第36話 包帯と傷

ワタリガラス大公に案内されて、僕たちは中央の塔を上へ上へと登った。

現世を映し出す鏡は、最上階に近いところにある奥まった部屋に保管されていた。


カーテンが締め切られて薄暗いその部屋には、水晶玉や不思議な絵の書かれたカード、金色の盃、他にもさまざまな魔法道具が置いてあった。


絨毯と壁紙に描かれた幾何学模様も相まって、ここには、ほの暗いファンタジーのような世界観がただよっている。


「占い館って、こんな感じらしいね」

オリオが耳打ちした。


僕たちは、楕円形の壁かけ鏡のもとへ案内された。

世界で一番美しいのは誰か、尋ねれば答えてくれそうな、そんな雰囲気の鏡だった。


「ロミ少年。ここへ」

ワタリガラス大公に促されるまま、鏡の前に立った。


すると、鏡の表面が水のように波打ちはじめた。

僕は鏡の前で動かず待った。

するとやがて波はおさまり、水面のような鏡に映像が描き出される。


そこに映ったのは、床も壁も白い無機質な部屋だった。中央にはこれまた白いベッドがあって、鏡はそれを監視カメラのように上から映している。


これは病室だ、と僕は悟った。


ベッドの上には、一人の少年が眠っていた。それが自分だと気がつくのに、少し時間がかかった。自分が寝ている姿を見るのは、不思議な感覚だった。


鏡の中の自分を観察した。

一見、どこにも具合の悪そうなところは見当たらなくて、ただ眠っているだけに見えた。


しかしよく見ると病院服の襟元から、白い布がちらりとのぞいていた。

そう、僕の胸には真っ白な包帯が巻かれていた。


僕は何か大きな怪我をして、生死の境にいるのだろうか?

包帯の位置的に怪我は心臓近くにあるように見えた。


思わず心臓にナイフが突き刺さる様子を想像しそうになって、慌てて思いとどまった。


いや、思いとどまったはずだった。


しかし。


「うっ」

僕は突然、左胸に強い痛みを感じて、その場でうずくまった。


まさに心臓をナイフで刺されたような痛み。

すみれ畑で感じたのと同じ痛みだ。


「ロミ!」

オリオが叫ぶ声が聞こえる。


その直後、僕の視界はスポットライトが消えるかのように暗くなった。




ふと気がつくと、僕は森の小道を歩いていた。グリモーナの森ではない。もっと木がまばらで明るい場所だ。


左隣には、ブロンド髪の少し自分より年上に見える女性が並んで歩いている。

前にすみれの花冠をくれたのと同じ女性だった。


「私ね」

彼女が話す声が聞こえた。


僕は驚いて彼女の横顔を見上げた。前回は、声は聞こえなかったはずだ。


彼女は甘くしっとりした声で言った。

「私ね、昔、大切な人を失ってしまって。今はたった一人なの」


彼女があんまり切なく悲しい表情を浮かべていたので、僕はどうにかして彼女を元気づけたいと思った。


「大丈夫。僕がその人の代わりに、そばにいるから」


口をついてそんな言葉が飛び出した途端、視界は暗転した。




次に目を開けると、そこは現世鏡の前だった。


「ロミ。しっかりするんだ」


呼びかけるウィルと、目があった。


途端に彼の顔には、安堵の色が広がった。

「気が付いたか」


僕はいつの間にか仰向けの状態で、ウィルに体を支えられていた。ゆっくりと体を起こすと、オリオの心配そうな顔が僕を出迎えた。


「また心臓が痛くなったの?」


僕はそっと胸に手を当てた。先ほど急に痛みを訴えた心臓は、今は何事もなかったかのように平気で動いている。


「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫だよ。それよりみんな、聞いて。僕はまたひとつ、現世のことを思い出したんだ」


僕は経験してきた短い記憶を、丁寧に思い起こして話した。


話が終わると、ワタリガラス大公は表情の読めない顔で言った。


「また少し記憶が戻ったのは結構なことだ。しかしまあ、ほんの短い体験を思い出すたびに痛みが出るのは難儀だな。現世のお前が包帯を巻いているのと、何か関係がありそうな気もするが」


大公は鳥らしい動作で首を傾げ、鏡の僕に一瞥をくれた。


僕はその視線に釣られてもう一度、現世を映す鏡を見た。

そこで眠る少年が白い布の下に何を隠しているのか、僕には全く見当がつかなかった。


と、不意に鏡の中で動きがあった。

病室に誰かが入ってきたのだ。


みんなで見守っていると、二人の人影が話し込みながら歩いてきた。


一人は白衣を着ていた。きっとお医者様だ。


もう一人は綺麗な身なりをしたご婦人だ。

誰だろう。お見舞いに来てくれたのかな。


そう思って見ていると、責め立てるような声が彼女から発せられた。

「うちの息子はまだ目覚めないんですか?」


僕は思いがけない言葉を聞いて、飛び上がりそうになった。


「もしかして、あの人が?」

と思わず声がもれる。


お医者様は彼女を、僕の母らしき人を、なだめた。

「傷は快方に向かっています。今はお辛いでしょうが、目が覚めるのは時間の問題ですよ」


しかし、彼女の気持ちはおさまらない。


「その話はもう聞きました。私は、それがいつになるのかと訊いているのです。いつまで私の息子を、こんなところに置いておくつもりですか」


ひどい言いようだと、僕は思った。

可哀想なお医者様は、困った声で返す。


「それはまだ何とも。胸の傷自体はもう、ほとんど治癒しています。息子さんの意識が回復しない状態が続く場合は、別の原因がある可能性を考えて、追加で精密検査を行った方が良いかもしれません」


「検査でも何でも、さっさとしてちょうだい」

ご婦人はきつい口調でお医者様に念押しすると、病室を出て行ってしまった。



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