔力を集中させる。
すると光の粒が凝縮して、耐えがたい閃光となる。
次の瞬間、目を焼くほどの強烈な二本の光線が飛び出して、カラスの双眼を貫いた。
光線に目をに突き刺されたカラスは、ギャウッとかぼそい悲鳴をあげた。
彼は激痛に悶え、翼で痛む両目を覆った。鉤爪が床を引っ掻くギィという耳障りな音が響く。唸るような苦悶の声が、周囲の空気を震わせる。それでも収まらない暴力的な痛みと焼け付くような視界不良に、彼はのたち回って苦しみ続けた。翼が目を掻きむしって、黒い羽根が一本また一本と、抜け落ちては散らばっていく。
抜けた羽根の一本が、自分の足に当たった。
途端に全身が粟立ち、後悔の波が押し寄せた。
ああ、僕はなんてむごいことを。
職務を全うしていただけの善良なカラスを、こんなにも苦しめる権利が自分にあるはずがない。それをジュリアのためだと言いながら、僕はやってしまった。
ジュリアのためなら、どんなことでもできてしまう。
そんな自分が、恐ろしくてたまらなくなった。
僕はいつから、こんなにも非情な人間になってしまったんだろう。
僕は一体、どうしてしまったんだろう?
カラスの苦しみの声がまた耳を刺し貫く。
黒い羽が、視界の至るところに散らばっていく。
もう、自分でも自分が分からない!
僕は倒れ伏したカラスに駆け寄ろうとした。手を伸ばし、抱きかかえて、誰か治療のできる人のもとへ届けようと思った。何より、彼に謝りたかった。
しかし伸ばしかけた手は、後ろから伸びてきた別の手に止められた。ティルトが僕の腕をしっかりと捕まえていた。
「よくやった。あのカラスが正気を取り戻す前にずらかるぞ」
よくやった。
その賞賛が槍のように心を抉った。
しかし他の三人はチャンスとばかりに、また足を進め始める。
僕も腕を引っ張られるようにして、中央塔の階段に足をかけた。
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作者コメント:
エピソードの題名ですが、どうしても懐かしさに抗えずに、展開に似合わないポップな名前にしてしまいました。お時間のある方はぜひ、『第6話 バルコニー』をチラ見してみてください。あの頃のロミは、心穏やかな日々を過ごしていましたね。
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