すみれ

第19話 植物学者

「えいやっ」

オリオは気合を入れて死神の鎌を引っ張った。鎌の刃は、その辺りから拾ってきた木の枝に、しっかり食い込んで止まった。


しばらくの間、枝もオリオも動かない時間が流れる。


「あー、やっぱり無理だ」


オリオは枝に根負けして、鎌を手放した。彼は切ろうとしていた枝を持ち上げて、両手で力を込める。するとパキッと軽い音を立てて枝は真っ二つに折れた。


オリオは落ち込んだ声を上げて、枝を芝生に放り投げた。


「練習の甲斐あって、鎌を持つのだけは上手くなったけれど、こんなにか弱い枝すら、切ることができないなんて」


庭の花壇を手入れしながらその様子を見ていたウィルが助言した。


「鎌に手を触れられることと、鎌で何かを切断できることは別物だよ。手を触れるには死の気配さえ纏えば良いが、切断時はそれに加えて魔力で鎌を制御しないといけない」


「魔法は苦手だよ。ああ、死の道は暗くて恐ろしいけど、死神になる道もまた茨の道だなんて」


「鎌の魔力制御は、生まれついての死神でも苦労する。まずは見習い死神が使う練習用の鎌を使ったほうが良いかもしれないね」


「なんだ、そんなのがあるなら早く教えてよ」


僕は彼らのやりとりを、門にもたれかかってぼうっと眺めていた。目はオリオの練習風景を見ているけれど、心の中では数日前に夢で見た少女のことを考えていた。


早く会いにきて。ロミ。

また彼女の声が頭の中によみがえった。


小さな鈴がそよ風に吹かれて鳴る音みたいな声。

僕の名前を呼ぶ、あの声。


ただの夢なのだけれど、僕の心はもう何度もあの少女に吸いよせられていた。


あの子は誰なのだろう。なぜ僕の名前を知っているのだろう。僕の夢の中の存在だから? それとも忘れてしまっただけで、僕が知っている人なの?


できることなら、彼女に会いに行って確かめたい。でも、夢の中では会いにいく方法もわからない。


僕が考え込んでいると、不意に門の外から声がした。

「おお、夜空のような藍色の髪をした少年よ。まるで恋に悩んでいるような憂いの表情を浮かべて、一体どうしたというのだい?」


パッと声のした方を向くと、そこには見知らぬ人が立っていた。僕は少しの間、彼を見つめて黙ってしまった。


彼は金色の長いウェーブの髪を、まとめて肩に垂らしていた。貴族のようなひらひらがついた白いシャツに、黒いズボン。白い肌が、ルビーのように赤い目を際立てている。


なんだか、俳優さんみたいに綺麗な人だ。


僕はハッと我に返った。

「えっと。どちら様ですか?」


僕が尋ねると、彼は胸に手を当てた。

「ボクはハリス。グリモーナの高名な研究機関、死立研究所に属する最も優秀な病木研究者。そしていつの日か『究極の病の木』を育てる男さ。よく覚えておいてくれたまえ」


僕は彼のキラキラした雰囲気に圧倒されながら、

「究極の病の木を育てる、ハリスさん」

とだけ繰り返した。


すると彼は太陽みたいな笑みで、僕の手を取って握手してくれた。


少し長めの握手のあと、彼はこほんと咳払いした。


「ところで、藍色髪の少年」

「ロミっていいます」


「ロミ。悩んでいるようだったから、このボクの持論を教えてあげよう。恋に憂いや迷いは不要さ。ビビッと来た相手には、すぐさまアタックしにいくのが最善策」

「あの」

「迷いはなんの利益も生まない。とにかく行動あるのみ!」

「あ、えっと」


自分は恋に悩んでいたわけではないということを伝えようとしたが、ハリスの目があまりに真っ直ぐに僕を見つめるので、いい出せなくなってしまった。


そうしているうちに、オリオもこちらにやってきた。彼はわざとらしく、髪をかきあげる仕草をした。

「ロミってば、もしかしてこの僕の美しさに惚れてしまったのかい?」

「いや、そうじゃないんだけど」

「え、そんな即答しなくても」

「え、ごめんなさい」


ハリスも同調した。

「そうさ、可能性はそう簡単に摘んではいけない。摘むならその可能性があり得ないと示す、確たる証拠を用意したまえ」

「僕が、オリオに惚れていない証拠・・・・・・?」


「ハリス、ロミをそれ以上困らせるのはやめてくれないか」

ウィルがその場を収めてくれたので、僕は心の中でほっと息をついた。


僕は三人に、夢の中で出会った少女の話をした。ハリスは難しい顔をした。

「恋に迷いは不要といったけれど、夢の中では手の施しようがないねえ」


彼は僕の肩にトンと手を置いた。

「時には諦めも肝心だよ。スパッと忘れてしまいなさい」


するとウィルは、ハリスの手を掴んで、僕の肩から離した。

「いや、待ってくれ。その少女がロミの心をとらえて離さないというのなら、彼女はロミにとって大切な存在なのかもしれない」


オリオはなるほどね、と相槌を打った。

「紫の少女は、現世にいたときのロミのガールフレンドかもしれない、と」


僕はしっくりこなくて、首を傾げた。

「僕、恋人なんていないと思うけどなあ」


「無論、ロミが現世のことを思い出さない限り、ここで我々がどんな憶測を並べてもそれはただの推論に過ぎないがね」

ウィルは肩をすくめた。

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