決闘

第75話 侵入

その日の太陽は、なかなか沈まなかった。することがないから本を開いてみたけれど、目線は同じ行ばかりを繰り返し追いかけた。


今夜、ジュリアを取り返しに研究所に侵入する。そのことだけに僕の意識は全て持っていかれて、何をするにも相当な注意力が必要だった。


特にウィルと話すのは一苦労だった。オリオと同じで、僕も無茶な作戦に彼を巻き込みたくはない。だから彼の前では、できるだけいつも通りに振る舞おうとした。


「きちんと眠れているかい、ロミ? ジュリアがいなくなってから、見る間に君から元気が失われていくようで、私は心配だよ」


「昨日はよく眠れなくて。今夜は早く寝ることにするね」


心にもないことを言って彼の善意をふいにしてしまったのは胸が痛むけれど、その甲斐あって今夜の作戦のことはウィルにはバレていないはずだ。





そんな苦難を乗り越えて、ようやく空から太陽がいなくなった。出発は夜の十二時。それまでは部屋の明かりを消して寝ているふりをした。暗闇の中、そわそわと窓の外を覗う。そうして何十時間も経ったように思われた頃、草原に黒い馬車が音もなく現れた。


忍び足で外に出ると、庭でオリオと合流できた。彼はもしもの時のために、見習い用の鎌をしっかりと両手に握っている。馬車の中には、すでにティルトとマキもいて、二人も当然のように鎌を持ってきていた。これはもう、れっきとした武装集団だ。


扉が閉まるのと同時に、馬は夜の闇に溶け込むように走り出した。





夜の研究所は、見上げるほどの黒い影となって車窓に現れた。どっしりと横に長い側壁は風景を覆い隠すようにそそり立ち、中央にそびえる尖塔は魔王の城を思わせる。


研究所の窓からは、こんな時間だというのに、ところどころ弱い光がもれていた。まだ誰かが残って仕事をしているのだ。これは予想外のことだった。自分勝手な話だけれど、今日だけは全員早めに仕事を切り上げていて欲しかった。


この幸先の悪い事態に対抗するように、マキは左肩にかけた鎌の柄を握り直した。


「大丈夫。いざってときのための、この鎌だから」

「・・・・・・できるだけ死神相手には使いたくないね」


僕はそう指摘したけれど、彼女は「まあね」と軽く流しただけだった。きっと彼女は必要とあらば、誰が相手でも本気で鎌を振るうだろうと思った。そんな彼女が頼もしくもあったけれど、同時に祈らずにはいられなかった。


どうか誰も、僕たちの行手を阻んだりしませんように。





四人は正面玄関には向かわず建物の裏手に回った。そこに通用口があることを、マキが知っていた。というのも、彼女はサリアに用事を言いつかって、研究所には何度も足を運んだことがあったのだ。


「お姉様ったら、ハリスが仕事関連の手紙の返事を書き忘れるたびに、私を研究所に送り込んで直接答えを聞き出させるの」


不服そうにそう語ったけれど、そのおつかいのおかげで、彼女はハリスの研究部屋が中央の尖塔の最上階にあるのを知っていた。





立ち止まった僕たちの前にひっそり佇む、木の枠でふちどられたシックなデザインの丸扉。それがマキが教えてくれた通用口だった。扉にはガラス製の覗き穴があり、凝った装飾のレバーの下には鍵穴がついている。レバーを動かしてみると、鍵は閉まっていることがわかった。


オリオは即座に、ピンと人差し指を立てた。


「ドア、蹴破ってみる?」


彼の破壊的な提案は、誰にも受け入れられなかった。


「大きな音を立てたら、中の奴らに気づかれるだろうが」


小声で怒りながら、ティルトは死神の鎌を構える。何をするのかと見ていると、彼は刃の先端、細く尖っている部分を、覗き穴を囲む留め具と扉の隙間に滑り込ませた。それから腕に力を込める。すると覗き穴を埋めていたガラスは、パキッと小枝が折れるような音を立てて簡単に外れた。


次に彼はどこからともなく針金を取り出だした。太さは花の茎ほどだけれど、長さは両腕を広げたぐらいある。彼は針金の先端に小さな輪っかを作り、さっき開けた穴に差し込んだ。


彼が針金を手探りでいじると、向こうでかちゃりと音がしてドアが開いた。ドアの内側では、針金の輪っかが鍵のつまみにしっかりと巻きついている。その針金で内側から鍵を回したのか、と僕は今更ながらに気がついた。


「開いたぞ」


ティルトはなんでもない風に言って、魔法で針金をどこかにしまった。

ここまでにかかったのは、わずか三十秒ほど。


開け放たれた扉を前に、オリオは不審感を露わにした。


「なんか、すっごい手慣れてたんですけど」

「現世では日常茶飯事だったからな」


当たり前のようにティルトが肩をすくめるので、僕は自分の常識を疑う羽目になった。記憶がないから分からないだけで、現世では鍵開けって日常茶飯事なのかな。


僕がぼーっとしているのに気がついて、オリオは慌てて肩を叩いた。


「ロミ。自分を見失わないで。おかしいのはティルトの方だよ」

「あ、やっぱりそうなんだね。よかった」


自分が間違っていなかったことに安心するとともに、僕には次なる疑問が芽生えた。

ティルトって現世にいた頃は、何をしている人だったんだろう?

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